兵士が背負う小さな食料庫
――その数日後。
私は、皇帝陛下の執務室に呼ばれていた。
「迷い鳥よ」
「はい」
「農業改革について、そなたから色々と報告を受けている」
「ありがとうございます」
皇帝陛下は、机の上に積まれた書類へ目を落とした。
そこには、各地から集められた農作物の収穫量や価格、備蓄量などが並んでいる。
「穀物の増産」
「はい」
「保存食の改善」
「はい」
「種子庫や食料庫の整備」
「はい」
皇帝陛下は、一枚の書類を手に取った。
「どれも重要だ」
「ありがとうございます」
「だがな」
そこで、皇帝陛下は顔を上げた。
「一つ、そなたに頼みたいことがある」
「何でしょう?」
「兵士たちの食料だ」
「……兵士の?」
思わず聞き返した。
皇帝陛下は頷いた。
「帝国軍は各地に駐屯している。戦時になれば、さらに多くの兵が動く」
「はい」
「だが、兵士が食べるものもまた、農民が食べるものと同じ問題を抱えている」
私は黙って話を聞いた。
「穀物は重い」
「そうですね」
「水分を含んだ食品は腐る」
「はい」
「肉は保存が難しい」
「ええ」
「そして何より――」
皇帝陛下は、書類を机の上へ置いた。
「兵士が食料を運ぶために、多くの荷車と馬を必要としている」
「……なるほど」
そこまで聞いて、私はようやく意図を理解した。
兵士の食料問題。
それは単純に「美味しいものを食べさせたい」という話ではない。
**軽く、保存でき、運びやすく、調理しやすい食料。**
つまり。
軍事上の兵站問題だ。
「今の兵士たちは、何を食べているんですか?」
「基本は穀物だ。パン、粥、乾燥した豆。地域によっては塩漬け肉や燻製肉も使う」
「なるほど」
「だが、問題がある」
「重い……ですね?」
「その通りだ」
皇帝陛下は苦笑した。
「兵士一人を養うだけなら、大した量ではない。しかし一千人、五千人、一万人となれば話が変わる」
私は頭の中で考える。
兵士が増えれば、食料も増える。
食料が増えれば輸送隊も増える。
輸送隊が増えれば馬が必要になる。
馬が増えれば、その馬の飼料まで必要になる。
そして――。
「兵士が食べる食料を運ぶために、さらに食料が必要になる」
「そういうことだ」
皇帝陛下が頷いた。
これは厄介だ。
農業改革で収穫量を増やしても、輸送効率が悪ければ軍隊を遠くまで動かせない。
「それに、戦場では料理をする時間も限られます」
「そうだ」
「火を焚けば敵に見つかる可能性もありますし、燃料も必要になる」
「その通り」
私は少し考え込んだ。
すると、先ほどまで考えていた果物の保存が頭に浮かんだ。
――保存できる。
――軽くできる。
――水分を抜く。
「……乾燥食品」
「ほう?」
「兵士向けなら、乾燥食品をもっと研究してみてはどうでしょう」
「乾燥食品か」
「はい」
私は立ち上がり、机の上にあった紙を一枚借りた。
「例えば、果物」
私は書く。
「ベリーを乾燥させれば、生の状態よりずっと軽くできます」
「ふむ」
「しかも、そのまま食べられます」
「兵士が?」
「はい。行軍中でも食べられます」
皇帝陛下が興味深そうに紙を見る。
「だが、それだけでは兵士の腹は満たせぬだろう」
「もちろんです」
私は頷いた。
「ですから、主食になるものも考えます」
頭の中で候補を並べていく。
小麦。
トウモロコシ。
豆。
そして、乾燥させた野菜。
「まずは、今ある材料で試してみましょう」
「何を作る?」
「最初から一つに決めるつもりはありません」
私は答えた。
「いくつか試して、比べます」
「比べる?」
「はい」
私は紙に項目を書いていく。
「重さ」
「保存期間」
「調理時間」
「味」
「腹持ち」
「作りやすさ」
「それから、実際に兵士が持ち運べるかどうか」
皇帝陛下が頷く。
「なるほど」
「一番優れたものを採用すればいいんです」
そこで私は、ふと思い出した。
前世にも、似たような問題があった。
軍隊では、長期間保存できる食料が必要だった。
缶詰。
乾パン。
保存肉。
そして――。
肉の缶詰として有名だったもの。
「……そういえば」
「どうした?」
「いえ」
私は苦笑する。
前世では、兵士に同じような肉の缶詰ばかり食べさせた結果、その商品名が「うんざりするもの」の代名詞になってしまったことがあった。
そして、その言葉が後には、望んでもいないのに大量に送りつけられてくる電子メールを指す言葉にまでなった。
――食事というのは、ただ腹を満たせばいいわけではない。
毎日、同じものを食べさせられれば、それだけで苦痛になることもある。
「味も無視してはいけません」
私は言った。
皇帝陛下が少し意外そうな顔をする。
「味?」
「はい」
「兵士の食事にそこまで必要か?」
「必要です」
私は即答した。
「毎日、同じような味の食事ばかりでは、兵士の士気にも影響します」
「……なるほど」
「それに、食べにくいものでは、いくら栄養があっても残されてしまいます」
皇帝陛下が頷く。
「確かにな」
「ですから、保存性だけを追求するのではなく、兵士が実際に食べたいと思えるものにしたいんです」
私は紙に新しい項目を書いた。
**兵士の満足度。**
「食事は兵士の体を維持するだけではありません」
私は言った。
「兵士が明日も歩ける、明日も戦えると思える食事であることが大切です」
皇帝陛下は、しばらく黙っていた。
そして。
「……そなたは、本当に食卓のことばかり考えているな」
「農業改革ですから」
私は笑った。
「畑で作ったものが、最後に誰の口へ入るのかまで考えないと、改革とは言えないと思います」
皇帝陛下は満足そうに頷いた。
「よかろう」
「はい」
「兵士向け保存食の試験を始めてくれ」
「承知しました」
「ただし、一つ条件がある」
「何でしょう?」
「貴族の厨房で作るような料理を作るな」
「……はい?」
思わず目を瞬いた。
皇帝陛下は笑った。
「兵士が実際に作れるものにしろ」
「……分かりました」
それなら、やることは明確だ。
高価な食材は使わない。
特別な道具も使わない。
現地で手に入る穀物、豆、野菜、果物を使う。
そして――。
**誰でも再現できる保存食にする。**
「まずは、三種類ほど試してみます」
「三種類?」
「はい」
私は指を折る。
「一つ目は、穀物と豆を使ったもの」
「二つ目は、乾燥野菜や乾燥果実を組み合わせたもの」
「三つ目は、パンを焼いてから十分に乾燥させたものです」
「肉は?」
「肉も試したいですが、最初から種類を増やしすぎると、何が良かったのか分からなくなります」
「なるほど」
「まず基本となる食料を試します」
私は頷いた。
「それから、肉や魚を加えた場合も比較します」
「理にかなっている」
皇帝陛下が満足そうに頷いた。
「それで、誰が試験する?」
「農業試験場の人たちだけでは駄目です」
「ほう?」
「実際に兵士に食べてもらいます」
「兵士に?」
「はい」
私は即答した。
「兵士が実際に持って歩く。実際に調理する。実際に食べる。そのうえで、何が不便なのか聞かなければ分かりません」
皇帝陛下は、しばらく私を見つめた。
「……面白い」
「ありがとうございます」
「農業改革から、軍の兵站まで変えようというわけか」
「変えるというより……」
私は少し考えてから答えた。
「農民が作った食料を、できるだけ無駄なく兵士まで届ける方法を考えるだけです」
皇帝陛下が笑う。
「それを世間では改革と言うのだろう」
私もつられて笑った。
けれど、心の中ではもう次のことを考えていた。
まずは試作品を作る。
重量を測る。
保存性を調べる。
調理時間を測る。
そして、兵士に実際に食べてもらう。
そこで問題が出れば、また改良する。
――一度で完成させる必要はない。
農作物と同じだ。
試す。
記録する。
比較する。
良いものを残す。
そして、また試す。
「では、試験部隊を一つ選んでいただけますか?」
「ああ」
「できれば、普段から行軍訓練をしている兵士たちがいいです」
「理由は?」
「実際に持って歩いてもらいたいからです」
私は続けた。
「厨房で食べるだけでは、本当の問題は分かりません」
「例えば?」
「袋が破れる」
「濡れる」
「重い」
「火を使わないと食べられない」
「水が少ないと調理できない」
「そういった問題です」
皇帝陛下が頷く。
「分かった。手配しよう」
「ありがとうございます」
これで準備は決まった。
私は立ち上がった。
――ところが。
「待て」
「はい?」
「一つ聞き忘れていた」
皇帝陛下が私を見る。
「そなた自身は、何を食べるつもりなのだ?」
「……私ですか?」
「そうだ」
「私は……」
少し考える。
試作品を食べる。
兵士と同じものを食べる。
それが一番いい。
「全部です」
「全部?」
「はい。試作品は私も食べます」
皇帝陛下が呆れたように笑った。
「やはりな」
「何がです?」
「そなたは、結局自分でも食べてみないと気が済まぬのだろう」
「……その通りです」
私は苦笑した。
農民の食卓。
兵士の食卓。
どちらも、机上の数字だけでは分からない。
実際に食べてみる。
実際に作ってみる。
実際に持ち運んでみる。
その積み重ねが、きっと本当の答えを教えてくれる。
そして私は、執務室を出ながら考えた。
乾燥野菜。
乾燥果実。
豆。
トウモロコシ粉。
小麦。
干し肉。
干し魚。
塩。
これらを組み合わせれば――。
もしかすると。
**兵士が背負って歩ける、小さな食料庫**を作れるかもしれない。
けれど、まだ何も完成していない。
これから試すのだ。
失敗するかもしれない。
まずくなるかもしれない。
すぐにカビるかもしれない。
重すぎるかもしれない。
それでもいい。
失敗したら、その原因を記録すればいい。
そして、次を試す。
農業改革は、畑だけでは終わらない。
**作るところから、保存するところまで。**
そして――。
**必要な人のところへ届け、実際に食べてもらうところまで。**
そこまでやって、初めて食料改革なのだ。
私は、新しい試験計画を書き始めた。
最初の項目は――。
**「兵士一人、一日分の食料を、どこまで軽くできるか」**
だった。




