捨てられていた魚の利用価値
前回の感想で挙げた、**魚肥の初回実験を失敗させ、臭いや害虫などの問題から「堆肥化」という改良策へ進む展開**を入れて、主人公の試行錯誤を強める形に修正します。
私は机の上に広げた報告書を、もう一度読み返していた。
種子庫。
食料庫。
肥料。
輪作。
どれも重要だ。
けれど。
まだ、何か足りない気がする。
「……肥料か」
私は呟いた。
家畜の糞尿を堆肥にする。
それ自体は、すでに農民たちも行っている。
ただし。
家畜を十分に飼えない農家では、肥料が足りない。
「もっと別の肥料はないかな……」
私は頭を抱えた。
そのとき。
「ユーリ様」
イサベルさんが声をかけてきた。
「はい?」
「東部の調査報告に、少し変わったものがありました」
「変わったもの?」
「河川沿いの村についてです」
そう言って、イサベルさんが一枚の報告書を差し出した。
「魚の漁獲量について書かれています」
「魚?」
私は紙を見る。
そこには、季節ごとの漁獲量が記録されていた。
「……多いですね」
「かなり多いそうです」
「それなのに――」
私は、次の一文に目を止めた。
『漁獲量が多い時期には、売り切れず廃棄される魚が発生する』
「……捨てている?」
「はい」
私は顔を上げた。
「食べられるのに?」
「すべてを保存する設備がないそうです」
「干物にできないんですか?」
「一部はしています」
「塩漬けは?」
「塩が高価なため、量を増やすのは難しいようです」
なるほど。
魚が獲れないわけではない。
むしろ逆だ。
獲れすぎる。
問題は。
「保存できないことか……」
「はい」
私は報告書を読み進める。
大量に獲れる。
売ることもできない。
保存することもできない。
そして。
傷んだ魚は捨てられる。
「……もったいない」
思わず呟いた。
食料が足りない。
肥料も足りない。
なのに。
目の前では魚が捨てられている。
「待って」
私は顔を上げた。
「魚って……肥料になりますよね?」
「魚を?」
イサベルさんが首を傾げる。
「はい」
魚には養分が含まれている。
昔から、魚を肥料として利用する方法は知られている。
だったら。
「食べられない魚や、余った魚、あるいは骨やアラみたいな食べない部分を肥料にすればいい」
「……肥料にするのですか?」
「そうです」
私は勢いよく立ち上がった。
「保存できないなら、無理に食料にする必要はありません」
「しかし……」
「畑で使えばいいんです」
私は地図を見る。
河川沿いの村。
その近くには広い農地がある。
「魚を獲る」
私は指を動かす。
「食べられる分は食べる」
「売れる分は売る」
そして――。
「余った分は肥料にする」
フェルディナンドさんが、報告書を覗き込んだ。
「魚を肥料にするという発想ですか」
「はい」
「問題は、どう加工するかですね」
「そこは調べないといけません」
生の魚を、そのまま畑へ撒けばいい。
最初はそう思った。
でも。
腐った魚を畑に撒いたらどうなるのか。
私は少し考える。
「……まあ、試してみないと分かりませんね」
「また実験ですか」
「また実験です」
◇
その日の午後。
私は陛下のもとへ向かった。
「魚を肥料に?」
「はい」
陛下は少し意外そうな顔をした。
「食用ではなく?」
「食用にできる分は食べます」
私は答える。
「でも、獲れすぎた魚や、小さすぎる魚、傷んで食用に向かない魚まで全部捨てる必要はありません」
「なるほど」
「肥料に加工するんです」
「農地の肥料に?」
「はい」
私は頷いた。
「河川沿いの村では、魚が大量に獲れるそうです」
「そして、農地もある」
「その通りです」
陛下が地図を見る。
「つまり、漁業の廃棄物を農業へ回す」
「はい!」
私は少し興奮していた。
「魚を捨てる」
だから臭いだけが残る。
でも。
「魚を肥料にする」
そうすれば。
「農地が豊かになる」
魚が作物になる。
作物が人の食料になる。
「獲りすぎた魚にも価値が生まれます」
「……一つの問題から、二つの利益を生むわけか」
「そうです」
陛下が頷く。
「面白い」
「まずは試験的にやらせてください」
「よかろう」
陛下は即答した。
「河川沿いの村で試してみろ」
「ありがとうございます!」
◇
数週間後。
魚肥の試験が始まった。
まずは少量。
生の魚を細かくして、畑の一角へ埋める。
「これで、本当に効くんでしょうか?」
作業を見ていた農業官が不安そうに尋ねる。
「やってみましょう」
私は答えた。
「失敗したら、その理由を考えればいいんです」
そして。
数日後。
「……臭い」
私は思わず鼻をつまんだ。
「ものすごく臭いです」
「はい……」
農業官も顔をしかめる。
さらに。
「うわっ!」
別の作業員が叫んだ。
「どうしたんです?」
「蝿です!」
「……」
畑の周囲に、大量の蝿が集まっている。
おまけに。
「動物まで寄ってきています!」
「猫だけじゃありません。犬まで……」
「……駄目ですね」
私は頭を抱えた。
生魚をそのまま使うのは、想像以上に問題が多かった。
臭い。
害虫。
動物。
衛生面。
このままでは、農民に勧められない。
「収穫量は?」
私は尋ねる。
「まだ結果は出ていません」
「ですよね……」
私は試験区画を見る。
せっかく魚を再利用できると思ったのに。
簡単にはいかない。
◇
数日後。
さらに問題が起きた。
「ユーリ様!」
農業官が駆け込んできた。
「どうしました?」
「近隣の農民から苦情が来ています」
「苦情?」
「臭いがひどすぎる、と」
「……ですよね」
「それから、害虫が増えたとも」
私は額を押さえた。
「これは失敗ですね」
はっきり認める。
魚を肥料にするという考え自体が間違いだったわけではない。
でも。
「使い方を考えないと駄目だ」
私は報告書を睨む。
魚をそのまま撒く。
それでは駄目だ。
だったら。
「……堆肥に混ぜましょう」
「堆肥に?」
「はい」
私は思いついた。
「魚だけで腐らせるんじゃなくて、藁や落ち葉、それから家畜の糞尿と一緒に積むんです」
「発酵させる?」
「そうです」
魚を有機物の中へ混ぜ込む。
水分や空気の管理が必要になるだろう。
温度も見たほうがいい。
「うまく分解させれば、臭いや害虫の問題を減らせるかもしれません」
「なるほど」
「魚を魚のまま使うんじゃない」
私は言った。
「魚を、堆肥という形に変えるんです」
◇
そこから、二度目の実験が始まった。
今度は三つに分ける。
一つ目。
魚だけ。
二つ目。
通常の堆肥。
三つ目。
魚を混ぜた堆肥。
それぞれ同じ条件の畑へ使用する。
「今度こそ……」
私は試験区画を眺める。
正直、不安だった。
前回の失敗を考えれば、今回もそう簡単にいかないかもしれない。
それでも。
待つしかない。
◇
数ヶ月後。
結果が届いた。
「ユーリ様!」
フェルディナンドさんが、珍しく急いで部屋へ入ってきた。
「試験畑の結果です」
「どうでした?」
私は報告書を受け取る。
まず目に入ったのは、魚だけを使った区画。
収穫量は。
「……あまり良くない」
「はい」
次に通常の堆肥。
こちらは、いつも通り。
そして。
魚を混ぜた堆肥。
「……こっちは?」
「明らかに違います」
「収穫量が増えている」
「はい」
私は何度も数字を確認した。
魚を混ぜた堆肥を使った区画では、通常の堆肥だけを使った区画より収穫量が高くなっていた。
「……成功した」
私は思わず笑った。
「今度は成功です」
「しかも、前回のような臭いや害虫の問題もかなり抑えられたそうです」
「よかった……」
私は胸を撫で下ろした。
でも。
私は、もう一度報告書を見る。
「ただ、魚だけを使うのは駄目」
「はい」
「魚を混ぜた堆肥なら使える」
「そういうことになります」
つまり。
魚は、そのままでは扱いにくい。
しかし。
別の有機物と組み合わせることで、価値のある肥料になる。
「……農業って、本当に組み合わせなんですね」
「組み合わせ?」
「はい」
私は笑った。
「豆だけじゃない」
「肥料だけでもない」
「魚だけでもない」
全部をつなげる。
そうすることで、新しい価値が生まれる。
◇
さらに良い報告があった。
「漁師たちからも評判が良いそうです」
「漁師から?」
「はい」
フェルディナンドさんが頷く。
「今までなら、売れない魚は捨てるしかありませんでした」
「はい」
「しかし今は、肥料用として引き取ってもらえる」
「……なるほど」
食用の魚が売れる。
肥料用の魚も利用できる。
そして。
その肥料で作物が増える。
「漁業と農業がつながった……」
私は呟いた。
農業改革という言葉を使い始めてから。
私はずっと、農地だけを見ていた。
でも違う。
農業は農業だけで成り立っているわけじゃない。
家畜。
漁業。
森林。
水。
流通。
全部つながっている。
「ユーリ様」
「はい?」
フェルディナンドさんが尋ねる。
「次は、何を調べますか?」
「……」
私は少し考えた。
そして。
地図を見る。
河川。
畑。
森。
村。
街。
港。
「全部です」
「全部?」
「はい」
私は笑った。
「帝国の中で、捨てられているものを探しましょう」
「捨てられているもの?」
「はい」
余った魚。
家畜の糞尿。
藁。
落ち葉。
食品の残り。
今まで『いらないもの』と思われていたもの。
その中に。
農業を変える資源があるかもしれない。
「捨てるものを減らす」
私は言った。
「そして、それを別の場所で使う」
魚が肥料になるように。
不要なものが、別の場所では価値を持つ。
「……もしかすると」
私は、ふと気づいた。
「帝国には、まだ大量に眠っている資源があるのかもしれません」
それは金でも銀でもない。
もっと身近にある。
毎日捨てられている。
誰も価値を見ようとしていなかっただけだ。
「『捨てない農業』……」
私は小さく呟いた。
種を守る。
食料を守る。
土地を守る。
そして――。
今まで捨てられていたものまで、無駄にしない。
帝国農業改革は。
いつの間にか、農業だけでは収まらないところまで広がり始めていた。




