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農業大学生、異世界で皇帝に呼ばれる――「迷い鳥」は国を変える  作者: 水源


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街歩きは発見の宝庫

 ――翌日。


 朝の仕事を一通り終えたところで、私は机の上に積まれていた書類から顔を上げた。ここ数日は第五回実地試験の整理に加えて、昨日はマルク伯やガッティナーラからイタリア情勢について詳しく話を聞き、そのまま戦術や兵站の話にまで広がってしまった。さすがに今日は、少し違うことをしたいと思っていた。


「マルク伯、今日は少し街へ出てみませんか?」


 私は執務室にいたマルク伯へ声をかけながら、持っていた筆を机の上へ置いた。そして、ここ数日の疲れをほぐすように軽く肩を回してから顔を上げると、書類に目を通していたマルク伯が手元の書類を少し下げ、意外そうに眉を上げながら私の顔を見た。


「街へ?」


「はい。別に何か大きな用事があるわけじゃありません。ただ、最近ずっと宮殿の中で仕事ばかりしていたので、息抜きも兼ねて少し外を歩いてみたいなと思いまして。ついでに市井の食料や流通事情も見てみたいですし」


 私は少し照れくさそうに苦笑しながら説明した。


「なるほど」


 マルク伯は私の顔をしばらく見つめたあと、納得したように小さく頷き、口元を緩める。


「それなら、私がお供しましょう」


「えっ、マルク伯が?」


 私は思わず目を見開き、驚いた顔でマルク伯を見る。そんな私の反応に、マルク伯はわずかに口元を上げながら苦笑した。


「何か問題でも?」


「いえ、そういうわけでは。ただ、マルク伯って、こういう街歩きにはあまり興味がなさそうなイメージがあったので」


 私が少し申し訳なさそうに眉を下げて言うと、マルク伯は肩をすくめるようにしながら笑い、椅子から立ち上がって軽く衣服を整えた。


「失礼ですな。私は軍人貴族ですが、街を歩くことくらいありますぞ。それに護衛や案内役は必要でしょう?」


 そう言って私を見たマルク伯の表情には、呆れたような、それでいてどこか楽しそうな笑みが浮かんでいた。


「それなら、お願いします」


 私は安心したように笑いながら頷き、同じように立ち上がった。


 こうして私たちは、護衛を最小限にして宮殿の外へ出ることになった。


 宮殿の中にいると、どうしても目に入ってくるのは貴族や役人、それに訪ねてくる商人や使者たちばかりだ。けれど、少し街へ出れば景色はまるで違う。通りには荷物を積んだ荷車が行き交い、商人たちが声を張り上げて客を呼んでいる。店先には野菜や果物、パン、肉、魚などが並べられ、歩いているだけでも人々の生活が目に入ってくる。


 野菜の中にはキャベツやニンジン、カブ、タマネギ、リーキ、豆など、見慣れたものが多い。果物もリンゴや梨、ブドウなどが並び、肉屋では牛肉や豚肉、羊肉、鶏やガチョウなどが売られている。魚屋にはコイやカワマス、ナマズだけでなく、鱒やイワナに似た冷たい水に棲む魚も並べられていた。


 ――へえ、鱒もあるんだ。イワナみたいな魚までいるのかな。


 日本のヤマメやイワナを思い出しながら眺めていると、同じ鱒の仲間でも、住んでいる場所や姿によっていろいろな種類がいるのだろうなと思う。もちろん、日本にいる魚とまったく同じものがいるわけではないのだろうけれど、それでもこうして魚を眺めていると、故郷の川や渓流のことを少し思い出した。


 パン屋の店先には、ずっしりとした黒っぽいパンや、少し色の明るい混合パン、小麦粉を使った白いパンが並べられている。その中には、卵やバターなどを使ったのか、表面がつややかに焼き上がった、見るからに贅沢そうな小ぶりのパンや焼き菓子もあり、私は思わず足を止めそうになった。


 ――なんだか、ブリオッシュみたいなパンもあるんだ。


 そんな感想が頭をよぎったものの、さすがに現代のものとまったく同じというわけではないのだろう。それでも、普通のパンよりずっと手間も材料もかかっていそうで、こういうものはやはり裕福な人向けなのだろうなと思う。


 その光景を眺めているうちに、私はふと、今まさに自分が広めようとしている作物のことを思い出した。


 ジャガイモ、トマト、トウモロコシ、ピーマン、トウガラシ、それにサツマイモ。どれもこれから広めていく予定の新大陸由来の作物で、今のエスターラントでは、少なくとも普通の市場で当たり前のように見かけるようなものではない。今の市場に並んでいるのは、これまでこの土地で食べられてきた作物が中心なのだ。


「……やっぱり、まだこういうところには出てこないか」


 私は店先に並ぶ野菜へ視線を向けたまま、少し残念そうに眉を寄せて呟いた。その声を聞いたマルク伯は、私の横顔を覗き込むように首を傾げる。


「何がです?」


「いえ。ちょっと考え事をしていただけです」


 私は小さく首を振り、何でもないように笑った。


 そう答えながら店先に並ぶ野菜を改めて眺めていると、いずれはこの市場にもジャガイモやトウモロコシが並び、トマトやトウガラシ、ピーマン、サツマイモまで普通に売られるようになるのだろうかと思えてきた。そんな未来を想像すると、なんとなく不思議な気持ちになった。


「……やっぱり外に出ると違いますね」


 私は歩調を少し緩めながら周囲を見回し、穏やかな表情で呟いた。


「何がです?」


 マルク伯も私の横顔へ視線を向け、少しだけ笑みを浮かべながら聞き返す。


「宮殿の中では、どうしても政策とか仕事とか、そういうものばかり考えてしまうんです。でも街に出ると、実際に人がどうやって暮らしているのかが見えるので」


 私は通りを行き交う人々へ視線を向けながら、考えを整理するようにゆっくりと言葉を続けた。


「なるほど」


 マルク伯は頷きながら通りの向こうを歩く人々へ視線を向け、その横顔には私の言葉を理解しようとする落ち着いた表情が浮かんでいる。


「貴族や役人だけを見ていても、国の姿は分かりませんからな」


「ですよね」


 私は納得したように頷いて少しだけ表情を和らげたが、そのまま歩いているうちに、すぐにあるものへ目が留まった。


「……あれ、面白いな」


 私は歩みを止め、店先へ視線を向けた。


「何がです?」


 マルク伯も足を止め、私の視線の先へ顔を向けた。


 そこには野菜や豆、それに乾燥させた食料などを並べた店があり、私は自然と足を止めると、その店先へ近づいていった。


「これ、どうやって保存しているんだろう」


 店主が並べている豆や乾燥野菜を眺めながら、私は首を傾げるようにして呟く。


「保存食が気になりますか?」


 マルク伯が少し呆れたように眉を上げながら尋ねる。


「はい。農業改革をするなら、生産量だけじゃなくて保存や流通も大事ですから」


 私は店先の容器や食材を目で追いながら、自然と真剣な顔になっていた。


「今日は仕事をしないのではなかったですかな?」


 マルク伯が口元に苦笑を浮かべ、私の横顔を見ながら軽く肩をすくめる。


「……そうでした」


 私は一瞬だけ固まってから、苦笑を返した。


「でも、これは仕方ないじゃないですか。目の前に面白いものがあるんですから」


 少し開き直るように笑ってみせると、マルク伯は呆れたように息を吐きながらも、口元には笑みを残した。


「やはり迷い鳥殿を一人で街に出すと、どうしても仕事になってしまうようですな」


「そんなことないですよ」


 私は反論するように顔を上げる。


「では、先ほどから何を見ているのです?」


 マルク伯が片眉を上げ、店先を顎で示す。


「保存方法と、荷物の積み方と、値段と……」


 私は指を折りながら答えた。


「十分に仕事でしょう」


 マルク伯が即座に返すと、私は言い返せずに口を閉じた。


 しばらく黙り込んだあと、私は諦めたように肩を落としながら苦笑する。


「まあ、そうかもしれません」


 私がそう言うと、マルク伯も小さく笑った。


 店主に話を聞くと、乾燥させた豆や野菜は湿気を避けるために容器へ入れ、売る分だけ外へ出しているらしい。


「なるほど」


 私は説明を聞きながら頷き、容器へ視線を落とした。


「全部を最初から外に出しておかないで、必要な分だけ出しておくんですね」


「ええ。そうしないと傷みやすくなりますからね」


 店主が答えると、私は納得したように頷いた。


「それなら、大量に生産した後の保管方法を考えるときにも参考になりそうです」


 そう口にしてから、私はふと店先に置かれていた大きな樽へ目を向けた。ほかの容器よりもずっと大きく、木の板を組み合わせたその樽は、いかにも長く保存するためのものに見えた。


「これは?」


 私は少し身をかがめるようにして樽を覗き込む。


「ああ、それですか。野菜を塩で漬けております」


 店主は樽へ手を添えながら説明した。


「塩漬け?」


 私は思わず目を輝かせ、さらに樽へ身を寄せた。


「ええ。キャベツなんかは、こうして塩を使って漬けておけば、長く持たせることができます」


 その言葉を聞いた瞬間、頭の中でいくつもの考えが一気につながった。


 キャベツなら、生のまま大量に運べばかさばるし、傷みやすい。


 けれど、塩を使って漬け込み、発酵させれば保存性を高められる。


「これ……そのまま食べられるんですか?」


 私は樽の中を覗き込みながら、驚いたように目を見開いて店主へ尋ねた。


「ええ。もちろんですとも」


 店主は私の反応が意外だったのか、少し笑いながら頷いた。


「そのまま食べてもいいですし、料理に使ってもいい。少し塩が強ければ、水で軽く洗ってから食べることもありますな」


「そのまま……」


 私は思わず樽へ視線を戻した。


 加熱しなくても食べられる。


 それなら、これは軍の補給にも使えるかもしれない。


 肉やパン、豆だけではなく、野菜も保存した状態で運べれば、遠征中の食事に少しずつでも野菜を加えられる。それに、前線で毎回鍋を用意して煮込まなくても、樽から取り出して食べられるなら、調理の手間も減らせる。


「これ、軍の補給にも使えないかな……」


 私は樽を見つめたまま、思わず小声で呟いた。


 すると、横からすぐにマルク伯の呆れた声が飛んできた。


「やはり仕事ではありませんか」


 マルク伯は額を押さえるようにしながら、呆れと苦笑の入り混じった表情で私を見る。


「いや、まだ思いついただけですよ」


 私は振り返り、少し弁解するように手を振った。


「今度は軍の食料ですか」


 マルク伯は半ば諦めたように苦笑しながら首を振る。


「それと似たようなものです。食料だって、必要なときに必要な場所へ届かなければ意味がないですから」


 私はそう答えながら、樽のほうへもう一度視線を向けた。


「……否定しにくいですな」


 マルク伯は困ったように眉を下げ、それでもどこか納得したように頷いた。


「でも、キャベツだけじゃなくて、他の野菜も漬けられるかもしれません」


 私は店先に並んでいる野菜を見回しながら、考えを整理するように指で一つずつ示していく。


「カブとかニンジンとか、タマネギみたいなものも、塩や酢を使って保存できるものがあるでしょうし、種類を増やせれば食事の変化もつけられそうです」


「野菜をわざわざ漬けて保存するのですか?」


 マルク伯は怪訝そうに眉を寄せ、首を傾げた。


「はい。軍隊なら、生の野菜を毎日大量に運ぶのは難しいでしょう? 保存できる形にしておけば、補給拠点から少しずつ前へ送ることもできます」


 私はそう説明しながら、両手で樽の大きさを示すような仕草をした。


 そこで私は、さらに一つのことを思いついた。


「豆は……乾燥させたものなら軽いし、長く持ちますから、わざわざ漬ける必要はなさそうですね。でも、若い豆やサヤなら漬けて保存できるかもしれません」


「そこまで考えるのですか」


 マルク伯は呆れたように目を細めつつも、興味を失った様子はなく、私の説明を聞いている。


「はい。ただ、問題もあります」


 私は少し真面目な表情に戻り、樽を見ながら続けた。


「水分が多いので、漬けたからといって、乾燥豆みたいに軽くなるわけじゃないんですよね。軍の補給として大量に運ぼうとしたら、結局は重さが問題になります」


「……なるほど」


 マルク伯は腕を組み、樽へ視線を向けながら考え込む。


「保存できることと、運びやすいことは別の問題というわけですな」


「そうです」


 私は頷きながらマルク伯を見る。


「だから、全部を前線まで運ぶ必要はないと思います。保存食として補給拠点に置いておいて、必要な分だけ前へ運べばいい。生鮮野菜をそのまま毎日運ぶよりは、扱いやすくなると思います。それに、煮込まなくても食べられるのが最大の利点です」


 マルク伯は私の話を聞き終えると、しばらく考え込んだあと、小さく息を吐いた。


「……迷い鳥殿」


 呆れたように私の名前を呼びながらも、その目には諦めと興味の両方が浮かんでいる。


「はい?」


 私は首を傾げてマルク伯を見る。


「今日は息抜きに街を歩くのではなかったのですかな?」


「……そのつもりでした」


 私は困ったように笑いながら肩をすくめた。


 マルク伯はとうとう諦めたように肩をすくめ、苦笑を浮かべた。


「もう好きにしてください」


「ありがとうございます」


 私は思わず笑ってしまった。


 そう言いながら店を後にしたが、頭の中ではすでに、どの野菜なら塩漬けや酢漬けに向くのか、どれなら乾燥させたほうがいいのか、その場合に必要な容器や輸送手段はどうなるのかまで考え始めていた。


 次に私たちが立ち寄ったのは、肉を扱っている店だった。


 店先には牛肉や豚肉、羊肉、それに鶏やガチョウなどが並び、すでに加工された肉もいくつか吊るされている。


 私は塩漬け肉や燻製肉を眺めながら歩いていたが、その中で、少し変わった保存方法をしているものに目が留まった。


「これは?」


 私は容器の中を覗き込みながら尋ねる。


「ああ。それですか」


 店主は慣れた様子で蓋を開け、中に固まっている脂を少し見せた。


「肉を火にかけてから、脂の中に入れて保存しているものです。脂が固まって肉を覆いますから、長く持たせることができます」


「……脂で保存するんだ」


 私は少し驚いたように目を見開き、容器の中を覗き込んだ。


 塩漬けや燻製とはまた違う保存方法だ。


 しかも、脂にはもう一つ大きな意味がある。


 ――エネルギーだ。


 軍隊が長期間移動するなら、単純に「肉がある」だけでは十分ではない。歩いたり、荷物を運んだり、戦ったりする兵士には、それだけの活動を支えるだけのエネルギーが必要になる。


 赤身の肉はもちろん重要な栄養源だけれど、それだけで大量の活動を支えるより、脂肪を組み合わせたほうが少ない重量で多くのエネルギーを持たせられる。携帯する食料として考えるなら、これはかなり大きな利点だ。


「……これ、面白いかもしれません」


 私は思わず呟き、肉と脂を交互に見た。


「また何か思いつきましたかな?」


 隣にいたマルク伯が、半ば諦めたような顔で私を見る。


「はい。干し肉と、この脂を組み合わせたらどうでしょう?」


「肉と脂を?」


 マルク伯が眉を寄せ、怪訝そうに私を見る。


「ええ。肉を細かくして乾燥させて、それに溶かした脂を混ぜて固めるんです」


 私は両手を使って、乾燥肉を砕いて混ぜるような仕草をしながら説明した。


「そうすれば、肉だけよりも高いエネルギーを持たせられるでしょう。それに、水分をかなり減らしておけば保存もしやすいし、持ち運ぶ量も減らせます」


 マルク伯は腕を組んだまま、しばらく黙って私の話を聞いていたが、やがて少しだけ眉を上げた。


「……つまり、乾燥させて軽くした肉に、脂を加えると?」


「そうです」


 私は嬉しそうに頷いた。


「肉だけだと、どうしてもかさが大きくなりますし、活動量の多い兵士が持ち歩く食料としては、もっと効率を上げられると思います」


 そこで私は、ふと現代で知っていた保存食の名前を思い出した。


 ――ペミカン。


 北米の先住民が作っていた保存食で、乾燥させて細かくした肉に動物性の脂を混ぜ、場合によっては乾燥した果実なども加えるものだ。


 もちろん、この市場にそんなものがあるわけではない。


 けれど、目の前にある「肉を保存する方法」と「脂を保存する方法」を見ていると、別々に存在していたものを組み合わせるだけで、似たようなものは作れるのではないかと思えてくる。


「……ペミカンみたいなもの、か」


 私は誰に聞かせるでもなく、小さく呟いた。


「何ですかな、それは?」


 マルク伯が聞き返してきたので、私は少しだけ考えてから説明する。


「私が知っている、保存食の一種です。干した肉を細かくして、脂と混ぜて固める。持ち運びやすくて、少ない量でもしっかりエネルギーを取れるんです」


「なるほど……」


 マルク伯は真剣な表情で容器を見つめた。


「それなら遠征する兵士には向いていそうですな」


「たぶん。ただ、実際に作るなら、肉をどこまで乾燥させるかとか、どんな脂を使うかとか、保存中に傷まないようにする方法とか、いろいろ試さないといけないでしょうけど」


 私はそう言いながら、少し考え込むように眉を寄せた。


 塩漬けキャベツは、保存しやすく、そのまま食べられる。


 干し肉は、水分を減らして軽くできる。


 脂は、高いエネルギーを持っている。


 ならば、それらを組み合わせれば、遠征する兵士が持ち歩ける、もっと効率のいい保存食が作れるのではないだろうか。


「これなら、補給拠点から前線へ少量ずつ送ることもできそうです」


 私がそう言うと、マルク伯はしばらく考え込んだあと、苦笑を浮かべた。


「迷い鳥殿」


「はい?」


「本当に今日は、ただ街を歩くつもりだったのですかな?」


 私は少し気まずそうに目を逸らし、それから小さく笑った。


「……そのつもりだったんですけどね」


「その割には、塩漬けの野菜から軍用食まで考えていますが」


「目の前に材料があるから仕方ないじゃないですか」


 私は少し開き直るように答え、マルク伯は呆れたように息を吐いた。


「まったく……」


 そう言いながらも、マルク伯の表情には先ほどまでより少しだけ納得したような色が浮かんでいた。


 私も苦笑しながら肉屋を後にした。


 その途中で、私はふとタマネギの山へ目を向けた。


「……タマネギなら」


 私は足を止めかけ、今度は塩漬けや肉とは別の保存方法を考え始める。


 薄く切って油で揚げて、それからしっかり乾かしたらどうだろう。


 水分を減らせれば、生のままより軽くできる。しかも、パリパリになるまで乾かせば、そのまま食べることもできるし、豆やパンのような簡素な食事に加えても味の変化をつけられる。


「……これなら、野菜を軽くして運べるかもしれない」


 私が小さく呟くと、マルク伯が怪訝そうにこちらへ顔を向けた。


「今度は何を思いついたのです?」


「タマネギを揚げて、そのあと乾燥させるんです。そうすれば保存しやすくなるし、軽くできるかもしれません。それに、そのまま食べられるなら、鍋で煮込まなくてもいいでしょう?」


 私は思いついたことを一気に説明しながら、両手で薄切りにするような仕草をしてみせた。


「野菜を……揚げる?」


 マルク伯はますます怪訝そうな顔になった。


「はい。フライドオニオンみたいなものです。ほかにも、ニンジンやカブみたいな野菜なら、薄く切って揚げてから乾燥させられるかもしれません」


「……」


 マルク伯はしばらく黙って私を見つめ、それから額に手を当てるようにして、深いため息をついた。


「最初はただの街歩きだったはずなのですがな」


「……そうでしたね」


 私は少し申し訳なさそうに笑う。


「ただ、塩漬けにした野菜は保存できますけど重い。乾燥させた豆は軽いけど、食べるには煮る必要がある。肉は乾燥させれば軽くできて、脂を加えればエネルギーも補える。だったら、野菜でも軽くして保存できるものがあれば便利かなって」


「なるほど……」


 マルク伯は完全に呆れた様子ではあるものの、今度は真面目にタマネギを眺めている。


「それなら、試してみる価値はあるかもしれませんな」


「ですよね」


 私は少し嬉しそうに笑った。


 そうして私たちは、ようやく店を後にした。


 しばらく歩くと、今度は道の脇に何台かの荷車が止まっているのが目に入った。荷物を積み下ろしている途中らしく、道の一部が塞がれている。


「……」


 私は思わず足を止め、荷車と道幅を交互に見比べた。


「どうしました?」


 マルク伯が私の足元から荷車へ視線を移し、その顔を覗き込む。


「いや……」


 私は荷車の配置をじっと見ながら、少し眉を寄せる。


「ここ、荷車を二台並べて止めたら完全に塞がりますね」


「実際、今も半分ほど塞がっていますがな」


 マルク伯は荷車へ目を向け、呆れたように片眉を上げた。


「でも、これなら荷物を積み下ろす場所を少しずらしたほうがいいかもしれません」


 私は周囲の道幅を確認しながら、荷車を動かす方向を手で示した。


 私がそう言いながら周囲を見回すと、マルク伯が呆れたように笑った。


「迷い鳥殿」


「はい?」


 私は振り返り、何を言われるのか分からないまま首を傾げた。


「今日は街を歩くだけだったのでは?」


「……そうでした」


 私はまたしても苦笑してしまった。


「でも、こういうのを見ると気になるんですよ」


 少し困ったように両手を広げて言うと、マルク伯は呆れた顔をしながらも、とうとう笑いをこらえきれなくなったように口元を緩める。


「分かりました」


 マルク伯は諦めたように頷く。


「好きなだけ見て回るとよいでしょう」


「ありがとうございます」


 私は嬉しそうに笑いながら頷いた。


 私はそう答えながら、改めて街の様子を眺めた。


 宮殿の中にいると、どうしても国というものを大きな制度として考えてしまう。農業改革も、税制も、兵站も、輸送も、数字や書類の上では一つの仕組みに見える。


 でも実際に街を歩けば、その一つ一つが人の生活の中に存在している。


 店先に並べられた食料も、そこまで運んできた荷車も、それを売っている商人も、買い物に来ている人たちも、全部がつながっている。


 そして、その中には、まだこの土地では当たり前になっていない作物もある。


 今は自分が広めようとしている段階でも、何年も何十年も先には、ジャガイモやトウモロコシ、トマト、ピーマン、トウガラシ、サツマイモまで、この街の人々にとって当たり前の食材になっているかもしれない。


「……やっぱり、外に出てよかったかもしれません」


 私は街を行き交う人々を眺めながら、穏やかな笑みを浮かべて小さく呟いた。


 私の横でその言葉を聞いたマルク伯が、少しだけ首を傾げながらこちらを見る。


「何か分かりましたか?」


「いえ。何か新しいことを思いついたわけじゃありません。ただ……」


 私は少し考えてから、街を歩く人々を眺める。


「こういう普通の暮らしがあるんだなって、改めて思っただけです」


 マルク伯は少し黙り、それから穏やかな表情で頷いた。


「それを知っておくことも、国を動かす者には必要なことでしょう」


「国を動かす者、ですか……」


 その言葉に、私は少しだけ苦笑した。


「私は、ただの農業大学生だったんですけどね」


 私は肩をすくめるように言い、少し照れたように笑った。


「それは何度も聞いております」


 マルク伯は呆れたように答えながらも、どこか楽しそうに口元を緩める。


「ですよね」


 私も笑い返し、そのまま再び歩き始めた。


 宮殿へ戻るまで、まだ少し時間がある。


 今日は書類から離れて、ただ街を歩こう。


 そう決めたはずなのに、私はまた店先の食料や荷車を眺めながら、頭の中であれこれ考えていた。

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