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農業大学生、異世界で皇帝に呼ばれる――「迷い鳥」は国を変える  作者: 水源


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水車製粉所とトウモロコシ

 翌日。


 私は朝食を終えると、そのまま宮廷厨房へ向かった。


 厨房の近くまで来ると、焼いたパンの香ばしい匂いが漂ってくる。


 今日も朝から忙しいらしい。


 扉を開けると、料理人たちが一斉にこちらを振り向いた。


「ユーリ様?」


 料理長が目を丸くする。


「今日はどうされましたか?」


「少しお願いしたいことがありまして」


「お願い、ですか?」


「はい」


 私は持ってきた資料を机の上に広げた。


 そこには、これまで栽培してきた新大陸の作物の名前が並んでいる。


 トウモロコシ。


 ジャガイモ。


 インゲン豆。


 ライ豆。


 サツマイモ。


 カボチャ。


「これらを使って、農民でも作れる料理を考えたいんです」


「農民でも、ですか?」


「はい」


 料理長は資料を覗き込み、それから私を見る。


「でしたら、まずは保存性の高い料理がよろしいでしょうか」


「それも大切です」


 私は頷いた。


「ですが、それだけではありません」


「他にも条件が?」


「安いこと。簡単なこと。そして、美味しいことです」


「……なるほど」


 料理長は腕を組んだ。


「宮廷料理とは、かなり違いますね」


「そこなんです」


 私は頷いた。


「ここでどれだけ美味しい料理を作っても、農民の家で作れなければ普及しません」


「確かに」


「高価な香辛料を使ったり、珍しい調味料を使ったり、特別な道具が必要だったりすれば駄目です」


「つまり、農民が普段持っている道具と、普段手に入れられる材料で作れることが条件なのですね」


「その通りです」


 料理長は、少し楽しそうな顔をした。


「では、まずはジャガイモから始めましょう」


「ジャガイモですか?」


「はい。すでに栽培量も増えておりますし、保存もしやすい」


「そうですね」


 私は頷いた。


「ただ、茹でるだけでは面白くありません」


「では、焼きましょうか」


「焼く?」


「はい。薄く切って、少量の油で焼けばよいでしょう」


 なるほど。


 フライドポテトのように大量の油を必要としない。


 それなら農民でも再現できそうだ。


「それ、いいですね」


「では、試してみましょう」


 料理長が料理人に指示を出す。


「ジャガイモを洗ってくれ」


「はい!」


 すぐにジャガイモが運ばれてくる。


 土を落とし、皮を剥く。


 包丁で薄く切っていく。


「このくらいでしょうか?」


「もう少し厚くてもいいと思います」


「厚く、ですか?」


「はい。あまり薄くすると焦げやすいですし、切る手間も増えますから」


「なるほど」


 料理長が頷く。


 切ったジャガイモを鍋に並べ、少量の油を引く。


 じゅうっ。


 小さな音が厨房に響いた。


 すぐに香ばしい匂いが立ち上る。


「……いい匂いですね」


「ええ」


 料理長が木べらでジャガイモをひっくり返す。


 表面がこんがりと焼け、中から湯気が立っている。


 最後に塩を振る。


「完成です」


 料理長が皿を差し出した。


 私は一枚取って口に入れる。


「……」


 外側は香ばしく、中はほくほくだ。


「美味しいです」


「ありがとうございます」


 料理長が嬉しそうに笑う。


 だが。


 私はすぐに皿を見つめ直した。


「料理長」


「はい」


「これなら、農民の家でも作れますか?」


「……」


 料理長が黙った。


 そして、皿の上のジャガイモと使った油を見比べる。


「油の量は問題ありません。ですが、毎回これだけの油を使うとなると、家庭によっては負担になるでしょう」


「やっぱりそうですよね」


「それに、火加減にも少し慣れが必要です」


「なるほど」


 私は頷いた。


 宮廷厨房では簡単にできる。


 しかし、農民の家では薪も油も貴重だ。


 料理一つを考えるだけでも、生活水準の違いが見えてくる。


「では、油をもっと減らせませんか?」


「試してみましょう」


 今度は油をさらに少なくする。


 ジャガイモを鍋に入れ、弱火でじっくり焼く。


 焦げないように何度もひっくり返す。


 少し時間はかかった。


 だが、表面はきつね色になり、香ばしい匂いが立っている。


「……これならどうでしょう?」


 一枚取って口に入れる。


「美味しいです」


「先ほどより油は少なくなりました」


「揚げる必要はありませんね」


「ええ」


「これならかなり現実的です」


 私は頷いた。


 大量の油を使わず、焼くだけ。


 味付けも塩だけ。


 特別な香辛料も必要ない。


 これなら農民の家庭でも再現できる可能性が高い。


「では、次です」


「次、ですか?」


「はい。ジャガイモだけではありません」


 私は資料の中から、インゲン豆の名前を指差した。


「豆料理も考えましょう」


「豆ですか」


「この国ではソラ豆を使った料理がありますよね?」


「はい。煮込みやスープなどに使います」


「なら、インゲン豆やライ豆も同じように使えるはずです」


「確かに」


 これはジャガイモより簡単かもしれない。


 既存の料理を置き換えるだけでいい。


「まずは、普段の豆の煮込みにインゲン豆を使ってみましょう」


「承知しました」


 料理長が鍋を用意する。


 豆を煮る。


 柔らかくなったところで塩を加える。


 そこへ少量の野菜を加える。


 最後に、ほんの少しだけラードを入れる。


 ぐつぐつ。


 鍋の中で豆が煮えていく。


 やがて、豆と野菜の香りが厨房いっぱいに広がった。


「……これは、かなり良さそうですね」


「味見をされますか?」


「はい」


 私は匙ですくって口に運ぶ。


「……美味しい」


 素朴な味だ。


 だが、どこか懐かしい。


 この世界の農民が普段食べている料理と、それほどかけ離れていない。


 だからこそいい。


「料理長」


「はい」


「これは使えます」


「ありがとうございます」


「しかも、ジャガイモより普及させやすいかもしれません」


「どうしてでしょう?」


「今までの豆料理と、ほとんど同じだからです」


 料理長が「ああ」と頷く。


「なるほど」


「新しい料理を覚える必要がないんです。豆を変えるだけでいい」


「それなら農民にも受け入れられやすいでしょうね」


「そういうことです」


 私は思わず笑った。


 やはり、昨日考えたことは間違っていなかった。


 新しい作物を、新しい食べ物として押し付ける必要はない。


 ――今までの食卓に、少しずつ入り込ませればいい。


 そのとき。


「ユーリ様」


「はい?」


 料理長が、資料の上に目を落とした。


「次は、トウモロコシでしょうか?」


「そうですね」


「でしたら、まず粉にする方法を考えないといけませんね」


 私は頷いた。


 トウモロコシを粒のまま食べる方法もある。


 だが、粉にできれば用途は一気に広がる。


 粥にできる。


 生地にもできる。


 焼くこともできる。


 パンに混ぜることもできる。


 前世の知識を思い返せば、トウモロコシ粉を使った料理はいくらでもある。


「では、製粉設備を――」


 そこまで言ったところで。


 料理長が不思議そうな顔をした。


「設備なら、すでにございますが?」


「……え?」


「製粉所のことですよね?」


「はい」


「小麦やライ麦を挽くための水車製粉所がございます」


 私は一瞬、言葉を失った。


 そうだった。


 考えてみれば当たり前だ。


 この国ではパンが主食として食べられている。


 ならば、小麦やライ麦を粉にするための製粉所が存在する。


 水車の力で石臼を回す製粉所は、昔から使われている。


 私は完全に、


「新しい作物だから、新しい製粉設備も必要だ」


 と考えてしまっていた。


 けれど。


 必要なのは、新しい設備ではない。


 ――今ある設備を、新しい作物に使えるようにすることだ。


「その製粉所では、小麦とライ麦を挽いているんですね?」


「はい」


「では、トウモロコシも挽けるか試してみましょう」


「……トウモロコシを?」


「はい」


 料理長が腕を組む。


「石臼で穀物を挽くこと自体はできます。ただ、トウモロコシは小麦やライ麦とは粒の形も硬さも違います」


「石臼の調整が必要になる?」


「おそらくは」


「それなら調整すればいいんですね」


「試してみる価値はあるでしょう」


「お願いします」


 私は頷いた。


 新しい製粉所を作る必要はない。


 既存の水車。


 既存の歯車。


 既存の石臼。


 それらを使って、トウモロコシを挽けるかどうかを確かめる。


 問題があるなら、改良すればいい。


「ただ」


 料理長が言った。


「製粉所を使うには、その製粉所の決まりがあります」


「決まり?」


「どの農民が利用できるのか。誰に許可を取るのか。使用料はどうするのか。そういったことです」


「……なるほど」


 私は少し考えた。


 ここでも制度の壁がある。


 農民がトウモロコシを育てても、製粉できなければ意味がない。


 新しい作物を普及させるということは、種を配れば終わりではない。


 畑で育てられること。


 収穫できること。


 保存できること。


 製粉できること。


 そして料理にできること。


 それらすべてがつながって、初めて一つの食料になる。


「……料理長」


「はい」


「明日、製粉所を見に行きましょう」


「私もですか?」


「はい」


 私はトウモロコシの資料を手に取った。


「まず、この水車製粉所でトウモロコシを挽けることを確認します」


「承知しました」


「そのうえで、農民が利用できる仕組みを考えましょう」


 料理長が頷いた。


「なるほど。料理だけを考えていればいいわけではないのですね」


「そういうことです」


 私は笑った。


 畑で作物を育てる。


 収穫する。


 製粉する。


 保存する。


 料理する。


 そして食べる。


 そのどこか一つでも詰まれば、新しい作物は普及しない。


 だからこそ。


 すべてをつなげる必要がある。


「それに」


 私は少し笑った。


「水車でトウモロコシを挽いたら、どんな粉になるのか。私も見てみたいんです」


「では、明日は朝から?」


「はい」


 料理長が苦笑した。


「ユーリ様は本当に好奇心がお強いですね」


「農業改革ですから」


「製粉所まで農業改革に含まれるとは思いませんでした」


「私もです」


 二人で顔を見合わせる。


 そして私は、厨房の片隅に置かれたトウモロコシを見つめた。


 畑で育った黄色い粒が。


 明日は水車の力で、粉へと姿を変える。


 その粉が、パンや粥や焼き物になり。


 やがて農民の食卓に並ぶ。


 私は、そんな未来を思い浮かべた。


「……明日は製粉所ですね」


 農業改革の舞台は。


 また一つ、広がろうとしていた。


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