双子
樹は知らない場所にいた。何もかも真っ白の場所。右を見ても左を見ても果てしなく白い。上も下も真っ白の場所。
ここにいると気付いてから、どれぐらいの時間が経ったのだろうか。案外それほど時間は経っていないかもしれない。それとも、途方もないぐらいの時間が経っているのかもしれない。
とにかくここから動かなきゃと思った樹は一歩踏み出した。その瞬間、真っ白だった空間が突如崩れ落ちた。樹の体もそれに従って落ちていく。真っ白から今度は真っ黒な空間に変わっていく。
すると、どこからか聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「全く、お前は何時まで寝ておるんじゃ。
これからお前にはいっぱい働いてもらわないと困るんじゃぞ」
その瞬間、真っ黒だった視界に光が差し込んだ。樹はその光が眩しくて目を瞑った。ゆっくりと目を開けると見慣れない天井に両親と那由多といった見慣れた顔が並んでいる。各々泣きそうな顔をしている。何故か笑みが零れた。
「…ただいま」
「バカ! お兄ちゃんのバカ! 凄く心配したんですから! いつの間にかいなくなっていて、そうしたら何故か屋上で倒れていて! もう目が覚めないんじゃないかって思って心配したんですから!」
那由多は目を真っ赤にして怒っている。両親は医者を呼びに慌てた様子で出ていった。
「はは、悪かったよ。今度また、水族館に連れて行ってやるから許してくれ」
樹は抱き着いてきた那由多の頭を撫でた。
「…今度は動物園に連れて行ってください…」
「そう来たか。
まぁ、しょうがない。約束な。
…ところで露木は大丈夫だったのか?」
樹はそう言いながらあの夜のことを思い出していた。露木を助ける代わりに自分の魂を差し出すと言ったあの日のことを。
あの時、裏神様と自称する不思議な人と出会った。樹はその人物に魂を引き抜かれ、気を失った。
実際、まだこれが現実なのかまだ判断がついていないというのが現状だが。
今はとりあえず、身に起こったこと、目に移ったことを信じることにして、露木の安否を那由多に確認した。
「はい、大丈夫ですよ。三日前に退院しました。
一時は意識が無くて大変だったみたいですが、お医者さんもびっくりするほどの回復力だったみたいです。
もうそろそろ鬼ちゃんのお見舞いに来る頃じゃないでしょうか?」
「自分の方が大変だったのに。わざわざお見舞いに来なくても大丈夫なんだけどなぁ。
ところで、三日前って言ったけど今日は何日なんだ?」
「二十日です。五月二十日ですよ」
「五月!? 水族館に行ったのは確か四月二十三日だったよな!?
俺は一ヵ月も寝ていたのか!?」
樹は驚いて思わず飛び起きた。
「そうですよ! だから、みんなこうやって心配しているんです!」
そんな会話をしていると病室の扉をノックする音が聞こえてきた。樹は少し落ち着いて「どうぞ」と返事をした。スライド式の扉が開き露木ともう一人、どこかで見たことのある顔の人物が入って来た。
「あっ! たっくん、目が覚めたんだ! おはよう!
これ持ってきたから食べてね」
露木は相変わらずだった。樹は露木の挨拶に手をあげて答えた。
露木の手にはお見舞いの品でフルーツの盛り合わせが入った籠がぶら下がっていた。今どきベタだなぁと思ったが、好意を無下にするわけにはいかないので有り難く頂戴することにした。
露木の件はそれで終わったのだが、問題は露木と一緒に病室に入ってきた子だった。その子は露木の後ろをピッタリとくっつくようにして樹に近付いてきた。その子が一歩ずつ樹に近付くたびに驚きが隠せなくなる。何故ならその子の顔は那由多そっくりであったからだ。
樹は何度も那由多とその子を交互に見た。
「お、おい、露木。そのお前の後ろにくっ付いている那由多モドキはどうしたんだ?」
「えっ? 那由多モドキなんて、たっくん酷いよ。いくら事故に遭って長い時間眠っていたからと言っても自分の妹のことを忘れたりするなんて」
露木の口からは信じられない言葉が飛び出た。
妹? 自分の妹は後にも先にも那由多だけだが。一体いつどこでその妹は生まれたのだろうか。
樹が言葉を失っていると露木は心配した様子で話しかけてきた。
「えっ、本当に忘れちゃったの? 事故の後遺症? でも、那由多ちゃんのことは覚えているんだよね?
ほら、双子の妹の那由果ちゃんだよ」
露木にそう紹介されても思い出せない。というか、自分の人生に双子の妹がいたことがない。那由果? 誰だそいつは。まさか! 那由多の生き別れた双子の妹か!? いきなりそんなハードな設定が!? いやいや、うちはそんなことに無縁な一般家庭のはずだ。
樹の気持ちがつかないでいると。
「あっ、果物剥いて来てもらうね」
「私はトイレに行ってきます」
素晴らしいコンビネーションで露木と那由多は席を外し、見知らぬ妹、那由果と二人っきりになった。
「……」
「………」
お互いに一言も喋らない。嫌な沈黙が続いた。そんな雰囲気に耐えかねた俺は那由果に話しかけた。
「あの、那由、果ちゃんだっけ?」
「そうだけど、何か?」
驚くことに声までそっくりではないか。まぁ、双子ならそっくりなのは当たり前なのだが。
「あの、さ、こんなことを聞くのも悪いんだけどさ、君って本当に俺の妹なのかな?」
樹の質問に那由果は軽蔑の目を向けている。
「うわ、サイテー。普通、自分の妹のこと忘れる?
なゆちゃんのことは覚えているのに。ショックだなー」
なんだろう。凄く懐かしい気持ちになる。別に罵倒されて嬉しいわけではないのだが。
それはきっと那由果の口調の所為だろう。那由多が敬語を使い始める前まではこんな感じの喋り方をしていた。
…ん? 待てよ。ということは、もしかすると、この那由果ちゃんは妹の別人格と言うことは考えられないだろうか。いやいや、冷静になろう。そんなバカげたことがあるわけない。
なんだか、目の前の那由果が本当に存在しているかどうかも怪しくなってきた。幻覚でも見ているんじゃないだろうか。
そんなことを考えていると。
「幻覚とかお兄ちゃんも酷いね」
那由果は樹の考えを見透かしたように言ってクスクスと笑っている。
背筋が凍るとはこういうことを言うのだろう。確かに今色々なことを考えていたが口にだしていない…はず。
それなのに考えていたことを言われてしまえば恐ろしさを感じる。那由果に恐れて少し距離を取ると那由果がいきなり笑い出した。
「ぷっ、ぷぷっ、あははははっ」
怖い。この一言に尽きる。もしかして妹に化けていた何かが俺を喰おうとしているのか!?
「いやいや、食べはせんよ。そんな趣味はない。
…この顔に見覚えは無いか?」
那由果は更に樹の考えていたことを見透かすと、不思議なことを言って左手を自分の顔の右端に置き、そのままその手を左にスライドさせた。
すると、那由多そっくりの顔がまるで川劇の変面ように顔が変わった。
「…ん? えっ、あれ? う、裏神様!?」
「はははっ、そうじゃ。妾じゃ」
「な、なんでこんなことをしているんですか!?」
樹は驚いて、体ごと裏神様に近付いた。
「近いわい! 少し離れろ!
なんでと言われても、妾はお前の妹になったんじゃ。まぁ、主従関係は妾の方が上じゃがな」
裏神様は訳の分からないことを言った。そんな願いをした覚えはないのだが。
「不思議そうな顔をしているな。
それでは事の顛末をはなそうか。どうしてお前の妹になったのかと、お前のことについて」
「…はい」
正直、妹になったことはどうでもいいのだが、自分のことは少し気になった。裏神様はニヤニヤしながら話し始めた。
「まず、お前がどうでもいいと思った妹になったことから説明するとしよう。
まぁ、お前がさっき考えていた通りで大方正解じゃ。
お前の妹、瑞泉那由多の中にある人格を少し借りた。人格さえあれば、妹そっくりの人形を作ることなど造作もない。
その人形に妹の人格を入れてしまえば自分の意思で動ける人形、…うーん、人形と言えば少し語弊があるのだがな。
いくら作り出したと言え、体は人間そのものと変わりないし、心も妹の物。まぁ、もう説明が面倒くさいから、とにかく人間じゃ。
人間と大差ないから自分の意思で動くし、自ら考えて行動する。病気にも罹るし、普通に怪我もする。それに寿命がきたら死ぬ。これはもう人間じゃろ?
その人間に今、妾は憑依している状態じゃと思ってくれ。要するに、この那由果は妾に憑依される為にある入れ物じゃ。憑依されている間は記憶も残らないし、便利じゃぞ。
妹編はここまでじゃ」
裏神様は足を組み、ニヤニヤしている。手にはどこから取り出したのか分からないが煙管が握られている。
裏神様の話を聞く限りでは、とにかく今目の前にいるのは紛れもなく俺の妹ということになるだろう。
「…まぁ、ある程度は無理矢理理解しました。
未だ夢でも見ているんじゃないかっていうのが正直な感想ですけどね。
つまり、その体は那由多そのものなんですよね?」
「そうじゃよ。
こんなところから、こんなところまで一ミリ違わずお前の妹そのものじゃ」
裏神様はおもむろに立ち上がり胸やお尻を摩りながら、ニヤニヤ顔で言った。
「ちょ、ちょっと、何しているんですか!?」
「何って、お前はこういうのが好みなのじゃろ?
お前のベッドの下に隠してあ―「ストップストップ!! 分かりましたから! それ以上はダメです! なんでもしますから!」
「ほう、なんでも、ね」
裏神様は椅子に座り眉毛をピクリと動かした。嫌な予感がした樹は生唾を飲み込んだ。
「ははっ、そんなことを言われなくとも、お前の魂は既に妾のものじゃ。なんでもしてもらわないと困る」
裏神様にそう言われたことで思い出した。そう言えば裏神様に魂を差し出したんだっけ。
「やっぱり、俺の魂は裏神様が持っているんですか?」
「いや、魂はお前の体の中にあるぞ。
魂の無い奴は如何なるものでも生きることが出来ないからな。ただ神様は例外じゃぞ。
簡単に説明するのならば魂の無い人間は電池の入っていないゲームボーイみたいなもんじゃな。
それでは、話を戻すとしよう。
あの日、魂を引き抜いた妾はお前の体と魂を弄り回して、妾の従僕に作り替えた後、その魂を再びお前の体に戻したのじゃ。まぁ、一度魂を引き抜かれたし体も魂も弄り回されたのじゃから、魂を戻したところで簡単に意識は戻らん。そこがゲームボーイと違うところじゃな。
大体は三日から一週間ほどで言い四季が戻るはずなのじゃが、お前の場合は戻ってくるのが遅かったの。ちょっとばっかし焦ったわ。
しかし、流石は妾と言ったところじゃの。失敗は無かったわ」
裏神様はそう言うと高らかに笑った。
いきなりぶっ飛んだ話の連続で理解も整理も追い付かない。
「…つまり俺はもう人間ではなくなったということなのか?」
「まぁ、そうじゃな。
だが、限りなく人間じゃ。九割九分九厘人間じゃ」
「いや、その一厘が何かを知りたいんだけど!」
「まぁまぁ、そう慌てるな。
お前には説明することとやってもらいたいことが山ほどあるのじゃ。だからこうしてお前の双子の妹になったのじゃぞ?」
「…あの、一つ質問したいのですが」
「なんじゃ? なんでも答えてやるぞ」
「妹が急に増えたら周りの人はビックリするんじゃないですか? 露木と那由多はどうして何事もなかったかのように振る舞っていたのか気になって」
「そんな簡単なこと妾にとっては、同と言うことも無い。
妾は神様じゃぞ? そんな改変はお手の物じゃ」
不正しかなかった。神様という権力を振りかざし、瑞泉家のヒエラルキー二番目の位置にいると言っても過言ではない妹になったのだ。色々な思いが交錯した樹はため息をついた。
「どうした。ため息なんぞついて」
「察してくれると助かるんですけどね」
「ふふっ、そこまで元気なら妾も頼りがいがある。
さて、そろそろ二人が戻ってくるだろうから話の続きはそのうちすることにしようかの。
これからも、よろしく頼むぞ」
裏神様はそう言って手を差し出した。樹は少し間を置て手を握り返した。




