女料理長とカボチャ
さて。
私は相変わらず、頭を悩ませていた。
料理長のローザリンデさんと相談しながら、トウモロコシを使った料理をいくつも試している。
茹でる。
焼く。
粉にする。
小麦粉と混ぜてパンにする。
どれも、それなりに美味しい。
けれど――。
「……これで、本当にいいのかな」
私は一人、試作したパンを見つめていた。
確かに美味しい。
だが、ここは宮廷厨房だ。
小麦粉もある。
塩もある。
燃料もある。
立派な窯もある。
そして何より、料理の専門家がいる。
ここで美味しい料理を作るだけなら、難しくない。
問題は――。
「農民の家でも、同じものが作れるのか」
そこだった。
私は、まだ農民の食卓を見ていない。
それでは、何も分からない。
そんなことを考えていると。
コンコン。
突然、部屋の扉がノックされた。
「どうぞ」
私が返事をすると、扉が開く。
そして――。
「…………え?」
私は固まった。
入ってきたのは、ヨハン様。
ただし、一人ではない。
その後ろには――。
ずらり。
ずらり、ずらり。
女性たちが並んでいる。
「彼女たちは、今日から君に仕えることになる者たちだ」
「……今日から?」
「そうだ」
ヨハン様は、何でもないことのように頷いた。
いやいや。
ちょっと待ってください。
そんな話、聞いていません。
私が困惑していると、一人の女性が前へ進み出た。
「迷い鳥たるユーリ様に、ご挨拶申し上げます」
彼女はスカートの裾をつまむ。
そして片足を斜め後ろへ引き、もう片方の膝を軽く曲げた。
背筋はまっすぐ。
優雅な一礼。
カーテシーだ。
「本日より女家庭教師として働かせていただきます。マリアと申します」
「ど、どうぞよろしくお願いいたします」
私は慌てて頭を下げた。
……あれ?
西洋の礼儀作法では、日本のように深々と頭を下げるのは、あまり良くないんだったか?
そんな疑問を抱きながら、私は尋ねた。
「ところで、私は何を教わるのでしょうか?」
「はい。ドイツ語、ラテン語、ギリシア語の読み書き。基本的な計算。家事の基本。舞踊、刺繍、詩作、詩吟、絵画、楽器の演奏、そして礼儀作法などになります」
「…………」
多い。
絶対に多い。
「家事の基本、ですか?」
「はい」
「料理や掃除なら、一通りできますが……」
するとマリアさんは、微笑んだ。
「ご自分でなさる必要はございません」
「え?」
「家事の基本とは、ご自身で掃除や洗濯をすることではございません」
そう言って、彼女は説明を続ける。
「家政婦長を通じて使用人たちへ、掃除、洗濯、糸紬、機織り、服飾、刺繍などの指示を出すことです」
「ああ……」
なるほど。
そういう意味か。
「つまり、人を使うための家事知識ということですね」
「その通りでございます」
「なるほど……」
貴族って、大変だ。
自分で家事をするよりも、人にやらせるための知識が必要なのか。
「楽器については、ハープ、リュート、レベック、ヴァイオリン、ヴィオラなどの弦楽器」
まだ続くの!?
「オルガン、クラヴィコード、チェンバロなどの鍵盤楽器。そしてフルートのような管楽器もございます」
「…………」
「必要であれば、トランペットやトロンボーンなども」
「随分と多いのですね」
「それはもちろんです」
マリアさんは、にっこりと笑った。
……笑顔が怖い。
これ。
全部覚えるんですか?
私、農業改革をしたいだけの一般人なんですけど。
せめてもの救いは――。
この時代には、まだピアノが存在していないことだ。
もしピアノまであったら、私は完全に詰んでいた。
「では、次の者を」
別の女性が前へ出る。
「迷い鳥たるユーリ様に、ご挨拶申し上げます」
また優雅な一礼。
「私は迷い鳥様の女相談役、イサベル・デ・アウストリアと申します」
「どうぞよろしくお願いいたします」
私が頭を下げると、ヨハン様が補足した。
「この方はカール様の妹君であり、フェルディナンド様の姉君に当たられる」
「……え?」
思わずイサベルさんを見る。
そんな身分の人が、私の相談役?
「いろいろありまして、現在は未亡人であられる」
「な、なるほど……」
いろいろ、で済ませていい話なのだろうか。
「イサベル様には、何を教えていただくのでしょうか?」
「主に諸外国の名前や外交、社交についてでございます」
「外交……?」
「当面はユーリ様に付き従い、話し相手となります」
嫌な予感がする。
「また、社交や外交の場において、位の高い方々に対する名代として、ユーリ様を印象づける役割も務めさせていただきます」
「…………」
「何か問題でも?」
「社交や外交の場?!」
思わず声が裏返った。
「そ、そんなことを私が!?」
「はい」
即答だった。
いやいやいや!
私はただの一般人です!
農業を見て。
食べ物を増やして。
貧しい人たちが少しでも楽になればと思っていただけなのに。
いつの間に――。
外交にまで関わることになったんですか!?
「さらに、お着替えや衣服、宝飾品など、身の回りのお世話をする私室付き女官――侍女は四名となります」
ヨハン様が、にこやかに告げる。
「四人!?」
「はい」
「多くありませんか?」
「いえいえ。これくらいは必要でしょう」
必要なの!?
「その他にも、家事を統括する家政婦長が一名」
嫌な予感しかしない。
「その下に宮女として、部屋の清掃担当、廊下の掃除担当、洗濯担当、糸紬担当、機織り担当、裁縫担当などがおります」
「…………」
人が。
どんどん増えていく。
そして。
「迷い鳥たるユーリ様に、ご挨拶申し上げます」
また一人。
「家政婦長のアレクシアでございます」
「ど、どうぞよろしくお願いいたします……」
もう何人目なのか分からない。
私は半ば放心状態になっていた。
しかし。
ヨハン様は、まだ終わらない。
「また、それとは別に女料理長が統括し、それを補佐する副料理長が――」
「まだいるんですか!?」
思わず叫んでしまった。
だが、ヨハン様は気にする様子もない。
「食材の調達係、燃料の調達係、食糧庫番、燃料庫番、魚料理係、肉料理係、温製前菜係、冷製前菜係、スープ係、パン係、菓子係、ソース係、飲料係、屠殺係、切り分け係、給仕係、搾乳婦、皿洗い係などを統括します」
「…………」
頭が痛い。
そして最後に、一人の女性が進み出た。
「迷い鳥たるユーリ様に、ご挨拶申し上げます」
「は、はい……」
「女料理長のローザリンデでございます」
「よろしくお願いいたします」
私が挨拶すると、ヨハン様が満足そうに頷いた。
「これで一通りです」
「一通り……?」
私は部屋を見回した。
女家庭教師。
女相談役。
侍女。
家政婦長。
料理人たち。
その他大勢の使用人。
「私一人のために、そんなに必要なんですか!?」
「当然です」
ヨハン様はきっぱりと言った。
「貴方は大切な迷い鳥様なのですから」
「…………」
「待遇としては、皇帝・皇妃に匹敵いたします」
「重い!」
思わず本音が漏れた。
……私は、もっと普通に暮らしたい。
そう思った。
だが。
そんな私に、一つの考えが浮かんだ。
「あ」
「どうされました?」
私はローザリンデさんを見る。
「ローザリンデさん」
「はい」
「トウモロコシについて、相談したいことがあります」
「トウモロコシ、でございますか?」
「はい」
料理の専門家がいる。
なら、頼らない手はない。
農民でも作れる料理。
トウモロコシを粉にする方法。
保存方法。
パンやスープへの利用。
私一人で考えるより、料理人と一緒に試したほうがいい。
そして――。
もう一つ、試してみたい作物がある。
「あの、かぼちゃって、ここで手に入りますか?」
「かぼちゃ、ですか?」
ローザリンデさんが首を傾げた。
「手に入るとは思いますが……私は庭師ではありませんので、詳しいことは分かりません」
「あ、なるほど」
確かに。
料理人に農作物の流通まで聞くのは違うか。
「かぼちゃは美味しいんですよ」
私は思わず笑った。
煮てもいい。
スープにしてもいい。
パンや菓子にもできる。
栄養もある。
食料事情が厳しい時代なら、こうした作物を増やす意味は大きい。
「秋になったら、ぜひ料理してみたいです」
「秋、でございますか?」
「はい。かぼちゃのスープや料理。それから……」
パンプキンパイ。
かぼちゃのケーキ。
かぼちゃのグラタン。
かぼちゃのサラダ。
考え始めると、次々と料理が浮かんでくる。
「いろいろ作ってみたいんです」
「は、はあ……承知いたしました」
ローザリンデさんは、少し戸惑ったように頷いた。
その様子を見て――。
私はふと思った。
――そういえば。
宮廷料理人は、当然ながら料理の専門家だ。
けれど。
農民の料理を、どれだけ知っているのだろう?
宮廷で食べられている料理と。
農民の家で食べられている料理。
同じ「料理」でも、きっと別物だ。
私が本当に知りたいのは――。
後者だった。
農民は何を食べている?
トウモロコシをどう調理している?
どんな道具を使う?
どんな燃料で火を起こす?
料理には、どれくらい時間がかかる?
そして――。
どんな料理なら、毎日の食卓に取り入れられる?
「…………」
ふと、以前に出会った少女のことを思い出した。
人形を売っていた、あの女の子。
できることなら、彼女の家に行ってみたい。
実際の農民の家。
実際の台所。
実際の食卓。
そこを自分の目で見てみたい。
「……困ったな」
私は小さく呟いた。
でも、簡単にはいかない。
私は「迷い鳥様」なのだ。
そんな人間が突然農民の家を訪ねたら――。
相手は緊張する。
普段の食事なんて、見せてくれない。
きっと、普段より豪華な料理を用意してしまう。
それでは意味がない。
「だったら……」
別の方法を考えなければならない。
必要なのは、宮廷の豪華な料理ではない。
もっと質素で。
もっと簡単で。
誰でも作れる料理。
そのためには――。
まず、農民の暮らしを知らなければならない。
◇
翌日。
私は厨房にいた。
「では、まずこちらを」
ローザリンデさんが差し出したのは、黄色い粒の山だった。
トウモロコシだ。
「これを茹でるだけでも美味しいですが……」
「それでは、農民の食卓には向きませんよね」
「はい」
ローザリンデさんも頷いた。
「塩や燃料も必要ですし、何より毎日の主食にするには量が必要になります」
「そうなんです」
問題は、美味しい料理を作ることではない。
**安く。**
**簡単に。**
**腹いっぱい食べられること。**
そこが重要なのだ。
「では、粉にしてみましょう」
「粉、ですか?」
「はい」
トウモロコシを挽いて粉にする。
それを小麦粉と混ぜる。
小麦の使用量を減らしながら、パンとして食べられるようにする。
以前から考えていた方法だ。
「小麦粉の代わりにするのではなく、混ぜるんです」
「なるほど」
ローザリンデさんが興味深そうに頷く。
「小麦の使用量を減らせれば、食料の節約にもなります」
「その通りです」
さっそく粉を挽いてもらう。
石臼が回る。
ゴリゴリと音を立てながら、黄色い粉が少しずつ落ちてくる。
それを小麦粉と混ぜる。
水を加える。
こねる。
そして焼く。
しばらくすると――。
厨房いっぱいに、香ばしい匂いが広がった。
「……いい匂いですね」
「ええ」
焼き上がったパンを切り分ける。
黄色みがかったパン。
私は一口食べてみた。
「……うん」
悪くない。
むしろ、美味しい。
ほんのり甘くて、香ばしい。
「これはいけますね」
「ええ。十分、商品として出せるでしょう」
「でも……」
私はパンを見つめた。
「これじゃ駄目なんです」
「駄目、ですか?」
ローザリンデさんが不思議そうな顔をする。
「どうしてでしょう?」
「美味しいからです」
「…………?」
私は苦笑した。
「いえ。美味しいことが悪いわけではありません」
問題は――。
「これは宮廷の厨房で作っています」
「はい」
「小麦粉があります」
「ございます」
「立派な窯があります」
「はい」
「十分な燃料もあります」
「もちろんです」
私は指を一本ずつ立てていく。
「そして、料理人もいます」
「……はい」
「これでは農民の家で再現できるか分かりません」
「あ……」
ローザリンデさんが、ようやく気づいたような顔をした。
「つまり……」
「はい」
私は頷く。
「私たちは、農民が食べられる料理を作っているつもりで――」
焼き上がったパンを見る。
「宮廷で作れる料理を作ってしまっているんです」
厨房が静かになった。
これは、大きな問題だった。
農民の家に、立派な窯があるとは限らない。
小麦粉を好きなだけ使えるわけでもない。
砂糖や香辛料だって貴重だ。
そもそも――。
料理に使える薪そのものが少ないかもしれない。
「……ローザリンデさん」
「はい」
「農民の家では、普段どんな料理を作っているか知っていますか?」
「もちろん、ある程度は」
そう答えた彼女だったが。
少し考えると、困ったように眉を寄せた。
「……申し訳ありません。詳しくは存じません」
「ですよね」
私は苦笑した。
やっぱりだ。
ローザリンデさんが悪いわけではない。
宮廷料理人は、与えられた材料と設備で最高の料理を作ることを求められている。
だからこそ――。
農民の台所とは、あまりにも環境が違う。
「だったら、見に行きましょう」
「……どちらへ?」
「農民の家です」
ローザリンデさんが目を丸くした。
「ユーリ様が、ですか?」
「はい」
「それは……」
彼女は言葉を濁した。
当然だ。
迷い鳥と呼ばれている私が、普通の農民の家を訪問する。
それだけで大騒ぎになる。
「私が行ったら、普段の料理を作ってくれなくなるでしょうね」
「おそらく……」
「ですよね」
私は頭を抱えた。
変装するか?
いや。
私の顔を知っている人がいれば、すぐにばれる。
そもそも、変装して農民の家に潜り込むなんて、ヨハン様が許してくれるとは思えない。
「…………」
そのときだった。
「でしたら、私が参りましょうか?」
声がした。
振り返る。
そこに立っていたのは――。
「イサベル様?」
「はい」
女相談役のイサベルさんだった。
「ユーリ様が直接行かれる必要はございません」
「でも……」
「私が調査いたします」
「調査?」
「はい」
イサベルさんは微笑んだ。
「ユーリ様の身分を伏せたうえで農村の家庭を訪問し、普段の食事について話を聞けばよいのです」
「そんなことができるんですか?」
「私を誰だと思っておられるのですか?」
イサベルさんは、少しだけ胸を張った。
「社交と外交を教える女相談役でございます」
「……なるほど」
確かに。
彼女なら私より、ずっと自然に人と話せるだろう。
「では、お願いします!」
私は勢いよく頭を下げた。
「承知いたしました」
イサベルさんは頷く。
だが。
「ただし」
「はい?」
「一つ条件がございます」
「条件?」
「私も一緒に参ります」
「え?」
「ユーリ様が知りたいのは、農民の料理だけではございませんでしょう?」
イサベルさんが、じっと私を見る。
「薪の量」
「……」
「水の確保」
「……」
「調理器具」
「……」
「食材の保存」
「……」
「食事を作る人」
「……」
「そして――家族が一日にどれだけ食べるのか」
「…………」
全部、見抜かれている。
「そこまで分かれば、料理を考えるだけではなく、農民の生活そのものに合わせた食料政策を考えることができます」
「はい」
私は頷いた。
「そこまで知りたいです」
「では、決まりですね」
イサベルさんが微笑んだ。
◇
その日の午後。
私たちは農村へ向かう準備を始めた。
もちろん、私がそのまま行くわけではない。
簡素な服を用意してもらう。
目立たない馬車を使う。
護衛も最低限。
そして――。
「ユーリ様」
「はい?」
「絶対に、迷い鳥様だと名乗らないでくださいませ」
「分かっています」
「農民の方に敬語を使いすぎてもいけません」
「……難しいですね」
「普段通りでよろしいのです」
「分かりました」
私は頷いた。
けれど。
胸の奥は、少しだけ高鳴っていた。
あの少女に会えるだろうか。
人形を売っていた、あの子。
もし会えたなら――。
今度こそ、彼女の家の食卓を見てみたい。
何を食べているのか。
どんな鍋を使っているのか。
どれだけ薪を使うのか。
食事を作るために、どれだけの時間が必要なのか。
そして。
トウモロコシが、その生活の中で本当に役に立つのか。
それを、この目で確かめたい。
「……行きましょう」
私は馬車に乗り込んだ。
今回の目的は、料理を作ることではない。
**農民が、何を食べているのかを知ること。**
そこから始めなければならない。
本当の意味での食料改革にはならない。
そして――。
私はまだ知らなかった。
この小さな農村への訪問が。
トウモロコシだけではなく――。
**帝国の食卓そのものを変えるきっかけになることを。**
というわけで今回はかぼちゃですね。
ハロウィンに使うジャックオーランタンも、もとは蕪を使っていたとか。




