冬にもベリーを食べられる村へ
「そういえば……」
私は、ふと別のことが気になった。
「普段、果物は食べますか?」
「果物?」
母親が少し考える。
「ええ。リンゴとか、ベリーとか」
すると、それまで黙っていた女の子が、ぱっと手を挙げた。
「食べるよ!」
「本当ですか?」
「うん!」
満面の笑みだった。
思わず、私も頬を緩める。
「どんな果物を食べるんです?」
「森で採ってくるベリー!」
「ベリー?」
「小さい赤いやつとか、黒いやつ!」
「なるほど」
どうやら、この地域では森へ入って野生のベリーを採る習慣があるらしい。
ビルベリー。
リンゴンベリー。
クラウドベリー。
グースベリー。
レッドカラントやブラックカラント。
この辺りなら、そうした野生の果実があってもおかしくない。
問題は――。
「採ったものは、そのまま食べるんですか?」
「採れたときはね」
父親が答えた。
「母さんが煮てくれることもあるよ」
「ジャムみたいにするんです」
母親が補足する。
「ただ……砂糖は高いですから。果実だけで煮ることもあります。蜂蜜を使うこともありますけど、そう何度も買えるものではありません」
「なるほど……」
私は頷いた。
果物がある。
だからといって、いつでも食べられるわけではない。
森まで採りに行かなければならない。
農繁期なら、そんな時間も取れない。
採れた果実も、そのままでは長く保存できない。
砂糖も蜂蜜も高価。
つまり――。
**「食べられる」と「日常的に食べられる」は、まったく違う。**
「乾燥させることもあります」
「乾燥?」
「はい。でも、うまく乾かさないと傷んでしまいます」
「カビが生えるんです」
母親が困ったように笑った。
「天気が悪い日も難しいですし。せっかく採ってきても、何日かすると駄目になってしまうことがあります」
「……それは、もったいないですね」
私は考え込んだ。
そして、ふと思う。
だったら――。
「家の近くで育てられたら、どうでしょう?」
「果物を?」
父親がこちらを見る。
「はい。森まで採りに行くのではなく、家の周囲で育てるんです」
母親が娘を見る。
「それなら、子供にも食べさせられますね」
「うん!」
女の子が元気よく頷いた。
思わず笑ってしまう。
「でも、畑を潰してまで植えるのは難しいですよね?」
「当然です」
父親が頷く。
「小麦やトウモロコシを植える場所を減らしてまで、果物を育てる余裕はありません」
「ですよね」
ならば。
**畑を使わなければいい。**
「畑の真ん中ではなく、畑の境界」
私は指を折る。
「斜面や、耕作には向かない土地。家の周囲。そういう場所を利用できればいい」
「なるほど……」
「例えば、そういう土地でも育つ果物なら?」
「それなら……試してみてもいいかもしれません」
「でしょう?」
少しだけ胸が弾んだ。
そこで、前世の知識を思い出す。
「ブルーベリーのようなベリーなら、どうでしょう?」
「ブルーベリー?」
「青黒い実をつける果物です。甘酸っぱくて、そのまま食べてもいい。煮ればジャムにもできます」
「ジャム……」
母親の目が少し輝いた。
「それに、乾燥させて保存することもできます」
「冬にも食べられる?」
女の子が尋ねた。
「うまくいけば、ですね」
「ほんと?」
「ええ」
私は頷いた。
もちろん、簡単な話ではない。
今の時代に、前世で見たような品種改良された大粒のブルーベリーが存在しているわけではない。
ならば、まずは野生種を探す。
そして――。
実の大きさ。
甘さ。
収穫時期。
収穫量。
病気への強さ。
そうした特徴を調べる。
優れた個体があれば、種や苗を取って育てる。
さらに優れたものを選ぶ。
何年も、何十年もかけて繰り返す。
時間はかかる。
けれど、農業とは本来そういうものだ。
人間にとって都合のいい性質を持つ植物を選び、少しずつ変えていく。
トウモロコシも。
サツマイモも。
同じだ。
ならば――。
**果物だってできる。**
「ブラックベリーのようなものも探したいですね」
「黒いベリーなら、森にありますよ」
父親が言った。
「ただ、種類までは分かりません」
「それなら、むしろ都合がいいかもしれません」
「都合が?」
「森にあるなら、探せますから」
私は身を乗り出した。
「実が大きいもの。甘いもの。たくさん実をつけるもの。病気になりにくいもの。そういう個体を探して、育ててみるんです」
「そんなことができるんですか?」
「時間はかかりますけどね」
私は笑った。
すると、女の子が口を挟んだ。
「いっぱいできる?」
「うまくいけば」
「いっぱい食べられる?」
「……努力しましょう」
「やった!」
女の子が両手を上げる。
その姿を見て、私は笑った。
けれど。
ふと、別のことに気づく。
私は農業改革について考えるとき、これまでずっと――。
収穫量。
保存性。
病害虫。
輸送。
価格。
税。
そんな数字ばかりを見ていた。
もちろん、それらは重要だ。
食料が足りなければ、人は生きていけない。
けれど。
**人間は、腹を満たすためだけに生きているわけではない。**
「農業改革は、飢えをなくすだけじゃないんですよね……」
「え?」
母親が首を傾げる。
「いえ」
私は、食卓を見る。
焼いたサツマイモ。
カボチャ。
トウモロコシ。
豆。
そこに季節のベリーが加わったら。
貧しい農民の食卓でも、少しだけ違う景色になる。
「毎日の食事を、少しでも楽しくすることも大切なんだと思います」
母親が微笑んだ。
「子供が喜びます」
「大人だって喜びますよ」
私が答えると、女の子がこちらを見る。
「じゃあ、ベリーをいっぱい育てたら?」
「ええ」
「森に行かなくても食べられる?」
「そうなるといいですね」
「いっぱい?」
「いっぱい食べられるようになるかもしれません」
「やった!」
また両手が上がった。
私は思わず笑った。
――そうだ。
これでいい。
農業改革は、数字だけでは測れない。
収穫量が何割増えた。
穀物価格が何%下がった。
備蓄が何年分になった。
もちろん、それらは大切だ。
けれど。
**食卓に笑顔が増えたかどうか。**
それだって、同じくらい大切なのではないだろうか。
「まずは、野生のベリーを探しましょう」
私は農業担当者たちに向き直った。
「名前が分からなくても構いません。ブルーベリーに似たもの、ブラックベリーに似たもの。とにかく見つけたものを記録してください」
「はい」
「実の大きさ、味、収穫時期、生えていた場所、土壌、日当たり。できるだけ詳しく」
「承知しました」
「そして、可能なら種や苗を持ち帰って試験栽培を」
「分かりました」
私は頷いた。
新大陸からやってきたものは、飢えを救う作物だけではない。
もしかすると――。
農民たちの食卓に、**食後の小さな楽しみ**まで届けてくれるものがあるのかもしれない。
そのときだった。
「そういえば、乾燥させると言っていましたが……」
私は母親に尋ねた。
「普段は、どうやって乾かしているんですか?」
「布の上に広げて、日の当たるところに置いています」
「なるほど」
「ただ、天気が悪いと難しいんです」
母親が苦笑する。
「湿ったままだと、すぐに傷んでしまいますから」
「……だったら」
私は周囲を見回した。
必要なのは、特別な道具ではない。
もっと単純なものだ。
「乾燥する場所を、少し工夫しましょう」
「工夫?」
「はい」
私は近くにあった木の板を見る。
「地面に直接置かない。風が通るようにする。雨が当たらないようにする」
「それだけですか?」
「まずは、そこからです」
木枠を作る。
その上に布や編み籠を載せる。
果実を重ならないように並べる。
それだけでも、今より乾きやすくなるはずだ。
「それなら、村でも作れそうですね」
父親が言った。
「そうです」
私は頷く。
「一家ごとに作ってもいいですし、村で共同の乾燥場を作ってもいい」
「共同で?」
「果実が採れる時期は短いでしょう?」
「ええ」
「だったら、その時期に一気に加工するんです」
採れた果実を集める。
傷んだものを取り除く。
必要なら切り分ける。
そして乾燥させる。
十分に水分が抜けたら、湿気が入らない容器に移す。
これだけでも、今まで捨てていた果実を冬まで残せる可能性がある。
「冬にもベリーが食べられる?」
女の子が目を輝かせる。
「うまく保存できれば、ね」
「甘い?」
「甘酸っぱいと思います」
「食べたい!」
即答だった。
私は笑ってしまう。
「じゃあ、まずは上手に乾燥させる方法を探しましょう」
「うん!」
けれど。
私はそこで、少しだけ真剣な顔になった。
重要なのは、私たちだけができる方法を作ることではない。
**誰でも再現できる方法を作ることだ。**
高価な道具を使ってはいけない。
特別な材料も駄目だ。
必要なのは、この村で手に入るものだけ。
木材。
布。
籠。
紐。
それで作れる乾燥棚。
「一度、実際に試してみましょう」
私は言った。
「同じ果実を使って、いくつかの方法を比べます」
「どんな方法です?」
「日なた。日陰。風通しのいい場所。それから、火の近く」
私は続けた。
「毎日、状態を記録します」
「何をです?」
「見た目。匂い。硬さ。それから、何日で乾いたか」
そして、できれば重さも。
どの方法なら早く乾くのか。
どの方法ならカビが少ないのか。
どの方法なら味が残るのか。
どの方法なら長く保存できるのか。
実際に比べてみればいい。
そして――。
**一番簡単で、失敗の少ない方法を残す。**
「それなら……」
父親が少し笑った。
「来年は、今年よりたくさん保存できるかもしれませんね」
「ええ」
私も笑う。
「そのための方法を、これから作っていきましょう」
果物は、採れた瞬間が一番価値が高い。
けれど。
**保存できれば、その価値を冬まで延ばせる。**
農業改革というのは、畑で作物を増やすだけではない。
採れたものを無駄にしない。
食べられる期間を延ばす。
そして――。
**季節の恵みを、次の季節まで残す。**
それもまた、大切な農業改革なのだ。
私はふと、女の子を見る。
「……来年は、もっとたくさん食べられるようにしましょうね」
「うん!」
返ってきた元気な声に、私は思わず笑った。
農業改革の目標は、数字だけじゃない。
こういう笑顔を、一つでも増やすこと。
それも、きっと――。
私がやるべきことなのだ。




