飲み水と太陽熱蒸留
ロードス島への援軍準備は、船の手配だけでなく、積み込む物資の検討も進められていた。私はローザリンデと一緒に一覧を確認しながら、食料や医薬品、飲み水について考えていた。
「食料については、これまでの輸送試験も参考にできそうですね。ただ、飲み水は航海の日数や船の大きさに合わせて、必要な量を見積もらなければなりません」
ローザリンデが一覧に目を落としながら話す。
「そうだね。水が足りなくなってからじゃ遅いし、かといって積みすぎれば、その分だけほかの物資を運べなくなる。船の積載量は限られているから、必要な量はちゃんと計算してもらわないと」
「ワインを積むのも、ひとつの方法ですよね?」
「うん。ただ、ワインがあるから真水はいらない、というわけにはいかないよ」
水樽に加えてワインも積むとなれば、それだけ場所や重量の問題が出てくる。それでも、航海中に必要な飲み物を確保する以上、簡単に減らせるものではない。
私は物資の一覧を見つめながら、ふと思いついた。
「そういえば、海水を蒸留して真水にする方法もあるんじゃないかな」
「蒸留ですか?」
ローザリンデが顔を上げた。
「うん。海水を蒸発させて、その水蒸気を冷やして集めるんだ。水蒸気には塩分がほとんど移らないから、うまく集めれば真水を得られるはずだよ」
「なるほど。錬金術師の方々が使う蒸留器具と、基本的な考え方は同じなのですね」
「そうだね。蒸留そのものは知られている技術だし、原理を説明すれば理解してもらえると思う。ただ、海水を大量に蒸留するとなると、燃料も必要になるし、装置も大きくなりそうだよね」
私は少し考えた。
「だったら、太陽の熱を使って蒸発させる方法を試してみたらどうかな。浅い容器に海水を入れて、上を透明なガラス板で覆うんだ。水蒸気がガラスの裏側で冷えて水滴になれば、それを集められると思う」
「火を使わずに済むのですね。でも、どれほどの水が得られるのでしょうか」
「そこは、実際に試してみないとわからないね」
原理を考えることはできても、それだけで実用化できるとは限らない。太陽の熱で水が蒸発しても、集められる量が少なければ、船の飲料水を確保する方法としては役に立たないだろう。
「一度、職人や錬金術師の方々に相談して、小さな装置を作ってもらえないかな。今回の援軍に使うためじゃなくて、どれくらいの水を得られるのか調べるために」
「わかりました。蒸留の知識がある方々なら、話も伝わりやすいでしょうね」
ローザリンデは頷き、実験に必要な材料を書き留めた。
*
数日後、私は職人と錬金術師に協力してもらい、小さな試験装置を用意した。
浅い金属製の容器に海水を入れ、その上を透明なガラス板で覆う。ガラス板には傾斜をつけ、裏側に付いた水滴が低い方へ流れるようにした。水滴を受け止める部分には溝を設け、集めた水が海水に戻らないよう、別の容器へ流れ込む仕組みになっている。
「ガラス板と容器の隙間から蒸気が逃げないよう、周囲もできるだけ塞いでみました」
職人が装置を確認しながら説明した。
「ありがとう。これなら試せそうだね」
私は海水を入れた容器を日当たりのよい場所に置き、日が傾くまで様子を見ることにした。
しばらくすると、容器の中の海水が温まり、ガラス板の裏側に細かな水滴が付き始めた。水滴は少しずつ大きくなり、傾斜に沿って流れて受け皿へ落ちていく。
「本当に水滴が集まっていますね」
ローザリンデが受け皿を覗き込んだ。
「うん。仕組みそのものは、ちゃんと働いているみたいだね」
ところが、時間が経っても、受け皿に集まる水はなかなか増えなかった。ガラス板には水滴が残り、集める前に蒸発してしまうものもある。装置を工夫すれば多少は改善できるかもしれないが、それだけで十分な量を得られるかはわからなかった。
日が傾いたところで実験を終え、集まった水を計量器に移した。
「……思ったより少ないね」
得られた水は百ミリリットルにも届かなかった。水滴を集めること自体には成功したものの、これでは船員や兵士が必要とする飲み水には到底足りない。
「装置を大きくすれば、もう少し増えるのでしょうか?」
ローザリンデが尋ねた。
「増えるとは思う。でも、船に乗る人たちが必要とする量を考えると、かなり大きな装置にしないといけないだろうね。船の上じゃ揺れや風への対策も必要だし、ガラスが割れる心配もあるから」
「それなら、最初から水樽を積んだ方がよさそうですね」
「私もそう思うよ。水を作るために大きな場所を使って、肝心の物資を減らしたら本末転倒だもの」
今回の援軍では、飲み水とワインを予定どおり積む方針に変わりはない。太陽熱蒸留の装置については、実験結果を記録しておき、改良できるところがあれば検討してもらうことにした。
「すぐに使える方法ではなかったけど、試してみないとわからなかったこともあるからね」
私がそう言うと、職人と錬金術師も頷いた。
*
実験結果をまとめた私は、ガッティナーラとマルク伯にも報告することにした。
二人は記録に目を通し、集められた水の量を確認した。ガッティナーラは感心したように頷いた。
「なるほど。渡り鳥殿でも、うまくいかぬことがあるのですなぁ」
「ありますよ。思いついたことが全部うまくいくわけじゃありませんから」
私が苦笑しながら答えると、マルク伯はほっとしたように息を吐いた。
「……今回は実用化を見送るのですね。それは何よりです」
「何よりって、マルク伯?」
「いえ、失礼。援軍の準備に余計な仕事が増えずに済みましたので。それに、今回は食べて確かめるわけではなかったので、よかったですが……」
「マルク伯、私だって何でも食べるものを作ってばかりではありませんよ?」
「承知しております。承知しておりますが、これまでのことを考えますと、どうにも心配になるのです」
マルク伯はそう言いながら、胃の辺りをそっと押さえた。
「そんなに心配しなくても大丈夫ですよ。今回は試してみたら、思ったほど水が集まらなかった。それだけですから」
「そのように冷静に判断していただけるのでしたら、私も安心なのですが……」
ガッティナーラが面白そうに笑った。
「しかし、渡り鳥殿。今回うまくいかなかったからといって、また別の方法を思いつかれるのではありませんか?」
「え? それは、まあ……何か思いついたら考えてみますけど」
「やはりですか……」
マルク伯が深々とため息をついた。
「いや、まだ何も決まっていませんよ?」
「渡り鳥殿の場合、その『まだ何も決まっていない』が一番信用できないのです!」
ガッティナーラがとうとう声を上げて笑い、ローザリンデも口元を押さえた。
「もう、二人とも……」
私は呆れながら返した。思いついたことを試してみるのは悪いことではないと思うのだけれど、マルク伯にとっては、次に何を言い出すかわからないこと自体が心配の種らしい。
*
その後、私は実験記録を片づけながら、別の使い道についても少し考えた。
「そういえば、海水から塩を作るなら、太陽の熱を使うのは向いているんじゃないかな」
「塩を作るのですか?」
ローザリンデが首を傾げた。
「うん。真水を集める必要がなければ、蒸発した水分を逃がしてしまってもいいわけだから。でも、オーストリアには岩塩の産地もあるし、塩水を使った製塩も行われているよね。こっちで新しい方法を広める必要は、あまりなさそうかな」
「ほかの地域なら、違うのでしょうか?」
「スペインなら、場所によっては今ある製塩所の改善に使えるかもしれないね。ネーデルラントは輸入した粗塩を加工する事情もあるから、同じ方法を広めればいいわけでもなさそうだけど」
「なるほど。土地や産業によって、向いている方法も違うのですね」
「そういうこと。すぐに新しい計画を増やすほどの話でもないし、今回はここまでにしておこうかな」
太陽熱を利用した製塩には応用の余地があるかもしれない。ただ、すでに製塩の仕組みがある地域もあれば、輸入や加工が中心の地域もある。実際にどれほど役立つかを調べる前から、あれこれ手を広げる必要はないだろう。
*
私はローザリンデとともに、ロードス島への援軍に必要な物資の一覧を改めて確認した。飲料水やワインの量、食料や医薬品の積載量など、まだ詰めなければならないことは残っている。
「まずは援軍に必要な物資を確保しないとね。太陽熱蒸留の方は、改良できそうな点が見つかったら、また考えればいいよ」
「わかりました。物資の一覧を整理して、必要な量が揃っているか確認します」
ローザリンデが書類をまとめた。
新しい方法を試すのも大切だけれど、思いついたことを何でも実用化できるわけではない。今回の実験も、船で使うには難しいとわかった時点で、いったん見送ればいい。
私は物資の一覧に目を落とし、まだ確認できていない項目に印を付けた。まずはロードス島への援軍を、確実に送り届けることが先決だった。




