ヴェネツィア使節との晩餐
晩餐当日、私は厨房の隅で最後の確認をしていた。
ローザリンデが皿の並びを確かめながら、横目で私を見る。
「緊張していますか?」
「ちょっとだけ」
そう答えながらも、私は皿の盛りつけが少しでも崩れていないか気になって何度も確認してしまう。
ローザリンデはそんな私を見て小さく笑った。
「試食のときより落ち着いているようには見えませんが」
「だって今回は本番ですから」
そう言っていると、晩餐の席に客たちが入ってきた。
皇帝陛下とフェルディナント大公、ガッティナーラ、マルク伯に加えて、ヴェネツィアから来ている使節たちが席につく。
最初の給仕では、魚と豆を組み合わせた料理を出した。
料理を見たヴェネツィアの使節の一人が、思わず目を細める。
「これは……魚と豆ですか」
「ええ」
私が少し身を乗り出して答えると、その使節は香りを確かめ、それから一口食べた。
やがて表情が柔らかくなり、隣の使節と視線を交わす。
「こういう組み合わせは、私たちにも馴染みがあります」
その反応を見て、私は小さく胸を撫で下ろした。
ガッティナーラはその様子を横から静かに見守っている。口元にはわずかな笑みが浮かんでいた。
「最初の一皿で、きちんと橋を架けられたようですな」
次の給仕では、帝国の仔牛肉を出した。
今度はヴェネツィアの使節たちが皿をじっと見つめる。
一人が衣を指先で示しながら尋ねた。
「こちらは帝国側の料理ですかな?」
「そうです」
私は嬉しそうに頷いた。
「新しく考えた帝国料理です」
使節は一口食べると、今度は先ほどとは違う表情でゆっくりと噛みしめた。
「なるほど。さきほどとは違う。こちらが、帝国が見せたい味ということですな」
皇帝陛下はその言葉を聞いて、わずかに目を細めた。
「その通りだ」
陛下が静かに答えると、使節は恭しく頭を下げた。
そこへトマトとチーズの料理、続いてジャガイモの料理が運ばれてくる。
ヴェネツィアの使節たちは、今度は料理そのものよりも、素材のほうへ興味を示した。
「この赤いものは?」
「トマトです。新大陸から伝わった作物ですよ」
「そしてこちらはジャガイモです」
私は二つの皿を順番に指し示した。
フェルディナント大公が、その説明を引き継ぐように口を開いた。
「どちらも宮廷だけの珍品として扱うつもりはない。農村での栽培や食料としての利用も考えている。小麦の生産が難しい地域でも使える可能性があるからな」
ヴェネツィアの使節は興味深そうに大公の話を聞き、時折頷いている。
「なるほど。料理として出されながら、その向こうに農業や交易まで見えてくるわけですか」
「そういうことです」
ガッティナーラが静かに応じた。
「一つの皿だけではありません。この晩餐全体をご覧いただければ、何を取り入れ、何を守り、これから何を取り入れようとしているのかが分かるでしょう」
その言葉に、私は思わず嬉しくなった。
まさに、自分が考えていたことそのものだった。
最後の給仕では、菓子と蒸留酒を出した。
ふんわりとした菓子と、バターを使った少し重めの菓子を並べ、その横へ砂糖と柑橘の果汁を加えた酒を置く。
ミントの香りがふわりと立ち上る。
ヴェネツィアの使節がグラスを手に取ると、香りを確かめるように鼻を近づけ、それから一口飲んだ。
「これは面白い」
「甘さや柑橘の量を変えられるので、相手によって調整できます」
私が説明すると、使節は楽しそうに笑った。
「最後まで、相手に合わせることを忘れないのですな」
「もちろんです」
私が胸を張ると、マルク伯が小さく吹き出した。
「最後はやっぱり酒か」
「大事ですよ」
私が振り向いて言うと、マルク伯は「分かっている」とばかりに肩をすくめた。
やがて料理が一通り下げられ、しばらくの間、食事の余韻を楽しむ時間が流れた。
ヴェネツィアの使節は皇帝陛下へ視線を向けると、ゆっくりと頭を下げた。
「本日の晩餐、実に興味深いものでした」
皇帝陛下が静かに頷く。
「どのような点が?」
「最初の料理では、私たちが知る食文化を感じました。そのあとには帝国の料理があり、さらに新大陸の作物まで出てきた」
使節はここで一度言葉を切り、先ほどの料理を思い返すように目を細めた。
「一つの晩餐で、帝国が何を取り入れ、何を自分たちのものとして育て、これから何を取り入れようとしているのかが見えました」
その言葉に、皇帝陛下は満足そうに微笑んだ。
「ならば、この料理には意味があったようだな」
「はい。大いに」
使節が頷く。
その横でガッティナーラが私へ視線を向け、ほんの少しだけ口元を上げた。
「伝わったようですな」
「……はい」
私は頷きながら、自分が作った料理の並んでいた皿を見た。
相手に合わせる料理だけではない。
帝国の料理を見せ、新しい作物を見せ、その先にある未来まで伝える。
そう考えると、今日の晩餐は単なる食事ではなかった。
食卓そのものが、帝国の地図になっていたのだ。
そして、私はもう次のことを考え始めていた。
「……次は、もっと良くできそうです」
思わず口にした私を見て、マルク伯が呆れたように眉を上げる。
「お前、もう次の試食を考えているのか?」
私は笑いながら頷いた。
「もちろんです」
そんな私を見て、ローザリンデも困ったように笑う。
「やはり、こうなると思っていました」
ガッティナーラは小さく肩をすくめ、フェルディナント大公は苦笑しながらもどこか楽しそうに頷いていた。
皇帝陛下だけは、そんな私たちの様子を静かに眺めながら、満足そうにグラスを傾けていた。




