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農業大学生、異世界で皇帝に呼ばれる――「迷い鳥」は国を変える  作者: 水源


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麦畑とブドウ畑

 皇帝との謁見から三日後。


 私は、フェルディナントさんが手配してくれた馬車に揺られていた。


「本当に行かれるのですか?」


 向かいに座るマルク伯が、呆れ半分に尋ねてくる。


「はい」


 私は即答した。


「農村を見せてほしいとお願いしたのは、私ですから」


「しかし、まさか三日後には視察が決まるとは……」


「善は急げ、です」


「……その言葉は初めて聞きましたな」


「あ」


 しまった。


 また余計なことを言ってしまった。


「……私の故郷の言葉です」


「なるほど」


 マルク伯は、それ以上追及しなかった。


 ありがたい。


 やがて馬車が街道を外れる。


 舗装された道などない。


 車輪が石を踏むたびに、馬車が大きく跳ねた。


「うわっ!」


「大丈夫ですか?」


「……はい」


 大丈夫ではない。


 お尻が痛い。


 現代日本の道路って、本当に素晴らしかったんだな。


 そんなことを考えているうちに、窓の外の景色が変わっていった。


 建物が減る。


 森が増える。


 そして――。


「……畑」


 視界いっぱいに、麦畑が広がった。


 広い。


 とにかく広い。


 風が吹くたび、黄金色の穂が波のように揺れている。


 遠くには木造の家。


 畑では何人もの農民が働いていた。


 一見すれば、私が知る「昔の農村」そのものだ。


 けれど。


 私は眉をひそめた。


「……同じですね」


「何がです?」


「作っているものです」


 私は畑を見渡した。


「この辺り、ほとんど全部が麦ですよね?」


「そうですが」


「三圃式は使っていないんですか?」


「三圃式?」


 マルク伯が首を傾げる。


「畑をいくつかに分けて、一部を休ませる方法です」


「ああ」


 近くで働いていた農夫が口を挟んだ。


「似たようなことなら、昔はやっていました」


「昔は?」


「今は難しいんですよ」


「どうしてです?」


 農夫は鍬を地面に立て、畑を見渡した。


「土地が足りませんから」


「土地が?」


「畑を休ませれば、その分だけ麦が減ります」


「……」


「麦が減れば、食べるものがなくなる」


 私は黙った。


 そういうことか。


 畑を休ませる。


 言葉だけなら簡単だ。


 でも農民にとっては、その土地から得られる収穫を一年分諦めるということになる。


「肥料はどうしています?」


「家畜の糞を使っています」


「堆肥には?」


「していますとも」


「足りますか?」


「……足りません」


 即答だった。


「家畜が少ないので」


「牛や馬が高いから?」


「ええ。農民には簡単に買えるものではありません」


 私は畑を見る。


 ここにも問題がある。


 土地がない。


 肥料もない。


 では、作物はどうしている?


「麦以外は?」


「豆やカブを少し」


「野菜は?」


「畑の隅で育てる程度です」


「どうして増やさないんですか?」


 すると農夫は、不思議そうな顔をした。


「売れないからです」


「……あ」


「麦なら売れます。それに税も麦で納めますから」


 私は言葉を失った。


 そういうことか。


 農民が麦ばかり作っているのは、麦しか知らないからじゃない。


 麦を作らなければ生活できないのだ。


 食べる。


 税を払う。


 道具を買う。


 家族を養う。


 そのためには金がいる。


 だから売れる麦を作る。


 当たり前の話だった。


「では、不作になったら?」


「蓄えを崩します」


「それでも足りなければ?」


 農夫は少し黙った。


「……買います」


「でも、不作なら麦の値段も上がりますよね?」


「ええ」


「つまり――」


 私は息を呑んだ。


 収穫が減る。


 値段が上がる。


 それでも買わなければならない。


 金がなければ、買えない。


「厳しいですね」


「ええ」


 農夫は小さく頷いた。


「だから、凶作は怖いのです」


 私は畑を見つめた。


 思っていたより、ずっと難しい。


 単純に収穫量を増やせばいいわけではない。


 平年の収穫を増やす。


 凶作でも何かを収穫できるようにする。


 収穫したものを保存する。


 そして、それを作った農民が生活できるようにする。


 全部必要だ。


「……マルク伯」


「はい?」


「この村で、試験用の畑を一つ借りられませんか?」


「試験用?」


「はい」


 マルク伯が目を丸くする。


「何をなさるおつもりで?」


「作物の組み合わせを変えてみたいんです」


「村全体ではなく?」


「いきなり全部を変えるつもりはありません」


 私は首を振った。


「まず、小さく試します」


「失敗したら?」


「だから小さくするんです」


 マルク伯が黙る。


 農夫も私を見る。


「収穫が増えるんですか?」


 農夫が尋ねた。


「分かりません」


「……分からない?」


「はい」


 私は笑った。


「だから、試すんです」


 農夫はしばらく私を見つめていた。


 やがて、小さく笑う。


「変わった迷い鳥様ですな」


「よく言われます」


 私も笑った。


 そして、もう一度畑を見る。


 麦。


 豆。


 カブ。


 家畜。


 肥料。


 保存。


 頭の中で、いくつもの知識が繋がっていく。


 そこで、一つの作物が浮かんだ。


「……ジャガイモ」


「はい?」


「いえ、こちらの話です」


 地面の中に芋を作る作物。


 収量も多い。


 主食の一部を置き換えられる可能性もある。


 ただし――。


 種芋は?


 気候は?


 土壌は?


 病気は?


 そもそも、この世界に存在するのか?


「まずは調べないと」


 私は呟いた。


 知っているからといって、成功するとは限らない。


 だから試す。


 小さく試して、結果を見る。


 うまくいった方法だけを広げる。


 それが、今の私にできることだった。


 そして、その日の午後。


 私たちは麦作中心の村を離れ、さらに街道を進んだ。


 次に向かうのは――。


「ブドウの村、ですか?」


「ええ。この辺りでは有名です」


 窓の外を見る。


 景色が変わっていた。


 低い丘が連なり、その斜面に沿って緑の木々が整然と並んでいる。


「……きれい」


 思わず声が漏れた。


 麦畑とはまるで違う。


 丘の斜面いっぱいにブドウの木が植えられている。


 葉の間から、小さな実の房が顔を覗かせていた。


「この辺りでは、昔からブドウを?」


「ええ。日当たりも土も、ブドウに向いているそうです」


 馬車を降りる。


 甘いような、青臭いような独特の匂いが鼻をくすぐった。


 畑では農民たちが作業をしている。


 枝を確認し、余分な葉を落とし、実の状態を確かめていた。


「こんにちは」


「これは……迷い鳥様」


「少し畑を見せてもらってもいいですか?」


「もちろんです」


 案内されながら、私はブドウの木を眺めた。


「かなり手がかかりますね」


「ええ。放っておけばいい作物ではありませんから」


 農民が枝を持ち上げる。


「伸ばしすぎれば実が減ります。実をつけすぎても、一つ一つが小さくなる」


「だから剪定を?」


「そういうことです」


 なるほど。


 麦とはまるで違う。


 麦は広い土地で一斉に育てる。


 ブドウは一本一本に手をかける。


「収穫したブドウはどうするんですか?」


「ほとんどワインにします」


「村で?」


「はい。向こうに醸造所があります」


 少し離れた場所に、大きな木造の建物があった。


「生のまま売ることは?」


「少しだけです」


「なぜ?」


「ブドウは傷みやすいので」


「ああ……」


 納得した。


 麦なら乾燥させればいい。


 だがブドウはそうはいかない。


 だからワインにする。


 加工することで、保存できる商品へ変えるわけだ。


「ワインはどこへ売るんです?」


「商人が買いに来ます。街へ運んで、そこから各地へ」


「値段は安定していますか?」


 農民の表情が少し曇った。


「……年によりますな」


「豊作なら?」


「安くなります」


「不作なら?」


「高くなります」


「では、豊作でも必ず儲かるわけではない?」


「ええ」


 農民は苦笑した。


「収穫が多すぎれば、商人も安く買おうとしますから」


「なるほど……」


 ここにも問題がある。


 作る。


 売る。


 それだけでは収入は安定しない。


「もし、ブドウが不作になったら?」


「困ります」


「麦は?」


「買います」


「そのお金は、どこから?」


 農民は黙った。


「……だから、不作は怖いんです」


 また同じ言葉だった。


 私はブドウ畑を見る。


 豊かな村に見える。


 けれど、その実態は麦作村と同じくらい不安定なのかもしれない。


「ブドウ畑を増やすことは?」


「もちろん考えます」


「麦畑を減らして?」


「……そうなりますな」


 農民が苦笑する。


「ブドウは麦より高く売れますから」


「でも、食べる麦が減る」


「ええ」


 私は黙り込んだ。


 ここでも同じだ。


 食べるための作物。


 売るための作物。


 土地は有限。


 どちらかを増やせば、どちらかが減る。


 簡単な話ではない。


「ワインを、もっと高く売る方法は?」


 私が尋ねると、マルク伯がこちらを見る。


「高く、ですか?」


「はい」


 私は醸造所を見た。


「同じブドウでも、売り方を変えれば価値を上げられるかもしれません」


「売り方を?」


「品質を揃える。保存状態を良くする。熟成させる。産地を明確にする……」


 思いつくことを口にする。


 もちろん、簡単ではない。


 瓶も必要だ。


 樽も必要だ。


 輸送も必要になる。


 何より、買ってくれる人が必要だ。


「ワインは長く保存できますか?」


「きちんとした樽なら」


「なら、値段が安い年に無理して全部売る必要はないのでは?」


「そうできればいいのですが……」


 農民が苦笑した。


「樽も地下蔵も必要ですから」


「ああ……」


 保存できる。


 だからといって、保存する設備があるとは限らない。


 また一つ、問題が見えた。


「なら、村で共同の貯蔵庫を作るのは?」


「共同で?」


「はい」


 農民が目を丸くする。


「安い年には無理に売らず、保存する。価格が戻ったら売る」


「……そんなことができるのでしょうか?」


「分かりません」


 私は笑った。


「だから、調べるんです」


 また同じ言葉だ。


 けれど、今度は少し意味が違う。


 麦作村では、食料をどう増やすかを考えた。


 この村では、作ったものをどう価値に変えるかを考える。


 農業は畑だけを見ていても分からない。


 生産。


 加工。


 保存。


 輸送。


 販売。


 全部が繋がっている。


「農業って……」


 私は丘の上から村を見渡した。


「本当に、畑だけの問題じゃないんですね」


「どういう意味です?」


 マルク伯が尋ねる。


「作るところから、売るところまで全部繋がっているんです」


「……なるほど」


 マルク伯も村を見渡した。


 ブドウ畑。


 麦畑。


 醸造所。


 農家。


 そして、その先に続く街道。


 全部が一本の線で繋がっている。


「面白い……」


 私は思わず呟いた。


「面白い、ですか?」


「はい」


 私は笑った。


「村によって、必要な改革が違うんです」


 最初の村に、いきなりブドウを植えろと言っても意味がない。


 逆に、この村に麦だけを増やせと言えば、貴重な収入源を失わせてしまう。


 土地。


 気候。


 作物。


 市場。


 そして、そこで暮らす人々。


 全部を見なければならない。


「マルク伯」


「はい」


「もっと農村を見て回りましょう」


「まだ行くのですか?」


「もちろんです」


 私は即答した。


「麦の村だけでも駄目です。ブドウの村だけでも駄目です」


「他にも見るおつもりで?」


「この国には、まだたくさんの村がありますから」


 私は、もう一度ブドウ畑を振り返った。


 麦だけではない。


 ブドウだけでもない。


 豆も。


 カブも。


 家畜も。


 果樹もある。


 土地によって育つものが違う。


 売れるものも違う。


 必要なものも違う。


 ならば――。


「この国に合った農業の形を探さないと」


 それが、この日の視察で見つけた二つ目の課題だった。


 そして私は、まだ知らなかった。


 次に訪れる農村で、農業改革そのものを揺るがす、別の問題が待っていることを。

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