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農業大学生、異世界で皇帝に呼ばれる――「迷い鳥」は国を変える  作者: 水源


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船を使って輸送を行うことを考えたらなんだか色々アイデアがでてきてしまった

 翌日、私はマルク伯とガッティナーラを呼び、昨日の街歩きで考えたことについて話をすることにした。


「昨日、街を歩きながら保存食について考えていたんですが、少し面白いことに気がつきました」


 そう切り出しながら、私は二人の顔を交互に見た。


 マルク伯は椅子の背にもたれ、片方の眉をわずかに上げながら私の顔を見つめている。表情には「また何か思いついたのか」とでも言いたげな苦笑が浮かんでいた。一方、ガッティナーラは机の上に両手を置いたまま姿勢を正し、興味深そうに目を細めて、私が続きを話すのを静かに待っている。


「また何か思いついたのですかな?」


 マルク伯は少し首を傾け、口元に苦笑を浮かべながら尋ねた。


「はい。塩漬けにした野菜や干し肉、燻製肉、それに脂で保存する食品や乾燥豆などです。こういう保存食が増えれば、軍隊が遠くまで行動できるようになりますよね」


 私はそう答えながら、机の上に広げた地図の脇へ手を置いた。


 ガッティナーラは私の言葉に合わせるように小さく頷き、途中で一度だけ視線をマルク伯へ向けてから、再び私へ戻す。


「もちろんです。兵站は軍事行動を支える重要な要素ですからね」


 ガッティナーラは落ち着いた声で答えながら、右手の指先で顎を軽く撫でた。その仕草には、保存食と軍事行動の関係を頭の中で整理している様子が表れていた。


「でも、それって陸軍だけじゃないんじゃないかと思ったんです」


 私は少し身を乗り出し、机の中央へ視線を落とした。


「船でも同じですよね?」


「船、ですか?」


 マルク伯が聞き返しながら、椅子から少し身体を起こす。意外そうに目を見開いた彼は、私の次の言葉を待つように顔をこちらへ向けた。


「はい。船なら馬車と違って、移動中に大量の馬の餌を用意する必要がありません。もちろん船員の食料や水は必要ですが、大量の物資を一度に運ぶなら、陸路より海路のほうが効率がいい場合があります」


 私は両手を軽く広げ、馬車と船の違いを示すようにしながら説明する。


 マルク伯は腕を組み、ゆっくりと地図へ目を落とした。海岸線に沿って視線を動かし、ときおり指先で港の位置をなぞっている。


「確かに、港から港へ運べるのであれば、陸路で何百台もの馬車を動かすより効率がいい場合もあるでしょうな」


 そう呟いた彼は、最後に指先で地図を軽く叩いた。


「だったら、保存食を軍隊のためだけに考えるんじゃなくて、船で運ぶ物資として考えてみてもいいんじゃないでしょうか」


 私は地図の上へ身を寄せ、イタリア方面を指差した。


「例えばイタリア方面です。戦争になれば大量の食料や武器が必要になります。でも、全部を陸路で運ぶ必要はない。港まで運んで、そこから船で輸送する。イタリア戦線でもこれが使えるようになれば、陸路だけに頼るより、こちらの負担をかなり減らせるんじゃないでしょうか」


 私が指先で港からイタリア方面へ経路を示すと、ガッティナーラもその動きを追うように視線を移した。


「なるほど……」


 彼は小さく息を吐くように呟き、地図の上へ指を置いた。


「まずは現在必要とされている場所で海上輸送を活用し、それによって陸路の負担を減らす。そこで実際の有用性を確かめてから、さらに遠くへ物資を運ぶ方法を考えるわけですね」


「そうです」


 私はすぐに頷いた。


「だったら、まずはイタリア戦線で実際に使ってみて、有用性を確かめてみてもいいと思います。そこでうまくいくなら、そのやり方を別の場所にも使えないか考えていくんです」


 そう言いながら、私は地図の上でイタリアから東へ視線を移した。


「例えば、今オットマンに攻撃されているロードスです」


 私がその名前を口にすると、マルク伯とガッティナーラも自然と地図の一点へ目を向けた。


「そこへ食料や武器、弾薬を送り込めないかと思ったんです。兵士を大勢送り込む必要はありません。もちろん可能なら援軍もいいですが、それ以上に重要なのは、守備側が長く戦えるようにすることです」


 私はロードスの位置を指で押さえ、その周囲の海上をゆっくりとなぞった。


「包囲戦を長引かせる、と」


 ガッティナーラが私の指先を追いながら尋ねる。


「はい。食料や武器、火薬などを送り続けられれば、オットマン側は予定より長く兵を拘束されるかもしれません」


 私は頷きながら答える。


 マルク伯は地図から顔を上げると、今度は私の目をまっすぐ見た。眉間にはわずかに皺が寄っているが、その表情には先ほどまでの半信半疑な様子はなくなっていた。


「それだけでも、オットマンにとっては厄介でしょうな」


「そう思います」


 私は少し安心したように微笑み、今度は地図を南へ滑らせた。


「それから、もう一つあります」


 私がそう言った瞬間、マルク伯は露骨に肩を落とした。


「まだあるのですか?」


 わざと疲れたように息を吐きながら尋ねる彼を見て、私は思わず苦笑した。


「あります」


「エジプト……」


 私がそう口にすると、ガッティナーラはそれまで柔らかかった表情を引き締めた。


「オットマンは数年前にエジプトを手に入れたばかりですよね。だったら、以前のマムルーク側にいた人たちの中には、オットマンに不満を持っている人間もいるんじゃないでしょうか」


 私は地図を見下ろしながら慎重に話す。


「もしそういう勢力が残っているなら、資金や武器を渡して、オットマンに対する抵抗を続けさせることはできないでしょうか」


 ガッティナーラはすぐには答えなかった。


 片手を顎へ添え、目を細めたまま地図を見つめている。やがてゆっくりと顔を上げ、私へ視線を戻した。


「なるほど。オットマンの領土内に、別の問題を作るわけですね」


「そうです。もちろん、誰でもいいから支援すればいいとは思っていません。こちらにとって利用できる勢力なのか、支援した場合に何が起きるのかは調べる必要があります。でも、もし使えるなら、オットマンに兵力を分散させられると思います。私たちの国だって、みんなが同じ考えを持っているわけじゃないですよね。だったら、オットマンだって同じなんじゃないかなって」


 私は少し首を傾けながら答えた。


 ガッティナーラは一瞬だけ目を細め、それから小さく頷いた。


「なるほど。実に素朴な考え方ですが……だからこそ分かりやすい」


「素朴、ですか?」


 私が少し不満そうに眉を寄せると、ガッティナーラは苦笑した。


「悪い意味ではありませんよ。あなたは複雑な外交用語から考えているのではなく、『こちらにも意見の違う人間がいるのだから、向こうにもいるだろう』と考えている。それを実際の外交に落とし込むには、こちらで情報を集めて検討する必要がありますが、発想の出発点としては十分でしょう」


「なるほど……」


 私は素直に頷いた。


 そのとき、私はふと以前に聞いた歴史の話を思い出した。


「……そういえば、後の時代にナポレオンがエジプトへ遠征していますよね」


「ナポレオン?」


 マルク伯が怪訝そうに眉を寄せた。


「あ、いえ……今は関係ない話です」


 私は慌てて片手を振った。


 けれど、その瞬間、頭の中で何かが繋がった。


「いや……関係あるかもしれません」


 今度は自分でも分かるほど表情が真剣になる。


「どういうことです?」


 ガッティナーラが身体を少し前へ傾け、私へ聞き返した。


「エジプトへ軍隊を送るだけじゃ駄目なんです」


 私は地図の上に置いた指を止め、その先を見つめた。


「現地で戦う兵士がいても、食料も武器も弾薬も届かなければ長続きしません。つまり、遠く離れた場所で戦うなら、海上輸送そのものが重要になるんです」


 ガッティナーラは静かに頷きながら、今度は地図の海へ視線を落とした。


「兵站が戦争を支える、ということですか」


「そこまで大げさに言えるかは分かりません。でも、少なくとも、戦える兵士を送るだけでは意味がないと思います」


 私は一度だけ息をつき、海の上へ視線を移した。


 それから、思いついた結論をそのまま口にする。


「だから……海軍が必要なんじゃないでしょうか」


 その瞬間、マルク伯とガッティナーラが同時に私へ顔を向けた。


 マルク伯は腕を組んだまま目を丸くし、ガッティナーラはわずかに身を乗り出している。


「もちろん、いきなり巨大な戦列艦を大量に作る必要はありません。まずは物資を運べる輸送船を確保して、その船を守れる護衛船を増やす。そうやって少しずつ海上輸送能力を作っていくんです」


 私は二人の反応を見ながら、両手を少し広げた。


「海軍を戦うためだけの組織ではなく、まずは物資を運び、それを守るための組織として考えるんです。そうすれば、イタリア戦線の負担を減らすところから始めて、ロードスやエジプトへの支援にも繋げられると思います」


「なるほど……」


 マルク伯は地図を見つめながら、ゆっくりと頷いた。


「まずは輸送、それを守る。そこから必要に応じて能力を増やしていくわけですな」


「はい」


 私は頷いた。


「まずはイタリア方面への輸送で実用性を確かめる。そこでうまくいけば、ロードスへの支援にも応用する。そして、その先にはエジプトもある。そうやって少しずつ使える範囲を広げていけばいいと思います」


 そのときだった。


「随分と面白い話をしていますね」


 背後から声がした。


 私たちは一斉に入口へ振り返った。


 そこにはフェルディナント大公が立っていた。


「大公殿下……」


 私は慌てて立ち上がろうと腰を浮かせたが、大公はすぐに片手を上げ、穏やかに制した。


「そのままで構いません」


 そう言った大公は、どこか楽しそうに目を細めている。


「保存食の話をしていたと聞いたのですが、いつの間に海軍の話になったのです?」


 大公が苦笑しながら尋ねると、マルク伯は両手を軽く上げ、「私に聞かれても分からない」とでも言いたげに肩をすくめた。


「私にもよく分かりません。ですが、話を聞いていると筋は通っております」


 私は少し照れたように視線を逸らし、それから大公へ向き直った。


「保存食を増やすことで遠征軍の兵站を改善する。船で大量の物資を運べるようにする。そして、まずはイタリア戦線で実際に使ってみる。そのうえで、ロードスやエジプトにも同じやり方を使えるか考えるんです」


「そして海軍を整備する、と」


 大公は私の顔を見つめたまま、確認するように言った。


「はい。ただ、最初から大規模な海軍を作るのではなく、輸送船と護衛船を少しずつ増やしていく形です」


 フェルディナント大公は腕を組みながら、地図を見つめた。


「研究する価値はありそうですね。すぐに実行すると決めるのではなく、必要な船の数、費用、港湾設備、船員の確保、そして航路の安全性を調べてみましょう」


「はい」


 私は素直に頷いた。


 大公の判断に一度話が収まり、私は小さく息を吐く。


 けれど、そこで私はもう一つ思いついてしまった。


「それに……」


 私が口を開いた瞬間、マルク伯が「またか」と言いたげに目を細める。


「まだ何かありますか?」


 私はその反応に苦笑しながら答えた。


「なんでしたら、サファヴィー朝にも使者を出してみてもいいかと」


 ガッティナーラが顔を上げる。


「サファヴィー朝、ですか?」


「はい。オットマンとは敵対しているはずでしたよね?」


 私は確認するように首を傾げ、ガッティナーラの反応を見る。


 彼はすぐには返事をせず、顎に手を添えた。


「確かに、サファヴィー朝とオットマンの間には対立があります。しかし、それだけで我々とサファヴィー朝が容易に手を結べるということにはなりません」


「もちろん、それは分かっています。ただ、同盟を結ぶことだけが目的じゃありません」


 私は地図の東側へ指を滑らせた。


「まずは使者を送って、向こうが何を考えているのか探ってみるんです。オットマンに対してどの程度の敵意を持っているのか、こちらと何か協力できることがあるのか。それを調べるだけでもいいと思います」


 マルク伯は腕を組み直し、地図をじっと見つめた。


「つまり、西からロードス、南からエジプト、そして東からサファヴィー朝……オットマンが一つの方向だけを見ていれば済む状況を崩す、と」


 彼がゆっくり顔を上げる。


「そうです」


 私は頷き、二人へ視線を向けた。


「戦争って、結局は相手が嫌がることをするものじゃないですか?」


 マルク伯は一瞬言葉を失ったあと、思わず額へ手を当てた。


「また随分と乱暴な言い方をしますな」


「言い方は乱暴かもしれませんけど、私はそういう意味で考えています。相手が嫌がることを、こちらが無理をしすぎない範囲で増やしていく。そうすれば、向こうはその分だけ兵士やお金を使わなければならなくなるんじゃないかなって」


 私は少し考えながら言葉を続ける。


「例えば、こちらが何か一つやることで、向こうが十人の兵士を別の場所へ動かさなきゃいけなくなるなら、それだけでも意味があると思うんです」


 マルク伯は私の言葉を聞き、ゆっくりと頷いた。


「なるほど……敵に十人の兵を別の場所へ動かさせることができれば、それだけでも戦場にいる敵兵を減らせる。必ずしも一人の敵兵を倒す必要はない、という考えですな」


「はい。私はそういうつもりです」


 私は真面目に頷いた。


 すると、それまで黙って聞いていたガッティナーラが、地図からゆっくり顔を上げた。


「『嫌がらせ』という言葉は、外交の場では少々乱暴ですが……考え方そのものは理解できます」


「やっぱり言葉は悪いですか」


 私が苦笑すると、ガッティナーラもわずかに口元を緩めた。


「ええ。しかし、外交というものは、単に戦争を避けるためだけにあるわけではありません。相手の選択肢を狭め、こちらの選択肢を増やし、必要ならば相手に別の問題への対応を迫る。それも外交の役割です」


 彼はそこで言葉を切り、私の目をまっすぐ見た。


「ただし、支援する相手を間違えれば、こちらが別の問題を抱えることになります。誰に何を与え、何を約束し、どこまで関与するのか。それは慎重に決めなければなりません」


「分かりました。まずは調べるところからですね」


 私は頷き、素直に答えた。


「その通りです」


「だったら、オットマンが嫌がることを一つずつ調べて、こちらが無理なくできることを探していけばいい」


 私がそう言うと、ガッティナーラはしばらく黙って私を見つめていた。


 やがて、その目元がわずかに和らぐ。


「あなたは単純な言葉で考えていますが、実際には『外交と戦争を別々に考えず、一つの大きな戦略として考える』ということなのでしょうね」


「……そんな難しいことを考えていたつもりはないんですが」


 私は困ったように笑い、頬を指先で軽く掻いた。


 ガッティナーラはそんな私の様子を見て、ふっと穏やかな笑みを浮かべた。


「なるほど……」


 その声に、私は顔を上げる。


 ガッティナーラはまっすぐ私を見つめながら、どこか納得したように小さく頷いた。


「我が神聖帝国に、あなたが迷い鳥として現れた理由が、そして皇帝陛下があなたを大切に扱っている理由も、少し分かったような気がします」


「え……?」


 私は思わず目を瞬かせた。


 予想していなかった言葉に、さっきまでの真面目な表情が崩れ、困惑したように首を傾げる。


「急に何を言い出すのです?」


 マルク伯も驚いたようにガッティナーラへ顔を向けた。


 彼が片眉を上げたまま尋ねると、ガッティナーラは小さく笑った。


「これほど次々と既存の枠組みを飛び越えて物事を結びつける人間が、そう何人もいるとは思えませんからね」


 そして彼は再び私へ向き直る。


「保存食の話から兵站を考え、兵站から海上輸送を考え、そこから海軍、ロードス、エジプト、サファヴィー朝との外交へと繋げていく。しかも、それを本人はさほど難しいことだとは思っていない」


 私は何とも言えない表情になり、頬を指先で軽く掻いた。


「そう言われると、なんだか大げさなことをしているみたいですけど……」


 するとガッティナーラは首を横に振り、今度は少し真剣な顔になった。


「実際、大きなことですよ」


 声を落としてそう言った彼は、私を安心させるように柔らかな笑みを浮かべる。


「迷い鳥殿は、下手な外交官や官僚、地方領主などより、ずっと優秀ですな」


「そんな……」


 私は思わず目を丸くし、困ったように両手を振った。


「私はただ、思いついたことを話しているだけですよ」


「その『思いついたこと』が、問題なのですよ」


 ガッティナーラは苦笑しながら私を見る。


「普通の人間なら、保存食の話をして終わるでしょう。そこから海上輸送を考え、さらに海軍へ繋げ、ロードス、エジプト、サファヴィー朝との関係まで考える者は、そう多くありません」


 その言葉を聞きながら、私はなんとも言えない表情で頬を掻いた。


「そういうものなんでしょうか……」


「少なくとも、私にはそう見えます」


 ガッティナーラが穏やかにそう答える。


 すると、横で話を聞いていたマルク伯が、何とも言えない表情を浮かべた。


「……優秀なのは否定しませんが」


 そう前置きした彼は、私とガッティナーラを交互に見たあと、深いため息を吐いた。


「その結果として、街を歩けば仕事が増え、部屋で話をすれば仕事が増え、保存食の話をしていたはずが海軍の調査まで増えるのですぞ」


 私は思わず苦笑してしまった。


「……それは、すみません」


「謝って済む話なら、私はここまで疲れておりません」


 マルク伯はそう言いながら額を押さえたが、その口元には隠しきれない苦笑が浮かんでいた。


 その横顔を見ながら、マルク伯は胸の内で小さくため息をついた。


 最初にこの女性と出会ったときは、どこか儚げで、少し目を離せば風にさらわれてしまいそうな人だと思っていた。


 それが今ではどうだ。


 保存食の話から軍の兵站を考え、海上輸送へ目を向け、海軍の整備を口にし、ロードスやエジプトへの支援を考え、さらにはサファヴィー朝にまで使者を送ろうとしている。


 しかも、それを本人は特別なことだと思っている様子がない。


「……最初は儚い感じの女性に思えたのにな……」


 マルク伯が思わず小さく漏らすと、私は聞き取れなかったので、きょとんとした顔で彼を見る。


「何か言いました?」


「いえ、何でもありません」


 マルク伯は慌てて首を横に振った。


 ガッティナーラはそんな二人の様子を横目で見て、口元をわずかに緩める。


「ですが、だからこそ皇帝陛下が大切に扱う理由も分かるのでしょう」


「そこは、まあ……」


 マルク伯は渋々といった様子で頷いた。


「認めざるを得ませんな。実際、我が国の選択肢はかなり増えると思いますし」


 その言葉を聞いて、私はますます居心地が悪くなり、視線を地図へ逃がした。


「……そこまで言われると、なんだか恥ずかしいんですが」


「迷い鳥殿が照れる必要はありませんよ」


 ガッティナーラは穏やかな笑みを浮かべながら、そう言った。


「ただし、次に何を思いつくのかについては、私も少々怖くなってきましたが」


 それを聞いたマルク伯が、間髪入れずに頷いた。


「そこだけは私も同意します」


 私は二人の顔を見比べ、少しだけ申し訳なさそうに笑った。


 保存食の話から始まったはずだった。


 それがいつの間にか、海上輸送、海軍、ロードス、エジプト、そしてサファヴィー朝との外交にまで話が広がっている。


 自分でも、少し話が大きくなりすぎた気がした。


 けれど、それでも一つだけ確かなことがある。


 戦争というものは、戦場で兵士同士がぶつかるだけではない。


 食料を運び、武器を運び、金を送り、味方を増やし、敵に別の場所を警戒させる。


 そうした一つ一つの積み重ねによって、相手が自由に動ける範囲を狭めていく。


 そういう考え方もあるのだろう。


 私はそこでふと顔を上げ、ガッティナーラとフェルディナント大公を見た。


「でしたら、よろしければ皇帝陛下のお耳にも入れておいてください」


 私がそうお願いすると、ガッティナーラは一瞬だけ目を見開いたあと、すぐに表情を引き締め、静かに頷いた。


「承知しました。これは私からも、皇帝陛下へお伝えしておきましょう」


 フェルディナント大公も腕を組みながら私を見つめ、しばらく考えたあと、穏やかな笑みを浮かべた。


「それがよいでしょう。今回の話は、単なる思いつきとして片付けるには大きすぎます。私からも必要な部分について報告しておきましょう」


「ありがとうございます」


 私は少しほっとしたように笑った。


 一方、マルク伯だけは、二人のやり取りを聞いた途端に目を閉じ、額へ手を当ててしまった。


「……ついに皇帝陛下への報告まで増えましたか」


 その声には呆れと疲労が滲んでいたが、不思議と本気で嫌がっているようには聞こえない。


「しかも、その報告書をまとめるのは誰だと思っているのですかな」


「……えっと」


 私は気まずそうに目を逸らした。


 その様子を見て、ガッティナーラが吹き出すように笑う。


「では、マルク伯。私も手伝いましょう」


「そう言っていただけるなら助かります」


 マルク伯はようやく顔を上げ、ガッティナーラへ恨めしそうな、それでいてどこか安心したような視線を向けた。


 フェルディナント大公もそんな二人のやり取りを見て、小さく笑っている。


 どうやら私はまた、余計な仕事を増やしてしまったらしい。


 それでも、自分が思いついたことがこの国にとって役に立つかもしれないのなら、話しておく価値はあると思っていた。


「……ところで」


 マルク伯が突然こちらへ顔を向けた。


「保存食の話は、まだ終わっていないのですかな?」


「あ」


 私は目を瞬かせた。


「そうでした」


「やはり忘れていましたか」


 マルク伯が呆れたように額を押さえる。


「いえ、忘れていたわけではなくて……」


 私は苦笑しながら片手を振った。


「では、続きをどうぞ」


 マルク伯に促され、私は改めて保存食について考え始めた。


「船って、航海中でも少しなら新鮮な野菜を用意できるんじゃないでしょうか」


「……今度は何です?」


 マルク伯が疲れたような顔をこちらへ向ける。


「乾燥したエンドウ豆を水に浸しておくんです」


 私は人差し指を立て、思いついた方法を説明した。


「日の当たらない船倉でも、水を吸わせれば芽が出ますよね。いわゆるスプラウトです。これなら航海中でも新鮮なものを食べられる」


 ガッティナーラが目を丸くし、思わず身体を前へ傾けた。


「船の中で野菜を育てる、と?」


「大規模には無理です。でも、補助的なものならできます。乾燥豆は保存が利きますし、水さえ確保できれば芽を出させられる。長い航海で不足しやすい新鮮な食材を、少しでも補えると思います」


 私は両手を軽く広げて規模の小ささを示した。


「もちろん、衛生管理は必要になります。水が汚れていれば逆効果ですし、大量に作れるわけでもありません」


 私は少し考えてから、言葉を続ける。


「それでも、保存食をそのまま食べるだけではなく、航海中に少し形を変えて利用できるというのは大きいと思います」


 乾燥豆として船に積み込んだ食料が、航海の途中で芽を出し、新鮮な食材として食卓に戻ってくる。


 そう考えると、私は自然と口元を緩めた。


「つまり……」


 私は船倉を頭の中に思い浮かべるように目を細めた。


「船って、ただ食料を保管して運ぶ場所じゃなくて、運んでいる食料を途中で少し加工して使う場所にもできるんじゃないでしょうか」


 マルク伯はしばらく黙っていた。


 やがて力が抜けたように椅子の背へもたれかかり、片手で額を覆う。


「保存食の話から海軍の話になったと思ったら、最後は船倉で豆を芽吹かせる話ですか……」


 その呆れた声に、私は思わず肩をすくめて笑った。


 ガッティナーラもとうとう堪えきれなくなったのか、口元を手で隠しながら小さく笑っている。


「ですが、悪くありません」


 やがて彼は表情を改め、私へ穏やかな視線を向けた。


「長期航海を考えるなら、そうした小さな工夫の積み重ねも重要になるでしょう」


 私は嬉しそうに頷いた。


「だったら、これも調べてみましょう」


 こうして、昨日の街歩きから始まった保存食の話は、イタリア戦線での海上輸送、ロードスへの支援、エジプトへの応用、海軍の整備、サファヴィー朝との外交、皇帝陛下への報告、そして船上でのスプラウト栽培にまで広がっていったのだった。

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