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農業大学生、異世界で皇帝に呼ばれる――「迷い鳥」は国を変える  作者: 水源


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種を守れば、国が変わる――帝国農業改革、最初の一歩

 翌日。


 私は朝から、フェルディナンドさんの執務室に呼ばれていた。


「……昨日の話、本当にやるんですか?」


 私が尋ねると、フェルディナンドさんは机の上に積まれた書類へ視線を落としたまま答える。


「陛下は、そのおつもりです」


「早くありません?」


「陛下は、決断されると早い方ですから」


 苦笑しながら、フェルディナンドさんが一枚の書類を差し出した。


 そこに書かれていたのは、東部の収穫量。


 地域ごとの穀物生産量。


 現在の備蓄量。


 さらには――。


「……種子の在庫まで調べたんですか?」


「はい」


「仕事が早すぎません?」


「ユーリ様が火をつけたのですよ」


「私ですか?」


「昨夜から、役人たちは大騒ぎです」


「……すみません」


「謝る必要はありません」


 フェルディナンドさんは首を横に振った。


「むしろ、今まで誰もそこまで考えていなかったことのほうが問題だったのでしょう」


 私は机の上の地図を見る。


 帝国東部。


 広大な農地が広がる、帝国有数の穀倉地帯。


 それなのに。


 その土地で暮らす農民たちは、来年の種まで食べなければならないほど困窮している。


「……種子を備蓄するだけで、本当に解決するでしょうか?」


「それは私も疑問に思っています」


「ですよね」


「種を渡せば、植えることはできます」


 フェルディナンドさんはそこで言葉を切った。


「ですが――」


「その種を植えたあと、収穫までどうやって生きるのか」


「……はい」


 私は頷いた。


「種を植えてから収穫できるまで、何ヶ月もあります。その間の食料がなければ、結局また種を食べることになります」


「なるほど」


「だから、種子庫だけじゃ足りません」


 私は地図の上に指を置いた。


「食料備蓄も必要です」


「二つの備蓄を作る、と?」


「はい」


 私は頷く。


「食べるための備蓄と、植えるための備蓄です」


 フェルディナンドさんは腕を組み、しばらく考え込んだ。


「……食料庫と種子庫」


「そうです」


「しかし、それだけの量を国が保管するとなると、莫大な費用がかかります」


「分かっています」


 私は地図を見る。


「だから、一気に全部を国でやる必要はありません」


「といいますと?」


「地域ごとに作るんです」


 私は地図の上に指を滑らせる。


「帝国中の穀物を、全部帝都へ運ぶなんて非効率です」


「確かに」


「農村の近くに、小さな備蓄庫を作る」


 私は続けた。


「その地域で収穫された作物を、一定量だけ備蓄するんです」


「地域備蓄……」


「はい」


 それなら輸送費も抑えられる。


 災害が起きても、帝都から食料を運ぶ必要はない。


 そして何より――。


「近くに備蓄があれば、農民も安心できます」


「安心?」


「はい」


 私は頷いた。


「今年の収穫が少なかったら、来年はどうなるのか分からない。だから農民は、最後の種まで食べてしまうんです」


「……」


「でも、村の近くに『来年の種は確保してあります』って言われたら」


 私は続ける。


「最後の種まで食べる必要がなくなります」


 フェルディナンドさんは、ゆっくり頷いた。


「理屈は分かります」


「ただし――」


 私は指を一本立てた。


「絶対に、国が取り上げるだけの制度にしてはいけません」


「……」


「そんなことをしたら、誰も協力してくれません」


 税として強制的に徴収する。


 国が全部持っていく。


 そんな制度なら、農民はますます不安になる。


「農民が『国に取られる』と思う制度じゃなくて」


 私は言葉を選ぶ。


「『困ったときには返してもらえる』と思える制度にする必要があります」


「つまり、信頼が必要だと?」


「はい」


 そのときだった。


「その意見には賛成できません」


「え?」


 背後から声がした。


 振り返る。


 そこには、一人の重臣が立っていた。


 昨日の会議にも参加していた人物だ。


「失礼」


 重臣は一礼する。


「少し聞こえてしまいました」


「構いません」


 私が答えると、重臣は地図へ目を向けた。


「しかし、ユーリ様」


「はい」


「農民に自由に種を返す制度など、本当に機能するのでしょうか?」


「……どういう意味ですか?」


「備蓄した種を勝手に持ち出されれば、国の備蓄がなくなります」


「それは管理すればいいのでは?」


「では、誰が管理するのです?」


「役人です」


「その役人が不正を働かない保証は?」


「……」


 私は黙った。


 確かに。


 制度を作れば、それで終わりではない。


「さらに」


 重臣は続ける。


「農民が種を食べてしまったのなら、それは彼ら自身の責任では?」


「……」


「来年のために残すべきものを食べた」


 淡々とした口調だった。


「それを国が補填するとなれば、真面目に種を残した農民が損をするのではありませんか?」


 部屋が静まり返る。


 少しだけ、腹が立った。


 けれど――。


 感情で答えてはいけない。


 私は一度、深く息を吸った。


「では、質問します」


「何でしょう?」


「農民が種を食べるまで追い込まれた原因は、何でしょうか?」


「……不作でしょう」


「なぜ不作になったのでしょう?」


「天候や病害など、様々な原因が」


「では、その農民だけの責任ですか?」


「……」


 重臣が黙る。


「雨が降らなかった」


 一つ。


「病気が広がった」


 二つ。


「害虫が発生した」


 三つ。


「家畜が死んだ」


 そして。


「戦争や襲撃で畑を失った」


 私は一つずつ挙げていく。


「そんなことが起きたとき、農民に『種を食べるな』と言うだけで解決するでしょうか?」


「……」


「目の前に子供がいる。今日食べるものがない。それでも『来年のために取っておけ』と言えるでしょうか?」


 重臣は答えなかった。


 私は地図を見る。


「人は、来年より今日を優先します」


 当たり前のことだ。


 明日を生きられる保証がない人間に、来年のことを考えろと言っても無理がある。


「だから、国が『来年』を支えるんです」


 私は言った。


「食べるための食料を確保する」


「……」


「植えるための種も確保する」


「……」


「そうすれば、農民は今日を生きながら、来年の準備もできます」


 重臣が私を見る。


 まだ納得しきれていない顔だった。


 けれど、先ほどまでの勢いは消えている。


「それに」


 私はもう一つ付け加えた。


「これは農民だけのためじゃありません」


「帝国全体のため?」


「はい」


 私は頷いた。


「種がなくなれば、来年の収穫が減ります」


「……」


「収穫が減れば、税収も減る」


「……」


「食料価格も上がる」


 そして。


「都市の人間まで困ります」


 部屋が静まり返った。


「農民を助けることと、帝国を守ることは別じゃありません」


 私は地図へ手を置く。


「同じことなんです」


 しばらくして。


 フェルディナンドさんが口を開いた。


「……陛下に、この話を報告しましょう」


「はい」


 重臣も、渋々ながら頷いた。


     ◇


 陛下のもとへ向かい、先ほどの話を報告する。


「なるほど」


 話を聞き終えた陛下は、しばらく黙っていた。


「地域ごとの食料庫と種子庫か」


「はい」


「管理は?」


「地域の役人だけに任せるのではなく、農民側からも立会人を出します」


「農民を?」


「はい」


 私は頷く。


「国が一方的に管理すると、不信感が生まれます」


「確かに」


「備蓄量も記録して、誰が見ても分かるようにします」


 受け入れた量。


 払い出した量。


 残っている量。


 誰が確認したのか。


「一人に任せないことが重要です」


「複数人で管理するわけか」


「はい」


 陛下は頷いた。


「分かった」


 そして、地図を指差す。


「まずは東部の一部地域で試してみよう」


「試験導入ですか?」


「ああ」


 私は思わず笑った。


「農業政策も、まずは実験からなんですね」


「お前がいつも言っていることだろう」


 陛下が笑う。


「いきなり帝国全土で試す必要はない」


「……その通りです」


「まず一つの地域で試す」


 陛下は続けた。


「結果を見て、問題を修正する」


「はい」


「上手くいけば広げる」


「はい!」


 私は大きく頷いた。


 そして。


「それと、ユーリ」


「はい?」


「お前が欲しがっていたピーナッツとヒマワリの種も探させよう」


「……!」


 思わず顔が明るくなる。


「本当ですか?」


「ああ」


「ありがとうございます!」


「ただし」


 陛下が少しだけ笑った。


「その二つも、農業政策の一部として扱うぞ」


「……え?」


「お前が言い出したのだからな」


「……」


 私は固まった。


 ピーナッツ。


 ヒマワリ。


 トウモロコシ。


 豆。


 芋。


 種子庫。


 食料庫。


 気づけば――。


 私が始めた小さな試みは、どんどん大きくなっていた。


「……本当に、農業を変えることになりそうですね」


 私が呟くと。


「そうしてもらおう」


 陛下は静かに言った。


「帝国の農民が、来年の種を心配せずに済む国にしてくれ」


「……はい」


 私は頷いた。


 料理を変えたかった。


 ただ、それだけだった。


 農民が少しでも美味しく食べられるように。


 少しでも栄養を取れるように。


 そのために、新しい作物を探した。


 けれど――。


 食べるものを変えるなら。


 作るものも変えなければならない。


 作るものを変えるなら。


 農業の仕組みそのものを変えなければならない。


 そして今。


 私は、その入口に立っている。


 帝国農業改革。


 その最初の一歩が――。


 ようやく始まろうとしていた。


     ◇


 帝国農業改革。


 その言葉が正式に決まってから、数日が経った。


 私はというと――。


「……書類、多すぎません?」


 机の上に積み上げられた書類を見て、思わず呟いていた。


「仕方ありません」


 フェルディナンドさんが平然と答える。


「国家の制度を作るのですから」


「でも……」


 一枚を手に取る。


 そこには、種子の保管量。


 備蓄する穀物。


 倉庫の大きさ。


 管理責任者。


 払い出しの条件。


 返還方法。


 細かい項目がびっしりと並んでいた。


「私、農業の話をしただけなんですけど……」


「もう遅いですよ」


「……ですよね」


 私は机に突っ伏した。


 料理を改善したかっただけなのに。


 どうしてこうなった。


「ユーリ様」


 今度はイサベルさんが書類を一枚差し出す。


「こちらも確認をお願いします」


「はい……」


 顔を上げる。


「これは?」


「種子の選別についてです」


「選別?」


「はい。すべての収穫物を種子として保管するわけにはいきませんので」


「あ……」


 言われてみれば、その通りだ。


 来年植える種は、取っておけばいいわけではない。


 病気に弱いもの。


 傷んでいるもの。


 発芽しにくいもの。


 そんな種を残してしまえば、翌年の収穫量そのものが落ちてしまう。


「種子庫って……思った以上に難しいんですね」


「だからこそ、制度として整える必要があるのでしょう」


 フェルディナンドさんが言った。


 私は書類を眺めながら考える。


「……農民にも、種の選び方を教えたほうがいいですね」


「教育まで?」


「はい」


 私は頷く。


「国が良い種を渡すだけでは、いつまでも国に頼ることになります」


「なるほど」


「農民自身が、次に植えるための良い種を選べるようになれば、毎年の収穫も安定していきます」


 フェルディナンドさんが苦笑した。


「また仕事が増えましたね」


「……私のせいですか?」


「もちろん」


「ですよね……」


 私はため息をついた。


 けれど。


 不思議と嫌ではなかった。


 やるべきことが見えてきたからだ。


「それで、試験地域は決まったんですか?」


「はい」


 フェルディナンドさんが地図を広げた。


「東部の三つの村を候補にしています」


「三つ?」


「一つだけでは、結果を誤る可能性があります」


 地図を見る。


「土壌も違う?」


「はい。平地の村、丘陵地の村、そして河川沿いの村です」


「なるほど」


 条件の違う土地で試せば、制度の問題も見つけやすい。


「じゃあ、その三つで始めましょう」


「ただし――」


 フェルディナンドさんの表情が曇った。


「問題があります」


「何ですか?」


「村の人々が、国の制度を信用していません」


「……」


 私は黙った。


「なぜ?」


「これまでにも、凶作の際に救済策はありました」


 フェルディナンドさんが答える。


「ですが、地域によって対応に差がありました」


「つまり……」


「約束通り支援が届かなかった村もある」


「……」


 制度を作るだけなら簡単だ。


 命令書を書けばいい。


 だが。


 命令された側が信用してくれるとは限らない。


「それなら、最初は私たちが直接行きましょう」


「ユーリ様が?」


「はい」


「陛下がお許しになるでしょうか……」


「聞いてみましょう」


 私は立ち上がった。


     ◇


「駄目だ」


 即答だった。


「……ですよね」


 私は皇帝陛下の前で肩を落とした。


「東部では、現在も襲撃事件の調査が続いている」


「はい」


「そんな場所へ、お前を行かせるわけにはいかん」


「でも――」


「駄目だ」


 二度目も即答だった。


 これは、本気で許してくれそうにない。


「では、どうすれば……」


 私が困っていると。


「代わりの者を送る」


「代わり?」


「農業官だけではない」


 陛下はフェルディナンドさんを見る。


「実際に種子庫を運営する役人」


「はい」


「そして、農民と話のできる者も同行させろ」


「承知しました」


 私は考える。


「それなら――」


「何だ?」


「農民側からも代表者を選んでもらえませんか?」


「農民側?」


「はい」


 私は答えた。


「国が勝手に決めるのではなく、村の中で信頼されている人に立ち会ってもらうんです」


「……面白い」


 陛下が頷く。


「さらに」


 私は続ける。


「倉庫の鍵も、一人だけが持つのではなく、複数人で管理します」


「なるほど」


「誰か一人が勝手に持ち出せないようにするんです」


 フェルディナンドさんが頷く。


「相互監視ですか」


「はい」


「では、払い出すときも?」


「記録を残します」


 私は指を折った。


「いつ」


「誰に」


「何を」


「どれだけ渡したのか」


「全部記録するんです」


 陛下が静かに笑った。


「ずいぶん細かいな」


「食料ですから」


 私は答えた。


「曖昧にすると、必ず揉めます」


 誰かが得をした。


 誰かが損をした。


 そんな疑いが生まれれば、制度そのものが壊れる。


「だったら、最初から透明にする」


 私は言った。


「誰が見ても分かるようにするんです」


 陛下はしばらく考えたあと。


「よかろう」


 そう言った。


「試してみろ」


「ありがとうございます」


「ただし――」


 陛下が私を見る。


「結果は必ず報告させる」


「もちろんです」


「成功しても失敗してもだ」


「はい」


 私は頷いた。


 これで第一歩は決まった。


     ◇


 それから数日。


 東部へ向かう使節団が出発した。


 種子。


 穀物。


 記録用の帳簿。


 そして、国の命令書。


 必要なものを積み込んだ馬車が、帝都を出ていく。


 私は城門まで見送りに来ていた。


「どうか、よろしくお願いします」


 代表の役人に声をかける。


「お任せください」


 彼は胸を張った。


 けれど。


 私は最後に、一つだけ伝えた。


「命令するだけでは駄目です」


「……?」


「まず、農民の話を聞いてください」


 彼は少し驚いた顔をした。


「何が足りないのか」


「何が怖いのか」


「何を国に望んでいるのか」


 私は続ける。


「それを聞いてから、制度を説明してください」


「承知しました」


 馬車が動き出す。


 私は、その後ろ姿を見送った。


 これで上手くいくのだろうか。


 正直、分からない。


 けれど。


 今までの農業改革とは少し違う。


 新しい作物を植えるだけではない。


 制度そのものを変えようとしている。


 そして。


 その制度が本当に農民の役に立つのか。


 これから、それが試される。


「ユーリ様」


 隣でイサベルさんが声をかけた。


「はい?」


「何か考え事ですか?」


「ええ」


 私は東の空を見る。


「種子庫が完成しても、それだけでは終わりません」


「と、いいますと?」


「次は――」


 私は言葉を止めた。


 農民が種を残せるだけの収穫を得るには。


 そもそも、収穫量そのものを増やさなければならない。


「……もっと農業そのものを調べないと」


 麦の育て方。


 豆の育て方。


 芋の育て方。


 トウモロコシ。


 ピーナッツ。


 ヒマワリ。


 そして。


 土。


 水。


 肥料。


 輪作。


 農具。


 保存。


 流通。


 考えれば考えるほど、やることは増えていく。


 けれど――。


「……面白くなってきた」


「え?」


「いえ、何でもありません」


 私は笑った。


 食事を変える。


 作物を変える。


 農業を変える。


 そして――。


 人々の暮らしを変える。


 そのためには、まだまだ知らなければならない。


 私は帝都へ戻る馬車に乗り込んだ。


     ◇


 その日の午後。


 一通の書状が届けられた。


「ユーリ様」


 侍従が封蝋された書状を差し出す。


「東部からの急報です」


「……急報?」


 私は書状を受け取った。


 嫌な予感がした。


 封を切る。


 そして――。


 最初の一文を読んだ瞬間、私は息を呑んだ。


『種子庫の設置を巡り、一部農民との間で激しい対立が発生』


「……」


 私は書状を握りしめた。


 やはり。


 制度を作るだけでは、簡単にはいかない。


 改革には――。


 必ず、抵抗する人間がいる。


 そして。


 その抵抗の裏には、きっと理由がある。


     ◇


 東部から届いた急報。


 私は何度も、その一文を読み返していた。


『種子庫の設置を巡り、一部農民との間で激しい対立が発生』


「……やっぱり、そう簡単にはいきませんね」


 私は書状を机の上に置いた。


「申し訳ありません」


 フェルディナンドさんが言う。


「私も、ここまで強い反発が出るとは予想していませんでした」


「原因は?」


「現在、詳しく調べさせています」


「お願いします」


 私は頷いた。


 ただ――。


 胸の奥に、嫌な予感が残っていた。


 農民が、種子庫そのものを嫌っているとは思えない。


 来年の種が確保される。


 食料も備蓄される。


 本当に農民のための制度なら、反対する理由は少ないはずだ。


 ならば。


「……制度そのものではなく、制度の使われ方を警戒しているのかもしれません」


「私もそう考えています」


 フェルディナンドさんが答えた。


「だから、現地から詳しい報告が届くまで待ちましょう」


「はい」


 そして三日後。


 東部から追加の報告が届いた。


「来ました」


 侍従が書状を差し出す。


 私は受け取ると、すぐに封を切った。


 内容を読み進める。


 そして――。


「……なるほど」


 思わず呟いた。


「何と書いてありますか?」


 イサベルさんが尋ねる。


「農民たちは、種子庫そのものに反対していたわけではないそうです」


「では、何に?」


「国が種を『預かる』ことに反発していたそうです」


「預かる?」


「はい」


 私は書状を読み上げた。


「農民たちは、『預けた種を本当に返してくれるのか』と疑っているそうです」


「……」


「さらに、役人が種を税として取り上げるのではないか、と」


 イサベルさんが眉を寄せる。


「税と種子庫を混同しているのですか?」


「どうやら、そういうことらしいです」


 私はため息をついた。


 でも――。


 よく考えれば当然だった。


 農民から見れば。


 国の役人がやってきて、


『収穫した作物の一部を預けろ』


 と言われたのだ。


 しかも、その作物は。


 来年の生活を左右する、大切な種。


「……怖いですよね」


 私が呟く。


「何がですか?」


「来年の命を預けろと言われるんです」


 イサベルさんが黙る。


「しかも、返ってくる保証がない」


 これでは。


 いくら立派な制度を作っても、信用されるはずがない。


「制度を変えましょう」


「どのように?」


「『国が預かる』という考え方をやめます」


 私は立ち上がった。


「では?」


「村の共同財産として扱うんです」


「共同財産……」


「国が取り上げるものではありません」


 私は言った。


「その村のために、その村が保管する」


「しかし、倉庫の管理には国の人間も必要では?」


「監督はしてもらいます」


 私は答える。


「でも、最終的な管理には農民も参加してもらう」


「なるほど」


「それなら、国が勝手に持っていくことはできません」


 さらに。


「種を納めた農家には、必ず記録を残します」


「記録?」


「誰が、どれだけ預けたのか」


 私は指を折る。


「麦なら麦で何袋」


「豆なら何袋」


「そして、それを誰が確認したのか」


 すべて帳簿に残す。


「そして凶作になったら」


 私は続ける。


「村の会議で払い出しを決める」


「国ではなく、村で?」


「はい」


 もちろん、完全に自由にしてしまえば問題も起きる。


 だから。


「国は監査する」


「しかし、勝手に持ち出すことはできない」


「そういう仕組みにします」


 フェルディナンドさんが頷いた。


「かなり変わりますね」


「ええ」


 私は苦笑した。


「でも、農民が信用してくれない制度なんて、作っても意味がありませんから」


 そして。


 もう一つ。


「それから、名前も変えましょう」


「名前?」


「『種子徴収制度』みたいな名前にしたら、絶対に嫌われます」


「……確かに」


「だから――」


 私は少し考える。


「『共同種子庫』」


「共同種子庫……」


「村のみんなで守る種子庫です」


 フェルディナンドさんが微笑んだ。


「良い名前だと思います」


     ◇


 数日後。


 東部へ向かう使節団へ、新しい命令書が届けられた。


 内容は大きく変わった。


 種子は税ではない。


 国が没収するものでもない。


 農民から預かった種子は、原則として、その地域のために保管する。


 そして――。


 凶作などで種子を失った農家には、翌年の作付けに必要な分を貸し出す。


「貸し出す?」


 フェルディナンドさんが確認する。


「はい」


「無償ではなく?」


「最初から無償にすると、制度を維持できなくなる可能性があります」


 私は答えた。


「ただし、返すのは同じ量だけでいい」


「増やさなくていいのですか?」


「まずは、それで十分です」


 たとえば。


 麦の種を一袋借りた。


 翌年、収穫できた。


 その中から一袋を返す。


「そうすれば、種子庫は少しずつ維持できます」


「なるほど」


「そして、凶作だった場合は返済を翌年以降に延期する」


「……それなら、農民も安心できますね」


「はい」


 借りたものを返せるほど収穫がなければ。


 そもそも返せないのだから。


「ただし、一つだけ条件があります」


「何でしょう?」


「種子庫の種を食料として売ったり、勝手に使ったりすることは禁止します」


「当然ですね」


「でも――」


 私は続ける。


「それを破った農民を、いきなり犯罪者扱いするのも駄目です」


「……?」


「なぜそうしたのかを調べるんです」


 食べるものがなかったのか。


 病気だったのか。


 家族が飢えていたのか。


「もし、本当に生活できないほど困っていたなら」


 私は言った。


「種子庫だけじゃなく、食料庫から支援する必要があります」


 フェルディナンドさんが目を見開く。


「……食料庫と種子庫を連動させるのですか」


「はい」


 私は頷いた。


「種を食べる人を責めるだけでは駄目です」


「……」


「種を食べなくても済むようにする」


 それが一番大切だ。


 食料がある。


 だから種を残せる。


 種が残る。


 だから翌年、作物を植えられる。


 作物が育つ。


 だから食料が増える。


「これなら、負の循環を逆にできます」


「食料が種を守り、種が来年の食料を作る」


「そうです」


 私は頷いた。


     ◇


 さらに数日後。


 東部から、再び報告が届いた。


「農民たちが、共同種子庫の設置に同意したそうです」


「本当ですか?」


 私は思わず聞き返した。


「はい」


 フェルディナンドさんが笑う。


「最初に反対していた農民たちも、条件を聞いて態度を変えたようです」


「……よかった」


 私は胸を撫で下ろした。


 けれど。


 報告書には、もう一つ気になる記述があった。


「……これは?」


「何かありましたか?」


「種子庫の話とは別に、農民たちから要望が出ています」


「要望?」


 私は続きを読む。


『種子を確保しても、収穫量そのものが少なければ、生活は改善しない』


『種子だけではなく、肥料についても支援してほしい』


「……」


 私は思わず笑った。


「なるほど」


「どうしました?」


「農民のほうが、私より先に気づいています」


「何に?」


「種を守るだけじゃ、農業は変わらないってことにです」


 私は報告書を机に置いた。


 種を守る。


 食料を守る。


 でも。


 そもそもの収穫量が少なければ、同じことの繰り返しだ。


「肥料……」


 私は呟く。


 そこで、ふと頭に浮かんだ。


「家畜の糞尿は?」


「肥料として使われています」


「どの程度?」


「地域によって差があります」


「……」


 私は考え込む。


 肥料。


 堆肥。


 輪作。


 豆類。


 土壌。


 水。


 農具。


 まだまだ調べることがある。


 そして。


 その中には、今まで見過ごされていたものもあるかもしれない。


「フェルディナンドさん」


「はい?」


「農民の畑を、もっと詳しく調べたいです」


「畑を?」


「はい」


 私は地図を広げた。


「どんな作物を植えているのか」


「どんな肥料を使っているのか」


「どれくらい収穫できるのか」


 そして――。


「なぜ、その土地で収穫量が落ちているのか」


 種子庫は、農業改革の入口だった。


 けれど。


 その先には、もっと大きな問題が待っている。


 土地をどう使うのか。


 作物をどう組み合わせるのか。


 肥料をどうするのか。


 水をどう確保するのか。


 そして――。


 どうすれば、同じ土地からもっと多くの食料を生み出せるのか。


「……やることが、また増えましたね」


 私が呟くと。


 フェルディナンドさんが笑った。


「ユーリ様が始めた改革ですから」


「……ですよね」


 私はため息をついた。


 けれど。


 不思議と、嫌ではなかった。


 むしろ。


 胸の奥が少しだけ熱くなっていた。


 料理から始まった、小さな改革。


 それが今。


 種子を守る制度になり。


 食料を守る制度になり。


 そして――。


 土地そのものを変える改革へと、広がろうとしていた。


 ただ。


 私はまだ知らなかった。


 農民たちが次に求める「肥料」が。


 帝国農業そのものを、大きく変えることになるとは。

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