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農業大学生、異世界で皇帝に呼ばれる――「迷い鳥」は国を変える  作者: 水源


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東部へ行きたい私と、絶対に行かせたくない皇帝陛下

 翌朝。


 私は夜明け前から身支度を整えていた。


 昨夜届いた報告が、頭から離れない。


 東隣の村。


 備蓄穀物の盗難。


 しかも。


 盗まれた量は、決して少なくない。


「……急がないと」


 私は地図を広げた。


 まずは東隣の村へ行く。


 その後。


 さらに被害の大きい村をいくつか回る。


 現地で状況を確認し。


 必要なら穀物の緊急放出を要請する。


 それから。


 王宮へ戻って対策をまとめる。


「ユーリ様」


 ローザリンデさんが声をかける。


「準備が整いました」


「ありがとうございます」


 私は立ち上がった。


「それでは――」


「お待ちください」


 突然。


 部屋の外から声がした。


「……?」


 扉が開く。


 入ってきたのは、皇帝付きの侍従だった。


「陛下がお呼びです」


「今からですか?」


「はい」


 嫌な予感がした。


 私はローザリンデさんたちと顔を見合わせる。


「分かりました」


     ◇


 皇帝の執務室。


 中へ入ると。


 皇帝陛下は机の前に立っていた。


 その表情は。


 いつもより厳しい。


「来たか」


「はい」


 私は頭を下げる。


「東部の件について、お話があるのですよね?」


「ああ」


 皇帝は手にしていた書状を机へ置いた。


「昨夜の報告も読んだ」


「では――」


「東部へ行くことは許さぬ」


「……え?」


 一瞬。


 何を言われたのか分からなかった。


「ですが、陛下」


「駄目だ」


 即答だった。


「食料不足の調査が必要です」


「分かっている」


「ならば――」


「だからこそだ」


 皇帝は私を見つめる。


「今、東部へ行くのは危険すぎる」


「危険……?」


「あの地域では、すでに穀物の盗難が起きている」


「はい」


「それだけではない」


 皇帝は別の書状を取り出した。


「複数の村で、夜間に不審な者が目撃されている」


「……」


 私は黙り込んだ。


「食料不足が起きている場所に、盗賊が現れる」


 皇帝が続ける。


「ここまでは珍しいことではない」


「はい」


「だが」


 皇帝の声が低くなる。


「今回の事件は、少し妙だ」


「妙……?」


「襲撃された村では、食料だけが狙われている」


「……!」


「金品や家畜には手をつけず、穀物だけを持ち去っている村もある」


 私は息を呑んだ。


 偶然の盗賊ではない。


 食料そのものを狙っている。


「さらに」


 皇帝は書状をめくる。


「一部の村では、盗難が起きる前から何者かが村の倉庫や備蓄量を調べていた形跡がある」


「……」


 背筋が冷たくなる。


 それは。


 単なる盗賊ではない可能性を示している。


「陛下」


「何だ?」


「誰かが、組織的に食料を集めているのでしょうか?」


「その可能性を疑っている」


 皇帝は頷いた。


「そして、その目的が分かっていない」


「……」


 私は東部の地図を思い浮かべた。


 そこへ私が行けば。


 当然。


 現地の人々と接触する。


 農村を視察する。


 倉庫を見る。


 食料事情を調べる。


 つまり。


 もし誰かが帝国の動きを監視しているなら。


 私自身が絶好の標的になる。


「ですが」


 私はなおも言った。


「現地を見なければ、本当の状況は分かりません」


「それも分かっている」


「でしたら――」


「ユーリ」


 皇帝が私の言葉を遮った。


「そなたは自分の立場を理解しているか?」


「……立場、ですか?」


「そうだ」


 皇帝はゆっくり歩いてくる。


「そなたは、もう一介の農民でも研究者でもない」


 その言葉に。


 私は黙った。


「新しい作物をもたらした」


「食料問題について意見を述べた」


「王宮の試験農園を管理している」


「そして今や、そなたの行動そのものが、帝国の農政に影響を与える」


 皇帝は私を見る。


「そんな人間が、治安の悪化している地域へ護衛だけを連れて行く」


「……」


「余は認めぬ」


 その声には。


 明確な意思があった。


「陛下……」


「そなたを閉じ込めたいわけではない」


「では?」


「必要な情報は、こちらへ集める」


 皇帝は振り返った。


「各村から報告を送らせる」


「ですが、現地を見なければ――」


「だから」


 皇帝は地図を机の上へ広げた。


「そなたには、帝都で分析してもらう」


「……帝都で?」


「そうだ」


 皇帝は東部の地図を指差す。


「現地へ赴く者は別に用意する」


「農業に詳しい者を?」


「それだけではない」


 皇帝は騎士の一人を呼んだ。


「東部へ派遣する調査隊を組ませる」


「はい」


「農業官。


 記録官。


 商人。


 そして騎士を同行させる」


 私は考え込んだ。


 確かに。


 私一人が行く必要はない。


「……私が現地へ行かなくても、情報を集めることはできますね」


「ああ」


「でしたら」


 私は頷いた。


「分かりました」


 皇帝が少しだけ表情を和らげる。


「理解してくれたか」


「はい」


 私は頭を下げる。


「ですが、一つお願いがあります」


「何だ?」


「現地の調査官に、できるだけ詳しい記録を取ってもらいたいのです」


「当然だ」


「作物。


 収穫量。


 土壌。


 水。


 備蓄。


 穀物価格。


 獣害。


 農具。


 それから、農民の生活状況も」


「分かった」


「さらに――」


 私は地図を指差した。


「盗難が起きた倉庫についても、必ず調べてください」


「盗難事件も?」


「はい」


 私は頷いた。


「農業問題と切り離してはいけないと思います」


 食料不足。


 穀物価格の上昇。


 備蓄の減少。


 そして。


 組織的な穀物盗難。


「もし誰かが食料を意図的に集めているなら」


 私は静かに続けた。


「それは農業問題ではなく、安全保障の問題になるかもしれません」


 皇帝の表情が変わった。


「……その通りだ」


 短い沈黙。


「だからこそ」


 皇帝は私を見る。


「そなたを行かせるわけにはいかぬ」


 私は頷いた。


 ようやく。


 皇帝がなぜここまで強硬なのか分かった。


 ただ危険だからではない。


 **何者かが東部で何かを始めている可能性がある。**


 そして。


 その正体が分からない以上。


 帝国にとって重要な存在になりつつある私を、そこへ送り込むわけにはいかないのだ。


「では」


 私は地図を見つめた。


「帝都でできる限りの準備をします」


「ああ」


 皇帝は頷いた。


「その代わり」


「はい?」


「必要な資料があれば、遠慮なく申し出よ」


「ありがとうございます」


 私は頭を下げる。


 そして。


 執務室を出ようとした、そのとき。


「ユーリ」


「はい?」


「一つだけ覚えておけ」


 皇帝の声が背中から届く。


「東部へ行くなという命令は、そなたを信用していないからではない」


「……」


「信頼しているからこそ、失いたくないのだ」


 私は振り返った。


 皇帝は。


 いつもの厳しい顔をしていた。


 だが。


 その目には、明らかな心配が浮かんでいた。


「……分かりました」


 私は小さく頭を下げる。


「命令に従います」


 こうして。


 私の東部行きは中止になった。


 だが。


 問題が消えたわけではない。


 むしろ。


 帝都に残った私は。


 東部から届く大量の報告書を前にすることになる。


 そして。


 そこで私は。


 ある一つの共通点に気づくことになるのだった。

### 第○話 東部を狙う者たち


 その頃。


 東部の、とある小さな村。


 夜の帳が下り、村人たちが寝静まった頃。


 一台の荷車が、森の中をゆっくりと進んでいた。


 車輪が石を踏むたびに、


 ガタン。


 小さな音が響く。


「……止まれ」


 御者台に座る男が、低い声で告げた。


 荷車が止まる。


 しばらくすると、森の奥から一人の男が姿を現した。


「予定通りか?」


「ああ」


 御者の男が頷く。


「小麦が二十袋。大麦が十袋だ」


「少ないな」


「この村では、これが限界だ」


「次は?」


「次の村なら、もっと集められる」


「そうか」


 男は荷台へ近づく。


 積まれた袋を一つ、軽く叩いた。


「……問題ない」


「どこへ運ぶ?」


「川沿いの集積所だ」


「そこから先は?」


 問いかけると。


 男は、ゆっくりと振り返った。


「余計なことは聞くな」


「……分かった」


「お前たちは、穀物を集めればいい」


 そう言って。


 男は懐から小さな金属製の印章を取り出した。


 月明かりに照らされた紋章。


 帝国では見慣れないものだった。


「この印を持つ者から指示を受けろ」


「分かった」


「それと――」


 男の声が低くなる。


「絶対に、帝国の役人へ正体を知られるな」


「もちろんだ」


「特に……」


 男は周囲を見回した。


「王宮から派遣される調査官には注意しろ」


 御者の男が眉をひそめる。


「王宮が動いたのか?」


「ああ」


「……早いな」


「最近、王宮に農業改革を進めている女がいるらしい」


「女?」


「名前は――」


 一瞬。


 男は言葉を止めた。


「ユーリ」


「……」


 御者の表情が変わった。


「その女が、東部を調べようとしていたらしい」


「王宮の人間が直接?」


「ああ」


「なら……」


「だが」


 男は口元を歪めた。


「皇帝が止めた」


「皇帝自身が?」


「そうだ」


 男は小さく笑った。


「ならば、まだ時間はある」


「計画は続けるのか?」


「当然だ」


「穀物を集め続ける?」


「それだけではない」


 男は荷車を見た。


「市場へ流れる穀物を減らせ」


「……」


「価格を上げろ」


 御者が顔をしかめる。


「それでは、村の人間が――」


「構わん」


 男は冷たく言い切った。


「食料が不足すれば、人は不安になる」


「不安になれば?」


「農民は領主を疑う」


 男は指を一本立てた。


「領主は商人を疑う」


 二本目。


「商人は役人を疑う」


 三本目。


「そして最後には――」


 男は笑った。


「皇帝を疑う」


 御者は黙り込んだ。


「戦争をする必要はない」


 男は静かに言った。


「腹が減れば、人間は勝手に争い始める」


「……」


「だからこそ、食料を握る」


 男は荷車へ背を向けた。


「ほんの少しだけ、背中を押してやればいい」


 その言葉に。


 御者の男は、何も答えなかった。


 やがて。


 荷車が再び動き始める。


 森の奥へ。


 夜の闇へ。


 その姿が消えていく。


     ◇


 同じ頃。


 東部の別の村。


 一軒の宿屋では、一人の男が机に向かっていた。


 机の上に広げられているのは、帝国東部の地図。


 街道。


 河川。


 市場。


 農村。


 穀物倉庫。


 そこには、無数の印がつけられていた。


「第一地区……予定量の六割」


 男は淡々と記録する。


「第二地区……八割」


 続けて筆を走らせる。


「第三地区……七割」


 そして。


 最後に一枚の報告書へ目を落とした。


「……帝都」


 男の手が止まる。


「まだ動きは小さいか」


 机の上には。


 王宮から東部へ派遣される調査隊の情報もあった。


「だが――」


 男は、その書類を火鉢へ放り込んだ。


 紙が赤く燃え上がる。


「王宮は思ったより早く気づいた」


 特に。


「ユーリ……」


 その名前を口にした瞬間。


 男の目が細くなる。


「厄介な女だ」


 新しい作物。


 肥料。


 保存方法。


 農民への技術指導。


 もし。


 この改革が成功すれば。


「食料不足を利用する計画そのものが崩れる」


 男は立ち上がった。


 そして。


 机の上に残された紙へ目を向ける。


 そこには、いくつかの指示が書かれていた。


『穀物の集積を継続』


『市場への流通量を減少させよ』


『帝国内の不安を拡大せよ』


『必要に応じ、別勢力による犯行に見せかけよ』


 そして。


 最後の一行。


『王宮の農政担当者に接近し、情報を収集せよ』


 男は、その紙をゆっくりと折り畳んだ。


「……さて」


 窓の外を見る。


 夜の東部。


 静かな村。


 眠りについた人々。


 その裏側で。


 すでに何かが動き始めていた。


「次は、どこを揺さぶるか」


 男は地図へ指を置く。


 そこは。


 帝国でも有数の穀倉地帯だった。


「ここだ」


 男が笑う。


「ここを揺らせば――」


 指が。


 ゆっくりと帝都へ向かって動く。


「必ず、帝都まで届く」


     ◇


 一方。


 帝都。


「……やっぱり、おかしい」


 私は机いっぱいに広げた資料を見つめていた。


 東部から届いた報告書。


 その数は、すでにかなりのものになっている。


 盗難事件。


 不審な商人。


 夜間に目撃された荷車。


 市場へ流れていない穀物。


 そして。


 同じ場所に残されていた謎の印。


「偶然じゃない」


 私は呟いた。


「絶対に、何かがある」


 向かいに立つヨハン様も頷く。


「私もそう考えています」


「問題は……」


 私は東部の地図を見る。


「誰が、何のためにやっているのか」


「それが分かりません」


「はい」


 私は腕を組んだ。


 そのときだった。


「ユーリ様」


 ローザリンデさんが、新しい報告書を持って入ってきた。


「東部から追加の報告です」


「ありがとうございます」


 私は受け取る。


 そして。


 一行目を読んだ瞬間。


「……え?」


 思わず声が漏れた。


「どうされました?」


 ヨハン様が尋ねる。


 私は無言で、その報告書を差し出した。


「……」


 そこには。


『東部の某村にて、帝国軍の調査隊と思われる者たちが何者かに尾行された形跡あり』


 と書かれていた。


「……調査隊まで?」


 私は息を呑む。


 つまり。


 相手は。


 こちらが動き始めたことを、すでに把握している。


「ユーリ様」


 ヨハン様が低い声で言った。


「これは……」


「はい」


 私は報告書を握りしめる。


「思っていたより、ずっと危険な相手かもしれません」


 その瞬間。


 コンコン。


 また扉が叩かれた。


「どうぞ」


 扉が開く。


 一人の騎士が駆け込んできた。


「ユーリ様!」


「何ですか?」


「陛下がお呼びです!」


「……?」


「至急、執務室へ来るようにとのことです!」


 私は立ち上がった。


 嫌な予感がする。


 いや。


 もう予感ではない。


 何かが。


 確実に動いている。


「分かりました」


 私は報告書を抱えた。


「すぐに向かいます」


 こうして私は。


 再び皇帝陛下の執務室へ向かうことになった。


 そこで待っていたのは。


 東部から届いた、さらに重大な報告だった。


 そして。


 その報告によって。


 私たちは初めて知ることになる。


 今回の穀物盗難が。


 単なる食料問題ではなく――


 **帝国そのものを揺さぶるための、周到な計画だったことを。**


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