第4話 可愛い子には仕事をさせよ
凪に連れてこられたのは、町の一角にある口入屋だった。口入屋とは、仕事の仲介をする窓口である。定職を持たない日雇い労働者や旅人が、生活費を稼ぐために相談にやってくる。
「おや、随分可愛いのが来たな」
奥でキセルをふかしていた元締めが、咲耶を見て言った。店内には他にも、仕事を求めてやってきたと見られる男が数人おり、皆ニヤニヤとこちらを見ている。
「手っ取り早くて高収入な良い仕事、ある?」
凪が、怖気付いている咲耶より前に出て、元締めに尋ねる。元締めの頬には大きな傷跡があり、低い声と相まって威圧感を醸している。
「兄ちゃんみてえに細いのは、力仕事ができねえだろ。だが綺麗な顔をしてるから、色街にでも行って稼ぐか?」
元締めは至極真面目だが、他の男たちはケタケタと下品に笑った。その傍で、咲耶は色街という言葉にびっくりしていた。凪が「体で払ってもらう」と言っていたのは、まさかそういうことだろうか。
「働くのは俺じゃないよ。こっちの子」
凪の指先に従い、一同の視線が咲耶に移る。そして、爆笑が起きた。
「お嬢ちゃんが? 色街にはまだ早いだろ」
「いや、需要はある。人の好みは色々だし、何より結構可愛いじゃないか」
散々馬鹿にされ、咲耶は顔が真っ赤になった。早くここを出たい。
一方の凪は、勝手に帳場を覗き込み、散乱する依頼書を漁り始める。
「多少危険でもいいから、力仕事と枕営業以外で、何かない?」
「おい、勝手に見るなよ。そうだな、金がいいのは……人探しとか」
「報酬が高いってことは偉い人?」
「ああ。楓野国の宰相の息子が、五日前に霊雨山の立ち入り禁止区域に狩りに入ったきり、戻らないってんで。父親が懸賞金を積んでんだ。城からも捜索隊を出したがダメでな……ああいや、やっぱりこの仕事はやめた方がいい」
元締めは自分の頭をぐしゃぐしゃと掻いて、依頼書を引っ込めた。
「霊雨山には竜の封印地がある。近づいたやつは、一人も戻って来ねえんだ」
***
山道は、奥へ進むほど険しくなっていった。頭上を木々が覆い、日の光がわずかに地面へ落ちている。
危ないからと止められたのに、凪はこの依頼を引き受けてしまった。そもそも凪の旅の目的は、赤竜に会って世界征服の力を得ることだ。お金が稼げて、竜の手がかりも得られるかもしれないこの仕事は、凪にとっては一石二鳥だろう。
「私は、やりたくないわ」
咲耶は息を切らしながら言った。行方不明者は助けたいが、凪の目的に協力するのは死んでもごめんだ。
「お金をなくしたのは咲耶でしょ」
「そうですが、この仕事でなくてもいいはずだもの」
「じゃあ色街でも行く?」
「凪」
咲耶は深い草むらに沈む足を止めた。透明にも、濁っているようにも見える凪の瞳を、真っ直ぐに見上げる。
「あなたはどうして、世界を征服したいの?」
忍びとして人に使われる生き方が嫌だから? 為政者への恨みがあるから? せめて、理由があってほしいと思ってしまう。
「……楽しそうだから?」
他人事のように凪が答えた。そもそもこの問いを深刻に受け止めていない。その態度が、咲耶の逆鱗に触れた。
「そうですか、もういいです」
凪のことを少しでも知りたいと思った自分が馬鹿だった。咲耶は刀を握りしめ、大股で歩き始める。凪は立ち止まったまま、黙って咲耶に追い越された。
「咲耶」
背後から、凪が呼び止める。
「これは君の仕事だから、俺は手を貸さない。自分で頑張って」
「……! あなたが勝手に仕事を選んだくせに。よくもいちいち、腹の立つことを言いますね」
「わー、怒ってる」
「当たり前でしょう!」
顔も見たくないと思ったのに、憤りのあまり振り返ってしまった。だがそこには、軽薄とはまるで違う表情の凪がいた。
「自分でなんとかして。でも、本当に危なくなったら、俺を呼んで。凪さん、助けてくださいって」
その声には、何かを断ち切ることを惜しむような、かすかな寂しさが滲んでいた。
「……そんなこと、絶対言いたくありません」
咲耶が小さく答えると、凪はふっと笑った。それから、いつになく真剣な顔で咲耶を見る。
「うん、そうだよね。宿敵に命乞いなんて。だから君は俺に頼らず、必死で戦うはずだ。自分の力で」
咲耶は黙って凪を見つめた。咲耶がそう答えることを初めからわかっていたようで、なおさら腹が立つ。
「わかりました」
咲耶は凪から顔をそらし、一人で先へ進んだ。
しばらく歩いていると、やがて道らしい道もなくなった。木の根が地表から露出し、その上に落ち葉が降り積もっている。遠くで小川が流れる音がするのだが、その方向を見やると、門構えのような二つの大木に紙垂が掛けられていることに気がつく。
ここから先が、立ち入り禁止区域なのだろう。咲耶は足を止め、周囲を見回した。
竜の封印地。近づいた者は、一人も戻ってこない。この先に、もし本当に竜がいるのなら、自分に太刀打ちできる相手なのだろうか。
(あれ……草むらに何か落ちてる)
近づいてみると、それは革袋だった。中身は空っぽだが、財布だろうか。
(あまり汚れていない。落とされたのは最近だわ)
咲耶はさらに、紙垂の向こうに進んでいく。よく見れば、土にはいくつもの足跡が残っていた。獣のそれではない。人間の履き物の形をしている。
何者かが、ここを通ったのは間違いない。竜の仕業なのか。それとも……。
やがて、木々の向こうに切り立った岩壁が見えてきた。苔に覆われた岩肌の下に、ぽっかりと暗い穴が口を開けている。洞窟だった。
咲耶は息を潜め、入口に身を寄せた。暗闇の奥から、かすかな音が聞こえる。
「うう……」
人の声だ。目を凝らすと、洞窟の中には何人もの人間が縄か何かで縛られ、横たわっている。ひどい怪我をしているのだろうか。血の匂いで鼻が捩れそうだ。
(本当に、竜がこんなことを?)
疑念を持った瞬間、背後で草を踏む音がした。
「おーい、誰だあ?」
咲耶は震えながら振り返った。山の中から現れたのは、一人の大男だった。分厚い肩に、丸太のような腕。手には、刃の大きな鎌を握っている。
「女の子かあ。珍しいねえ」
「あ、あなたがみんなを閉じ込めているの? 一体何のために」
「赤竜様にお供えするんさ。今夜は満月だから、儀式をするんよ。女の子は珍しいから、きっと喜ばれるでよお」
「お供えって……」
咲耶の言葉は聞かず、大男は鎌を振り下ろした。瞬間、咲耶は横に飛び退く。
「おっとお?」
男が首を捻る。咲耶は既に脇差を構えていたが、その手は震えている。明らかな体格差と体力差。まともに斬り合えば勝ち目などない。
「女の子はお淑やかでなくっちゃあ」
男がもう一度鎌を振るが、咲耶はまたしても身をかわした。大きな刃が地面に食い込み、鈍い音を立てる。
「ちいっ」
鎌を再び持ち上げようと、男の体が前へ傾く。その一瞬を、咲耶は見逃さなかった。咲耶は男の懐へ飛び込み、鎌を持つ腕に刀の峰を打ちつけた。
「ぐっ!」
男が腕を引いた。鎌の軌道が逸れ、体勢が崩れる。咲耶はその脇をすり抜け、男の背後へ回った。
「動かないで!」
男が目を丸くして咲耶を見上げる。咲耶は荒い息を繰り返しながら、男の喉元に刃を突きつけていた。
(勝った……!)
自分でも信じられない。紛れもなく、凪に毎日叩き込まれた、強い相手の攻撃を受け流す技術のおかげだった。
「死にたくなければ、武器を捨てて山を降りなさい。これ以上誰かを傷つけるなら、私は絶対に……」
その時。
「うごっおお……」
大男が突然、血を吐いて倒れた。無論、咲耶は何もしていない。一体どういうことかという混乱と、目の前の真っ赤な惨状への吐き気で、咲耶は真っ青になって口元を手で塞ぐ。
「あー悪い、おっさんが邪魔で見えなかったからさ。でも、今ようやく見えたわ」
その若い声は、頭上から降ってきた。次の瞬間、咲耶の目と鼻の先に、上下逆さまになった顔が現れる。
「お姫様、みーっけ」
彼は木の枝に脚をかけ、コウモリのようにぶら下がっている。初めて会った時に凪が来ていたのと同じ黒装束。忍びだ。
「あはっ、泣いてんの? かわいそうだねー」
異様に開いた瞳孔が、この男の異常性を物語っているように思えた。逃げなければ。このままでは死ぬとわかっているのに、咲耶は体が動かない。
「せっかく会えたけど、じゃあね、さよなら」
刃物が風を斬る音。もう無理だ、と咲耶は目を瞑る。
だが、咲耶の命は終わらなかった。
「だめだよ咲耶。今のは、俺を呼ばないと」
咲耶ははっと目を開く。凪が刀を握る片手で相手の攻撃を止めながら、咲耶の体を腕に抱えていた。
「久しぶり。元気だった、翡翠?」
名を呼ばれ、翡翠はニヤリと笑った。




