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農業大学生、異世界で皇帝に呼ばれる――「迷い鳥」は国を変える  作者: 水源


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ハンガリー大使が駆け込んできた

 サファヴィー朝の使節を迎えた晩餐から、しばらく経った。


 あの夜、我々はオットマンへの対処について、東から圧力をかけられる可能性を探った。


 そして今度は、西でも東でもない。


 帝国のすぐ隣で、オットマンと向き合っている国から使節がやって来た。


 ハンガリー王国である。


 厨房で料理の確認をしながら、私は今度の晩餐について考えていた。


「今回は、かなり分かりやすい相手ですね」


 隣にいるローザリンデが、皿を並べながら言う。


「分かりやすい?」


「ええ。オットマンの脅威が、これまでで一番近いじゃないですか」


「確かに」


 私は頷いた。


 ハンガリーにとっては、もはや遠い国の話ではない。


 昨年、ベオグラードを失った。


 その意味は大きい。


 あの要塞は、ハンガリーにとって南からの侵攻を防ぐ重要な拠点だった。


 そこを失った以上、これまで以上に国境の防衛へ力を割かなければならない。


「今回は、東方の料理はあまり関係なさそうですね」


 ローザリンデが笑う。


「そうですね。今回は、もう少しハンガリーらしい料理にしてみましょう」


「何を出すんです?」


「肉と野菜、それにパン。あとは少し濃いめの味付けにしておきます」


「ずいぶん普通ですね」


「それでいいんですよ」


 私は料理を見ながら答えた。


「ハンガリーには、もう料理で驚いてもらうより、ちゃんと食べてもらいたいですから」


 今回の客は、観光に来ているわけではない。


 何かを求めて来ているのだ。


 ならば、晩餐もあまり飾り立てすぎないほうがいい。


 そう思っていた。


 やがて、晩餐の時間になる。


 皇帝陛下、フェルディナント大公、ガッティナーラ、マルク伯が席につき、その向かいにハンガリーの使節が腰を下ろした。


 使節の顔には疲労が見える。


 長旅だけが原因ではないだろう。


 自国の置かれている状況を考えれば、当然だった。


 最初に出したのは、肉と野菜を使った煮込みだった。


 香草を効かせ、パンと合わせて食べられるようにしている。


 使節は料理を見て、それから私を見る。


「こうした料理を用意されたのですか」


「はい。ハンガリーの食文化を意識しました」


「なるほど」


 使節は一口食べる。


 しばらく黙って味わったあと、静かに頷いた。


「長旅のあとにはありがたい料理ですな」


「それなら良かったです」


 次に出したのは焼いた肉料理だった。


 香辛料を使っているものの、あまり刺激を強くしすぎないようにしてある。


 それを食べながら、使節が少しだけ表情を和らげた。


「帝国には、こうした料理もあるのですな」


「ええ。土地によっていろいろありますから」


 その言葉に、フェルディナント大公が小さく笑う。


「我々の料理も、一口で説明できるほど単純ではないということだ」


 使節も微笑んだ。


 しばらくは料理の話が続いた。


 だが、やがて食事が一段落すると、皇帝陛下が杯を置いた。


「さて」


 それだけで、空気が変わった。


「貴国が我々に助力を求めていることは承知している」


 使節は姿勢を正した。


「はい」


「具体的には?」


 陛下の問いに、使節は一度だけ息を整える。


「兵と金です」


 率直な答えだった。


「昨年、我々はベオグラードを失いました」


 誰も口を挟まない。


「南からの防衛線が崩れ、いまや我々だけで全てを支えることは難しい」


 使節は悔しそうに拳を握った。


「王は諸国へ援助を求めています。しかし、誰もが自分の戦争を抱えている」


 その言葉を聞いて、私は前のフランケとの晩餐を思い出していた。


 帝国だって同じだ。


 フランケと戦い、イタリアへ兵を出し、それでいてオットマンも警戒しなければならない。


「我々も余裕があるわけではありません」


 フェルディナント大公が静かに答える。


「承知しております」


 使節は頭を下げる。


「だからこそ、お願いしたいのです」


 ガッティナーラが静かに口を開く。


「一つ確認したい」


「何でしょう?」


「我々がフランケとの戦争を続けていることを、貴国はどう見ています?」


 使節は少し考えた。


「正直に申し上げれば、続けていただきたくはありません」


 その答えに、マルク伯の眉がわずかに動く。


 だが、口調は以前とは違っていた。


「その理由を、お聞きしても?」


 丁寧な言葉遣いに、私は特に気に留めなかった。


 以前のように妙に畏まっているわけではない。


 このくらいのほうが話しやすいし、私としても助かる。


 マルク伯がなぜそういう話し方をするようになったのかなんて、私は深く考えていなかった。


 使節は深く頭を下げる。


「失礼を承知で申し上げています」


 使節が続ける。


「しかし、帝国が西で兵を使い続ければ、その分だけ東へ回せる兵力が減ります」


 ガッティナーラが頷いた。


「ええ。戦争が続けば、軍隊だけでなく金も消えます」


 淡々とした声音だった。


「そして、金が減れば選べる手段も減る」


 使節が静かに頷く。


「ですから、帝国にも西方で手を引いていただきたい」


「我々も、その可能性を探っております」


 ガッティナーラはそう答えた。


「ただし、停戦は一方だけの意思で決まるものではありません」


「承知しております」


 使節が答える。


「それでも、その可能性があると聞けただけで、我々には大きな意味があります」


 その言葉を聞きながら、私は少し考えた。


 帝国がフランケとの戦争を止めれば、余力が増える。


 ハンガリーが南でオットマンを引きつければ、オットマンもまた自由には動けない。


 サファヴィーが東で戦えば、さらに兵力は分散する。


 前にガッティナーラが言っていたことが、ここでも当てはまる。


 敵を倒す必要はない。


 全力を出させなければ、それだけでいい。


「それに」


 ガッティナーラがふと口を開いた。


「フランケは自国の兵だけで戦っているわけではありませんな」


 使節が顔を上げる。


「スイスの兵も、かなり頼りにしていると聞いております」


「ええ。スイス兵の槍は侮れません」


「でしょうな」


 ガッティナーラは薄く笑った。


「ですが、彼らも兵である以上、契約によって動く」


「……何か考えておられるのですか?」


「まだ、仮の話です」


 ガッティナーラは穏やかに答えた。


「フランケがいつまで彼らに十分な報酬を払い続けられるか。それは見ておいて損はありません」


 マルク伯が嫌な予感を覚えたように、隣でわずかに眉をひそめる。


 だが、ガッティナーラは表情を変えなかった。


「もしフランケが支払いに苦しみ、契約を維持できなくなったなら……」


 一拍置く。


「我々が、新たな契約を提示することもできます」


 使節が目を見開いた。


「帝国が、スイスの傭兵を?」


「兵を奪う必要などありません」


 ガッティナーラは静かに答えた。


「契約が終わった者に、次の仕事を示すだけです」


 その言葉を聞いて、フェルディナント大公が面白そうに口元を緩める。


「なるほど。そこまで考えていたか」


「考えておいて困ることではありませんからな」


 ガッティナーラは肩をすくめる。


 マルク伯が額へ手を当てた。


「……また、胃が痛くなってきました」


「何を今さら」


 フェルディナント大公が楽しそうに笑う。


「まだ何も決まっていないではないか」


「そういう話をすること自体が問題なんですよ」


 思わずマルク伯が言い返す。


 私はその様子を見ながら苦笑する。


 マルク伯はやはり真面目だ。


 ただ、迷い鳥が帝国にとって大切な客人であることは、今では十分に理解しているのだろう。


 だから私に対して礼を失することはない。


 その一方で、目の前で次々と話が大きくなっていくことには、相変わらず胃を痛めているらしい。


 使節も困ったような、それでいてどこか興味深そうな顔で見ていた。


「しかし、それならば」


 使節がゆっくりと口を開く。


「帝国がフランケとの戦争を終えることには、我々にも大きな意味があるわけですな」


「そうです」


 ガッティナーラが頷く。


「フランケと戦うために使っていた兵力を、別の場所へ回せる。金も同様です」


「そして、その先にはオットマンがいる」


「ええ」


 ガッティナーラの目が細くなる。


「だからこそ、今のうちから選択肢を増やしておく価値があるのです」


 使節は深く考え込んだ。


「我々にとっても、願ってもない話です」


 マルク伯がぼそりと呟く。


「どんどん話が大きくなっていく……」


 その言葉に、フェルディナント大公が吹き出した。


 私は思わず笑ってしまった。


 だが、笑ってばかりもいられない。


 ハンガリーにとっては、本当に切実な問題なのだ。


 食事が終わりに近づいた頃、私は最後の料理を運ばせた。


 パンとチーズ、それに果物を添えている。


 使節はそれを見て、少し笑った。


「最後まで、素朴ですな」


「今日はそういう晩餐にしたかったんです」


「なぜ?」


「皆さん、たぶん豪華なものより、こういうもののほうが落ち着いて食べられるでしょう?」


 そう答えると、使節は少しだけ驚いた顔をした。


 そして、静かに頷く。


「その通りかもしれません」


 やがて使節が立ち上がる。


「本日の話は、王へ必ず伝えます」


「お願いします」


「そして、我々もできる限りの情報をお渡しします」


 その言葉に、皇帝陛下が頷いた。


「こちらも、フランケとの問題をできるだけ早く片づける道を探ろう」


「ありがとうございます」


 使節が深く頭を下げる。


 そして、部屋を出ていった。


 扉が閉じると、私はふっと息を吐いた。


「どうでした?」


 ローザリンデが尋ねる。


「かなり切羽詰まっていましたね」


「でしょうな」


 ガッティナーラが答える。


「昨年、ベオグラードを失ったのは大きい」


「でも、まだ戦えるんですよね?」


 私が尋ねると、フェルディナント大公が頷く。


「そうでなければ、これほど必死に援助を求めたりはしないだろう」


「なるほど」


 マルク伯が腕を組む。


「問題は、我々がいつまでもフランケと戦っている余裕もないことだ」


「だから停戦ですか」


 私が言うと、ガッティナーラが頷いた。


「そういうことです」


 ガッティナーラは卓上に残った杯を見つめた。


「西で戦争を続ければ、東へ回せる力が減る」


「東でオットマンを引きつけてもらえば、西方へ回せる兵力が減る」


 私が続ける。


「つまり、お互いに相手を疲れさせるだけでも意味がある」


「その通りです」


 ガッティナーラが頷いた。


「戦争では、相手を完全に倒すことばかりが利益ではありません」


 その声音は穏やかだった。


「相手の選択肢を減らし、こちらの選択肢を増やす。それだけでも十分に価値があります」


 私はその言葉に頷いた。


 フランケとの戦争を止める。


 ハンガリーが南でオットマンを引きつける。


 サファヴィーが東でオットマンと戦う。


 さらに、フランケとスイスの関係まで変えられる可能性がある。


 いつの間にか、帝国の周囲にはいくつもの線が引かれていた。


「……本当に、地図みたいになってきましたね」


 私が呟くと、ローザリンデが笑った。


「またそれですか?」


「だって、本当にそうなんですよ」


 私は窓の外を見る。


 西にはフランケ。


 南にはイタリア。


 東にはオットマンと、その向こうのサファヴィー。


 そして北東には、オットマンと国境を接するハンガリー。


 どこも同じ考えではない。


 どこも完全な味方ではない。


 それでも、話をしてみれば、協力できるところはある。


「さて」


 フェルディナント大公が立ち上がる。


「次は何処へ手を伸ばす?」


 その問いに、私は少し考えた。


 ハンガリーと話ができた。


 サファヴィーとも情報交換の可能性が見えた。


 ならば、次に考えるべきなのは、その両者の間にある場所だ。


「まずは、ワラキアでしょう」


 私がそう答えると、フェルディナント大公が面白そうに眉を上げた。


「ほう?」


 ガッティナーラも、すぐに意味を察したようだった。


「なるほど。ドナウ方面ですか」


「はい」


 私は頷いた。


「ハンガリーが正面でオットマンを引きつけているなら、その近くで別の圧力をかけられる場所があれば、向こうも好きなようには動けないと思います」


 マルク伯が、また胃の辺りを押さえた。


「……次がもう決まっているのですか」


 フェルディナント大公が笑う。


「どうやら、そうらしいな」


 ガッティナーラも楽しそうに頷いた。


「では、ワラキアについて調べるとしましょう」


 私はそんな二人を見ながら、苦笑した。


 どうやら、まだしばらくは忙しい日々が続きそうだった。

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