次はサファヴィーの使節と話し合ってみた
フランケの使節を迎えた晩餐から、数日が経った。
あの夜、表向きにはフランケとの停戦の可能性を探り、晩餐が終わったあとにはスイスやイタリアの諸勢力に、密かにオットマンへの対処について話を聞いた。
そして今度は、そのオットマンと東方で対峙しているサファヴィー朝の使節と会うことになった。
ただし、今回は大々的な晩餐ではない。
ごく限られた者だけが参加する、小さな食事会だった。
厨房で料理の仕上がりを確認しながら、私は並んだ皿を見渡していた。
「今回は、少し趣向が違いますね」
ローザリンデが、卓上の料理を眺めながら言う。
「はい。前みたいに大勢を招くわけじゃありませんから」
今回の料理は、これまでの晩餐とは少し違う。
羊肉と香草、ヨーグルト、ナッツなどを使った料理を多めにし、中央には米を使った料理も用意している。
逆に、豚肉を使う料理は最初から外してある。
肉についても、できるだけ相手側の習慣に合わせられるよう、調理場で念入りに確認してもらっていた。
そして酒については、いつものように堂々と食卓へ並べることはしない。
「今回は、ヒポクラスは出さないんですよね?」
ローザリンデが尋ねる。
「ええ。さすがに最初から出すのは避けておきます」
「宗教上のことを考えて?」
「はい。それに、わざわざこちらから揉め事の種を置く必要もありませんから」
私はそう答えた。
もちろん、イスラム圏の人々が誰も酒を口にしないわけではない。
けれど、公式の晩餐で堂々と出せば、それをどう受け取るかは相手次第だ。
「ただ……」
私は少し声を落とす。
「もし、ものすごく飲みたそうな顔をしている人がいたら、まあ、そのときは考えます」
ローザリンデが呆れたような顔をする。
「本当に、あなたはそういうところだけ妙に気が利きますね」
「せっかくの客人ですから」
私は笑った。
ほどなくして、使節を迎える準備が整った。
案内された部屋に入ると、皇帝陛下とガッティナーラ、フェルディナント大公、それに私たちだけが席についた。
その向かいに、東方から来たサファヴィー朝の使節が座る。
互いに挨拶を交わす。
使節は落ち着いた物腰だったが、その目は鋭かった。
この男は、今日ここへ来た理由をよく理解している。
最初の料理として、羊肉を使った煮込みを出した。
羊肉に野菜を加え、香草とヨーグルトを合わせている。
さらに、ほんの少しだけサフランを使って香りをつけた。
「これは……羊ですかな」
使節が料理を眺める。
「はい。東方の料理を参考にしました」
「なるほど」
使節は一口食べる。
しばらく味を確かめてから、驚いたように私を見る。
「ヨーグルトを使っている?」
「ええ。肉料理と合わせると、面白い味になりますから」
使節はもう一口食べ、静かに頷いた。
「我々の土地でも、このような組み合わせはあります」
「それなら良かったです」
私が笑うと、使節の口元にも小さな笑みが浮かんだ。
次に運ばれたのは、香草と肉を合わせた料理だった。
香辛料を使っているものの、辛さを前面には出さず、肉の旨味と香りを楽しめるようにしている。
続いて、米を使った料理が運ばれた。
米に肉や香草を合わせ、上から少量のサフランを加えて色と香りをつけている。
使節が目を見開いた。
「米ですか」
「はい」
「帝国でも、これを?」
「大量にあるわけではありませんが、こういう料理には使います」
私は答えながら、使節の反応を見る。
どうやら、こちらはかなり興味を引いたらしい。
「我々の宮廷でも、米は大切に扱われます」
使節の言葉に、ガッティナーラが静かに頷く。
「それなら、この料理を出した意味もあったようですな」
使節は少し笑った。
「ええ。少なくとも、こちらが東方の食文化を全く知らないわけではないことは分かりました」
その言葉に、私は内心で胸を撫で下ろした。
料理は上手くいっている。
ならば、そろそろ本題だ。
食事が一段落したところで、皇帝陛下が杯を置いた。
使節の前には水だけが置かれている。
「さて」
その一言で、空気が変わった。
「本日は、料理を楽しんでもらうためだけにお招きしたわけではない」
使節は姿勢を正す。
「承知しております」
「貴国と我々には、直接争っている問題はない」
「その通りです」
「だが、貴国はオットマンと戦っている」
使節の表情がわずかに引き締まった。
「そして、我々もオットマンを警戒している」
「……西の帝国にとっても、無視できない相手になっているのでしょうな」
ガッティナーラが答える。
「すでに無視できる相手ではありません」
使節はしばらく黙っていた。
やがて、静かに尋ねる。
「それで、何をお望みです?」
皇帝陛下ではなく、ガッティナーラが口を開いた。
「まずは、情報を交換できるかどうかです」
「情報を?」
「オットマンの動きについて、お互いが知っていることを共有する」
使節は考えるように目を伏せる。
「なるほど」
「今すぐ軍事同盟を結べと言っているわけではありません」
ガッティナーラは穏やかに続ける。
「我々は、貴国にオットマンを倒してほしいわけでもありません」
使節が少しだけ眉を上げる。
「では?」
「要は、オットマンが西方へ全力を向けられなければ、それで我々には十分なのです」
ガッティナーラはそう言って、静かに杯を置いた。
「貴国が東でオットマンと対峙していれば、向こうもこちらへ好きなだけ兵を回すことはできない」
使節はじっとガッティナーラを見つめる。
「つまり……」
「貴国は貴国の戦いを続ければよいのです」
ガッティナーラが薄く笑う。
「我々も我々の戦いをする。その結果として、オットマンが東西の両方へ注意を向けなければならなくなる」
「それだけで?」
「それだけで、十分に価値があります」
フェルディナント大公が頷く。
「我々がオットマンのために大軍を東へ送る必要もなくなりますし、貴国も西方まで兵を出す必要はない」
使節は考え込む。
「互いに、自分の戦争をしているだけでも利益が生まれる……そういうことですか」
「その通りです」
ガッティナーラが答えた。
「もちろん、情報を融通してもらえれば、なお有難い」
使節はしばらく黙っていた。
やがて、小さく息を吐く。
「それならば、我々としても話をしやすい」
「でしょうな」
「我々にも、東方で譲れない事情がある」
「こちらにも、西方で譲れない事情がある」
皇帝陛下が静かに頷いた。
「だからこそ、お互いが無理をしない形で協力できればよい」
使節はその言葉を聞き、ようやく少しだけ表情を和らげた。
「情報交換であれば、検討する価値はあるでしょう」
その話が一区切りついたところで、私は使節の前に新しい杯を置いた。
中身は水。
少なくとも、見た目にはそう見える。
「これは?」
使節が不思議そうに杯を覗き込む。
「葡萄酒を、かなり薄く水で割ったものです」
「……ほう」
使節が私を見る。
私は周囲をちらりと見渡した。
その瞬間、隣にいたマルク伯が何かを察したらしい。
「……お前、まさか」
嫌な予感がしたのか、マルク伯は片手で胃の辺りを押さえた。
「ただの水ですよ」
「その言い方をする時点で、ただの水じゃないだろう!」
思わず声を荒らげるマルク伯を見て、私は肩をすくめる。
「まあまあ。かなり薄めてありますから」
「そういう問題ではない!」
マルク伯はさらに胃を押さえながら、皇帝陛下のほうを見る。
「陛下、これを止めなくてよろしいのですか?」
皇帝陛下は杯に一度目を向け、それから使節へ視線を移した。
使節は、まだ杯を手に取らずにこちらを見ている。
陛下はわずかに口元を緩めると、何も言わずに視線を戻した。
その横で、フェルディナント大公が杯を覗き込み、楽しそうに笑った。
「まあまあ。ずいぶん薄めてあるではないか」
「大公殿下まで……」
マルク伯が恨めしそうに見る。
フェルディナント大公は肩をすくめた。
「何、こういう機転は嫌いではないぞ」
そして、面白そうに私と使節を見比べる。
「ただし、私まで共犯にされるのは困るがな」
そう言って、くすりと笑う。
「笑ってないでください!」
私が抗議すると、フェルディナント大公はますます楽しそうな顔をした。
その横でガッティナーラも、肩を揺らして笑っている。
「いやはや」
そして、感心したように私を見る。
「豪胆ですなぁ」
「だから笑ってないでください!」
私が抗議すると、ガッティナーラはさらに楽しそうに笑った。
「しかし、使節殿も嬉しそうではありませんか」
視線を向ければ、サファヴィーの使節はようやく杯を手に取り、その香りを確かめていた。
「……これは、内緒ですな」
使節が声を落として笑う。
「ええ。お互いに」
私は同じように声を落とした。
使節はほんの少しだけ口をつける。
そして、ふっと目を細めた。
「……悪くない」
「それなら良かったです」
「しかし、本当に内緒にしておく必要がありますな」
「そこはよろしくお願いします」
使節が小さく笑う。
マルク伯はそんな二人を見ながら、とうとう頭を抱えるように額へ手を当てた。
「どうしてお前は、料理から外交問題まで増やすんだ……」
「まあまあ」
ガッティナーラが笑いながらマルク伯の肩を叩く。
「これも外交の一つでしょう」
「絶対に違う!」
思わずマルク伯が言い返す。
フェルディナント大公も、そのやり取りを見ながら楽しそうに笑っている。
「まあ、食事の席でこれくらいの遊び心があるほうが、話も固くなりすぎなくていいではないか」
「殿下まで肯定しないでください……」
マルク伯はさらに胃の辺りを押さえた。
その様子を見て、皇帝陛下まで小さく笑った。
大きな政治の話をしている最中なのに、その一瞬だけは妙に気楽だった。
しばらくして、最後の料理を運ばせた。
果物とナッツを使った甘味だった。
砂糖は控えめにし、果物そのものの甘さを活かしている。
使節が一口食べる。
「これも東方を意識されましたか?」
「少しだけ」
「なるほど」
使節は笑った。
「本日の料理は、最初から最後まで我々のことを考えていただいたようですな」
「せっかく遠くから来ていただいたんですから」
私は笑って答える。
「食事くらいは楽しんで帰ってもらいたいですからね」
使節はしばらく私を見ていた。
やがて、小さく頭を下げる。
「料理というものは、不思議ですな」
「不思議?」
「遠く離れた国でも、同じものを美味しいと思える」
その言葉に、私は頷いた。
「戦争とは、ずいぶん違いますね」
使節は一瞬だけ驚いた顔をし、それから静かに笑った。
「ええ」
やがて会談が終わり、使節が退出する。
私はその背中を見送りながら、少しだけ考えていた。
フランケとは、まだ戦争中。
イタリアの諸勢力とも、完全に手を組んだわけではない。
スイスとも同じだ。
それなのに、東方では別の相手と協力できる可能性が見えてきた。
「どうでした?」
ローザリンデが尋ねる。
「まだ何も決まってません」
私は答える。
「でも、可能性はありそうです」
「オットマンについて?」
「はい」
私は皿の上に残った米粒を眺めながら、先ほどの言葉を思い出す。
同じ敵を持っているからといって、すぐに友人になれるわけではない。
それでも、相手が何を望み、こちらが何を望んでいるのかを知れば、協力できる場所が見えてくる。
西ではフランケとの停戦を探る。
南ではイタリアやスイスとの協力を探る。
そして東では、サファヴィー朝とオットマンへの対処について話をする。
帝国の外交は、少しずつ複雑になっていた。
「……なんだか、急に世界が広くなった気がします」
私がそう呟くと、ローザリンデが笑う。
「今さらですか?」
「いや、本当にそう思ったんですよ」
私は窓の外へ目を向ける。
この先、オットマンがどう動くのかは分からない。
サファヴィーがどこまで協力するのかも分からない。
フランケとの戦争だって、まだ終わっていない。
けれど、少なくとも今日、帝国は東方に一つの細い線を引くことができた。
その線がどこまで伸びるのか。
それは、これからの交渉次第だった。




