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復讐相手の忍びが優しすぎるから、私の初恋は呪いに満ちている  作者: ましろ柚
第二章 ⚫︎⚫︎(咲耶12歳、凪17歳)
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9/10

第9話 だから、あなたも

 初見で直感した通りだ。義晴は、凪が避けねばならない類いの男だった。人を観察することが得意で、こちらの秘密の奥深くまで平気で踏み込んでくる。


(本当は、拐かしたどころじゃないけど……)


 義晴の正しさに満ちた目力に嫌悪を覚え、凪は水平線の方に視線を逸らした。義晴もまた、内海に浮かぶ大型の船を遠く見つめる。


「この国でもかつて、人攫いが横行していた。儂が取り締まるまでは、女こどもを金で買うか拐かして、船に詰めて異国に運んでいく輩が後を絶たなかった」


 義晴はそこで言葉を切り、もう一度凪の方を向き直る。


「もしお主もそうだというなら、容赦するつもりはない」


 やはり、凪はこの男を好きになれない。こういう人間は、自分は安全圏にいながら、雲泥に沈みかけている弱者に対して、正義を振りかざすのだ。

 凪も、他の仲間たちも、人殺しを生業としなければ大人になれなかった。そのことの重さが分かってたまるか。

 罪への後悔すらできない本当の地獄など、見たこともないくせに。


「そう、ですか」


 凪は空虚な瞳で義晴を見返した。捕まえたいならやってみればいい。生憎、勝つのはこちらだ。


 義晴は凪の視線を受け止めたまま、しばし黙っていた。責めるでもなく、問い詰めるでもなく、ただ何かを案じるように、凪の顔を見ている。やがて、その眉尻が少し下がった。


「まあ……そんな顔をするお主自身のことのほうが、今は心配になったがな」


 何を言っているのだ、この男は。他人に心配されたことのない凪は、腹立たしさを覚える。


「無論、人攫いと決めつけているわけではない。だから様子を見ると言った」


 義晴は、傷ついた子どもを宥めるかのような口調で言った。どこまでも、凪の勘にさわる男だ。


「ところで、あの娘に身寄りはあるのか」


 義晴は藪から棒に言った。凪は面倒に思いながら、愛想なく答える。


「ないと思います」


「そうか。ならば、我が国で引き取ってもよいな」


「……え」


 引き取る? その意味が凪の中に落ちるのに、少し時間がかかった。

 この男が咲耶を引き取る。それは、凪の隣からあの子がいなくなるということだ。凪を殺すまで、死ぬ気でついて来ると約束したあの子が。


(でも、咲耶にとっては、そのほうが……)


 凪はかすかに眉を寄せ、奥歯を噛み締める。そのとき、義晴が不意に吹き出した。


「ふっ……お主、やはり意外に、年相応にわかりやすいな」


 意味不明なことを言われ、凪は不機嫌な目を向ける。


「何がです?」


「いや、なんでもない。とにかく、様子を見るということだ」


 そんなやりとりをしていると、遠くから慌ただしい足音が近づいてきた。


「義晴様!」


 鬼気迫る声に、凪は顔を上げる。籐子と、その後ろに咲耶がいた。



※※※


 咲耶が籐子と蜜柑畑を訪れているとき、次々と人が倒れた。

 苦しむ人々を目の当たりにしながら、咲耶も籐子も、農民たちと一緒に慌てふためくしかなかった。やがて、籐子が義晴に報告すると言うので、咲耶も後を追ってきたのだった。


 籐子の読み通り、義晴は町を見渡せる小高い丘にいた。ところがなぜか、凪も一緒にいる。


(どうして、凪が……?)


 咲耶は凪と目が合ったが、すぐに逸らされてしまった。気まずい。


「なに、一斉に農民が倒れた? どういうことだ」


 義晴が険しい顔で籐子の報告を聞いた。

 倒れた人たちに共通していたのは、直前に水を飲んだということ。ちょうど気温が高くなってきた時間で、収穫作業の休憩に、水分補給を行なったらしい。


「みんな、井戸から汲んだばかりの水のようでした。あれは暑気あたりの症状じゃありません。井戸に毒が入れられたのかも」

「毒? 儂の命ならともかく、無差別に民の命をとって何になる」


 義晴は籐子の説を一蹴しようとしたが、籐子は引き下がらない。


「戦の代わりに、毒で瑞穂の人口を減らそうとしている敵がいるんじゃないかしら。義晴様、心当たりはないのですか」

「そうは言っても、周辺国とは穏便に付き合っているし、そんな気配はまるでなかったぞ」

「もう、義晴様はお人よしだから、気づいていなかっただけでは?」

「さすがにそんなことは……」


 籐子と義晴のやりとりを聞きながら、咲耶もまた色々と考えていた。武器を使わずに人を大量に殺す人間がいるとしたら、ある意味戦より、よほど怖いかもしれない。

 咲耶が鳥肌の立つ自分の腕を強く抱いていると、それまで傍観していた凪が、ぽつりと言った。


「この町の地図、ありますか」


 凪は真面目な顔をしていた。しかし普通の人間であれば、こんな大変な時に何を、困惑する。義晴は煩わしそうに首を振った。


「今はそれより、病人たちの様子を見たい。明日にしてくれ」


 その言葉に凪は、最初から期待していなかったと言うように、ため息混じりに「そうですね」と呟く。咲耶はそれが、少し引っかかった。


「籐子、病人のもとに案内してくれ。馬を使おう」


 大急ぎで出発する義晴と籐子を見送り、凪と咲耶は二人きりになってしまった。

 咲耶が沈黙に耐えられず、何を話そうか困っていると、凪のほうからこう切り出す。


「咲耶。悪いけど、もうここは発とう」

「え?」


 咲耶は思わず顔を上げた。よりによってこんな折に瑞穂国を離れるだなんて、咲耶の選択肢にはないことだ。

「俺はどうやら義晴様に警戒されているし、毒の騒ぎもあったし。これ以上いても、厄介に巻き込まれるだけだよ


 凪は瑞穂国に何の思い入れもないらしく、いつも通り淡々としている。咲耶は必死で食い下がった。


「でも、まだ肝心の竜翔湖にも行けていません」


「あー、もういいよ。ちょっと調べたけど、何もなさそうだし」


「勝手に入ったんですか? あれだけダメだと……とにかく、せめて原因がわかって、倒れた人たちの治療が始まるまで、私もここにいたいです」


「なんで?」


「なんでって……」


 凪の無共感に苛立ち、咲耶は自分の袖を握りしめる。

 瑞穂国に来てから、まだそれほど時間が経ったわけではない。それでも、籐子に町を案内してもらい、畑で働く人々の暮らしを知り、義晴がこの国で何を目指しているのかを聞いた。もはや、この国の人たちが赤の他人だとは、思えない。


「私も……ここの人たちの力になりたいです」


 再び、沈黙が訪れた。海かもめの甲高い鳴き声だけが、やけに空に響く。


「そう」


 凪は短く相槌を打った。


「咲耶はここが好きそうだし、いいと思うよ」


 声音は軽かった。けれど、明らかにいつもと様子が違う。


「義晴様は咲耶のことも気にかけてるから、大丈夫」


 その短い言葉が、妙に咲耶の胸を抉った。

 初めは、咲耶に何か怒っているのかと思った。でも、視線の合わない凪の横顔を探ってみて、そうではないと悟る。

 凪の心が、もうここにないのだ。咲耶の隣から離れ、どこか遠くに行こうとしている。


「……っ」


 心臓が不規則に脈打ち、咲耶は思わず胸を抑えた。なぜ、というのは、凪ではなく自分自身に向けた疑問だ。

 わかっている。凪は元より、自分を殺したがっている咲耶を連れて歩く理由がない。あるとすれば、強すぎる忍びの一時的な気まぐれだった。

 そして咲耶にもまた、凪を殺すこと以外に、生きる理由はあるかもしれない。


(ここに残って、辛いことを忘れて、普通の民として生きていく……?)


 それは、確かに賢い選択だと思った。凪を討ったところで、奪われた日常が戻ってくることはない。それより、自分がもっと幸せになれる生き方を探した方がいい。

 義晴は民の一人一人に目を配ってくれる領主だ。咲耶の事情を話せば、追っ手の忍びが来たとしても守ってくれるだろうし、咲耶が自由に生きられる居場所も与えてくれるかもしれない。


「……違う」


 咲耶は歯を食いしばり、頼りない自分の影を睨んだ。

 そうだ。自分は、安寧など求めていない。


「凪の命は……私が握ってるんです」


 咲耶は震える声を絞り出す。凪が、はっと目を見開いて咲耶を見る。


「凪が私の生き方を決めるんじゃありません。私がすべきことは私が決めます。凪は黙って私に従えばいいんです。だから……」


 足元すら覚束なくなる、不安と高揚感。それらに呑まれてしまわぬよう、咲耶は縋るように凪を見上げた。


「凪も……ここにいて?」


 そのとき、凪の瞳が初めて、咲耶の姿を曇りなくまっすぐに捉えた気がした。

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