↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
農業大学生、異世界で皇帝に呼ばれる――「迷い鳥」は国を変える  作者: 水源


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

6/60

農業改革、試験畑から始めます

 王都へ戻る馬車の中で、私は窓の外を眺めていた。


 夕暮れの畑では収穫を終えた麦畑が広がり、牛を連れて家へ戻る農民や、街道を行き交う荷車の姿が見える。昨日までなら、ただの農村風景として何気なく眺めていた光景だった。


 けれど今は違う。


 畑を見るたびに、どうしても考えてしまう。――この土地で、もっと収穫を増やせないか。飢える人を減らせないか。家畜の餌を増やせないか。


 窓枠に肘を置き、遠ざかっていく畑を眺めていると、向かいに座っていたマルク伯が、そんな私の様子をしばらく見つめたあと、顎に手を添えながら静かに口を開いた。


「……試験畑、ですか」


「はい」


 私は視線を窓の外からマルク伯へ戻し、迷いなく頷いた。


「本当にやるおつもりで?」


 マルク伯は少し意外そうに眉を上げながら身を乗り出し、念を押すように尋ねてくる。


「そのために農村を見て回ったんですから」


 私は即答し、膝の上に置いた手を軽く握った。視察して、問題を見つけて、それで終わり。そんなことをするために、私はここまで来たわけではない。


「何を植えるおつもりで?」


 マルク伯は腕を組み、試すような目をこちらへ向ける。


「まずはジャガイモです」


「例の『イモ』ですな」


 マルク伯が思い出したように口元を緩める。


「ええ。それからサツマイモ。トウモロコシも試します」


「三つも?」


 思わず目を丸くするマルク伯に、私は人差し指から順に指を折りながら答えた。


「一つだけでは危険ですから」


「ほう」


「えんどう豆とソバも植えます」


「ずいぶん多いですな」


 マルク伯は肩を揺らして苦笑したが、私はそんな反応にも頷きながら説明を続けた。


「比較するためです」


「比較?」


「収穫量だけではありません。必要な水、肥料、労働力、病気への強さ、保存性……」


 私は折った指を一本ずつ伸ばしながら条件を並べていく。


「最後に、農民が実際に育てられるかどうかを見る」


 マルク伯は組んでいた腕をほどき、感心したように小さく息を吐いた。


「なるほど」


「ジャガイモやトウモロコシには、もう一つ期待しています」


「家畜の餌ですか」


 そう言いながら、マルク伯がわずかに顎を引く。


「はい」


 その瞬間、私の脳裏に浮かんだのは、今日見た畜産村だった。干し草の足りない納屋、痩せた家畜、そして売られていく若い雄牛。飼料が足りない。


 ならば――飼料を増やせばいい。


 単純な話だ。


 ただし。


「この土地で育てば、ですけど」


 私は少しだけ苦笑し、窓の外へ視線を戻しながら付け加えた。


 前世で知っている作物だからといって、この世界でも同じように育つ保証はない。土が違い、気候が違い、雨も違えば、農民の技術も違う。


 だから――。


「……試すんです」


 私は視線を再びマルク伯へ向け、静かに、しかしはっきりと言った。


「失敗したら?」


 マルク伯が眉を上げ、私の答えを確かめるようにこちらを見つめる。


「原因を調べます」


「成功したら?」


「もっと広い畑で試します」


「それでも成功したら?」


「農民に紹介します」


 私が即答すると、マルク伯は一瞬ぽかんとしたあと、堪えきれないように口元を緩めて笑った。


「ずいぶん気の長い話ですな」


「農業ですから」


 私もつられて笑いながら、肩をすくめる。


「一日で結果が出るなら、誰も苦労しませんよ」


 ◇


 翌日、私はフェルディナントさんのもとを訪ねた。


「試験畑?」


 説明を終えると、フェルディナントさんは少し考えるように眉間へ皺を寄せ、それから机の上に置かれていた地図を広げた。


「はい」


 私は地図の端を押さえながら頷いた。


「どこに作るおつもりで?」


「王都から近い場所がいいです」


「なぜ?」


 フェルディナントさんが顔を上げ、興味深そうに私を見つめる。


「農民に見てもらいたいからです」


「なるほど」


 フェルディナントさんは納得したように頷きながら、再び地図へ視線を落とした。


「それと、できれば土質の違う場所を二つ」


 私がそう続けると、フェルディナントさんが顔を上げた。


「二つ?」


「同じ作物でも、土地によって結果が変わるかもしれません」


 私は地図の上の二か所を指先で示しながら説明する。


「……比較するわけですか」


「はい」


 フェルディナントさんはしばらく無言のまま地図を眺め、指先で地図の上をゆっくりと辿っていたが、やがて王都の南を指差した。


「ここならどうでしょう」


「ここは?」


「痩せた土地と、水のよい土地が近い」


 私は身を乗り出して地図を覗き込み、場所を確認する。


「ここを借りられますか?」


「手配しましょう」


 フェルディナントさんが迷いなく頷くと、私はほっとしたように表情を緩めた。


「ありがとうございます」


「ただし――」


 そこでフェルディナントさんが人差し指を立て、少しだけ真面目な表情になる。


「失敗しても報告してください」


「もちろんです」


「成功した結果だけを並べるのではなく、失敗も含めて」


 フェルディナントさんが念を押すように私の目を見つめる。


「はい」


 私はしっかりと頷いた。


「失敗した理由が分かれば、それも成果ですから」


 その言葉を聞いたフェルディナントさんは、満足そうに目を細め、ゆっくりと笑った。


「なるほど。ますます面白くなってきましたな」


 ◇


 数日後、小さな畑が完成した。


 広さは普通の村の畑よりずっと狭い。けれど――私には、広大な実験場に見えた。


「ここにジャガイモ」


 私は畝を指差し、隣で待機している農民たちへ説明する。


「はい」


 一人の農民が緊張した面持ちで頷き、手元の帳面を確認した。


「隣にサツマイモ」


「はい」


「その向こうがトウモロコシ」


 私が順番に指を動かすたび、記録係が丁寧に帳面へ書き込んでいく。


「麦、えんどう豆、ソバも植えます」


「比較するためですか?」


 若い記録係が顔を上げ、少し不思議そうに尋ねる。


「そうです」


 私は畑全体を見渡しながら頷いた。


 収穫量、水、肥料、労働力、病気、保存、そして――利益。単にたくさん収穫できればいいわけではない。農民が育てられなければ意味がないし、売れなければ意味がない。保存できなければ、冬を越すこともできない。


 食料とは、畑から取れた瞬間に完成するものではない。


「ずいぶん細かく見るんですね」


 隣にいた若い農民が、半ば呆れたように笑いながら頭を掻く。


「全部必要です」


 私は苦笑しながら肩をすくめる。


「こんな小さな畑で、分かるんですか?」


 若い農民が首を傾げる。


「全部は分かりません。でも、次に何を試すべきかは分かるかもしれません」


「次?」


 若い農民が目を丸くする。


「一度で全部分かるなら、試験なんて必要ありませんから」


 私が笑うと、若い農民もつられて口元を緩めた。


「違いねえ」


 私はもう一度畑を見渡した。土も、種も、道具も、人手も、どれも特別なものではない。それでも――ここから始める。


「では、植えましょう」


 私は袖を軽くまくり、農民たちへ頷きかけた。


 ◇


 最初に芽を出したのは、ジャガイモだった。


「おお……!」


 数週間後、畑の土から小さな緑色の芽が顔を出していた。見つけた農民が驚きの声を上げると、その声を聞きつけた他の農民たちも次々に集まってくる。


「本当に芽が出ましたな」


 一人の農民が腰を屈め、目を細めながら小さな葉を覗き込む。


「これがイモになるんですか?」


 別の農民が半信半疑の顔で尋ねる。


「ええ」


 私は頷きながら、芽を傷つけないように指先でその周囲を示した。


「でも、地面の上には何もない」


 農民が不思議そうに地面を見下ろす。


「食べる部分は地面の下です」


「へえ……」


 農民たちは顔を見合わせながら、興味深そうに葉を眺める。


 そのときだった。


「なら、この葉っぱは?」


 一人の農民が好奇心に駆られたように手を伸ばした。


「待って!」


 私は慌ててその手首を掴んだ。


「それは食べないでください!」


「え?」


 農民が驚いて目を見開く。


「ジャガイモは、食べる部分を間違えると危険です」


 私が真剣な表情で言うと、周囲の農民たちも一斉にこちらへ視線を向けた。


「危険?」


「芽や緑色になった部分は駄目です。葉も食べないでください」


 私は葉を指差しながら、念を押すようにゆっくりと告げる。


「……毒があるんですか?」


 農民が不安そうに眉を寄せる。


「そういうことです」


 私は頷き、畑を見渡した。


 そこで気づく。


 これは、かなり重要な問題だ。


 作物を育てる方法だけ教えても駄目だ。


 逆に、サツマイモの葉は、しっかりアク抜きや加熱をすることで、モロヘイヤのような粘りが出ながらもクセのない味わいで、おいしく食べられるようになる。


 どこを食べるのか、どこを食べてはいけないのか、どう調理するのか、どう保存するのか。そこまで教えなければ――この作物は普及しない。


「収穫したら、料理も試しましょう」


 私は周囲の農民たちを見回しながら、少し苦笑して言った。


「料理まで?」


 さっきの農民が驚いたように目を丸くする。


「当然です」


 私は肩をすくめ、当然のことを言うように答えた。


 農民たちが顔を見合わせる。


 私は苦笑した。


 種を渡して終わり。そんな改革では駄目なのだ。


 ◇


 ところが、問題はそれだけではなかった。


「迷い鳥様!」


 翌月、農民が血相を変えて駆けてきた。


「虫が!」


「虫?」


 私は驚いて立ち上がり、駆け寄ってきた農民の肩へ手を置きながら尋ねる。


「ジャガイモが食われています!」


 農民は息を切らしながら訴え、畑の方を指差した。


 私は急いでその後を追った。


 そこには、穴だらけになった葉があった。


「……なるほど」


 私はしゃがみ込み、被害を受けた葉をじっと眺める。


 簡単にはいかない。


 作物が育つ。それだけで成功ではない。


「どのくらい前からです?」


 私は振り返り、まだ不安そうな顔をしている農民へ尋ねる。


「三日前くらいから」


「雨は?」


「昨日降りました」


「肥料は?」


「三日前に入れました」


「記録を見せてください」


 私は手を差し出した。


 農民が慌てて帳面を渡してくると、私はしゃがんだままページをめくった。


 天気、水やり、肥料、害虫、被害の範囲。必要なことは、全部記録する。


「迷い鳥様、そんなことまで?」


 農民が半ば呆れたようにこちらを見下ろす。


「必要です」


 私は葉を手に取り、裏側まで確認しながら答える。


「原因が分からなければ、次も同じことになりますから」


 前世の知識だけでは足りない。この世界の農業は、この世界で学ぶしかない。


 だったら――。


 最初から全部、記録してやる。


 ◇


 そして、さらに数週間。


「……高い」


 今度は私が呟いた。


 目の前ではトウモロコシが青々と伸びていて、私は首を伸ばしてその背丈を確かめるように見上げ、思わず目を細める。


「これは……」


 マルク伯も驚いたように眉を上げ、しばらくトウモロコシを見上げた。


「麦より、ずっと高いですな」


 周囲の農民たちも集まってきて、互いに顔を見合わせながらざわめいている。


「本当に食べられるんですか?」


 一人の農民が不安そうに尋ねる。


「ええ」


「家畜にも?」


「はい」


 私が頷くと、別の農民が目を輝かせ、期待するように身を乗り出した。


「なら――飼料にできますな!」


 私はその顔を見てから、ゆっくりと頷いた。


 そうだ。これだ。


 畜産村で見た、あの問題。干し草不足、飼料不足、そして家畜を減らさなければならない状況。


 もしトウモロコシで飼料を増やせれば――畜産そのものを変えられるかもしれない。


「ただし」


 私はすぐに人差し指を立て、浮かれている農民たちへ釘を刺した。


「全部を飼料にしてはいけません」


「なぜです?」


 農民が不思議そうに眉を寄せる。


「人間も食べられるからです。実際、雑穀の代わりに食べている人たちがいます」


 農民が首を傾げる。


 私はそんな反応に苦笑しながら、トウモロコシの穂へ視線を向けた。


「一つの作物を、一つの用途だけで考えないんです」


 食料、飼料、加工。用途を分ける。


 そうすれば、一つの作物から得られる価値はもっと増える。視察で見てきた問題が、少しずつ一本の線に繋がっていく。


 ◇


 そして――最初の収穫の日が来た。


「掘ってください」


 私は畑の前に立ち、集まった農民たちを見回しながら、落ち着いた声で促した。


 農民たちが緊張した面持ちで畑へ入り、鍬を土へ突き立てる。


 ザクッ。


「……あ」


 鍬を入れた農民が目を見開いた。


 最初の一個が顔を出した。


「イモだ!」


「本当にできてる!」


 別の農民が思わず声を上げ、しゃがみ込んで土を手で掘り始める。一つ、二つと掘り進めるうちに、さらに別の場所からも姿を現した。


「まだあるぞ!」


「こっちにも!」


 あちこちから歓声が上がり、次々とジャガイモが土の中から姿を現す。


「おおおおっ!」


 歓声が畑いっぱいに響き、私も思わず笑ってしまった。


「やりましたね」


 私は満面の笑みを浮かべながら、近くの農民へ声をかける。


「こんなに取れるとは……!」


 農民は泥のついたジャガイモを両手いっぱいに抱え、信じられないものを見るような顔で笑っている。


 その光景を見て、胸が熱くなった。


 成功だ。


 少なくとも――最初の試験では、成功した。


 だが。


「待ってください」


 私は収穫されたジャガイモを一つ手に取り、喜びに沸く農民たちを落ち着かせるように手を上げた。


「まだ終わってません」


「え?」


 農民たちが一斉にこちらを見る。


「収穫量を測ります」


 農民たちが固まる。


「麦と比較します」


「……はい」


 少し残念そうな顔をしながらも、農民が頷く。


「それから、保存します」


「保存?」


 別の農民が首を傾げる。


「どれだけ冬まで残せるか調べます」


 私は収穫したジャガイモを見ながら、さらに続けた。


 必要だった労働量、肥料、水、病害虫、そして収穫後の損失まで、調べることはまだ山ほどある。


 ◇


 その日の夕方、小さな鍋でジャガイモを茹でた。


 湯気が立ち上る中、私は鍋の中から一つを取り出し、熱さを確かめながら手で割る。白く、ほくほくした中身が顔を出し、そこへ乗せたバターが熱でゆっくりと溶けていく。


 農民たちは、息を潜めるようにしてその様子を見つめている。


「……いただきます」


 私は小さく息を吹きかけてから一口食べた。


「うん」


 バターとジャガイモの素朴な味だった。


 けれど――。


「うん、美味しいし、これなら、いける」


 私は嬉しそうに口元を緩めながら、隣の農民へジャガイモを差し出した。


「食べてみてください」


「私が?」


 農民は驚いたように自分を指差す。


「ええ」


 私は頷きながら、安心させるように笑った。


 農民は恐る恐るジャガイモを受け取り、慎重に口へ運ぶ。


 しばらく黙ったあと、農民は何度か噛みしめるようにしてから、驚いたように目を見開いた。


「たしかにうまいし、腹が膨れますな」


 私はその言葉を聞いて、満足そうに笑った。


「そこが一番大事です」


 豪華である必要はないし、高価である必要もない。農民が育てられて、食べられて、保存できる。そして、凶作の年にも役に立つ。


 それだけで――十分な価値がある。


「もう一つ、食べても?」


 農民が少し遠慮がちに尋ねながら、空になった手元へ視線を落とす。


「もちろん」


 私は笑いながら頷き、もう一つ渡した。


 農民も嬉しそうに笑った。


 その笑顔を見ながら、私は思う。


 これが――農業改革の最初の一歩だ。


 まだ小さな畑で、まだ一度の収穫しか経験していない。成功したのも、たった一つの作物に過ぎない。


 それでも、土の中から出てきた小さなイモが、確かに新しい可能性を見せてくれた。


「迷い鳥様」


 マルク伯が少し離れたところから声をかけてきた。


「次はどうします?」


 そう尋ねながら、マルク伯は収穫されたジャガイモと私の顔を交互に見つめる。


 私はジャガイモを見た。それから、隣のトウモロコシ畑へ視線を移す。


「次は――」


 少し考えてから、私はジャガイモを持ち上げた。


「保存です」


「保存?」


 マルク伯が目を瞬かせる。


「ええ」


 私はジャガイモを手のひらの上で転がしながら答える。


「収穫したあと、どう冬まで残すか」


 そして、ふと思う。


 もしこれを冬まで保存できれば。もし凶作の年にも食べられれば。もし、麦が不作でもこの作物が残れば――飢饉の景色を、変えられるかもしれない。


 私はジャガイモを握りしめるようにして、まだ何もない未来へ思いを馳せる。


 農業改革は、まだ始まったばかりだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。