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農業大学生、異世界で皇帝に呼ばれる――「迷い鳥」は国を変える  作者: 水源


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東部を狙う影――オットマン帝国の工作

 騎士が差し出した書状を、フェルディナンド様が受け取った。


「……東部のある村から、夜間に不審者が目撃された、とあります」


「不審者?」


「はい」


 私は思わず身を乗り出した。


「どんな人物ですか?」


「農民たちの話では、見慣れない服装だったそうです」


「人数は?」


「正確にはわかりません。ただ、複数だったと」


 フェルディナンド様は書状を読み進める。


「夜になると畑の周囲を調べていたようです。農民が近づくと、姿を消したとか」


「畑を……?」


 私は眉を寄せた。


 妙だ。


 盗賊なら、普通は金目のものを狙う。


 家畜。


 穀物。


 農具。


 あるいは金銭。


 なのに、この者たちは畑を調べていた。


「何か盗まれたものは?」


「今のところ、ありません」


「……それは変ですね」


「ええ。私もそう思います」


 フェルディナンド様が書状を机の上に置いた。


「さらに妙なのが、別の村でも似たような目撃情報が出ていることです」


「別の村でも?」


「はい」


 農務局の男性が答えた。


「夜になると数人の男が現れ、畑や倉庫を調べている。そして、村人が近づくと逃げるそうです」


「盗賊じゃないですね」


 私は呟いた。


「少なくとも、普通の盗賊のやり方ではありません」


 部屋の空気が、一段重くなった。


 フェルディナンド様が帝国の地図へ目を向ける。


「食料の不作」


 その指が東部の穀倉地帯をなぞった。


「食料を運ぶ商隊への襲撃」


 次に街道へ移る。


「そして、農村を調べる不審者」


 私は頭の中で三つの情報を並べた。


 不作。


 流通への襲撃。


 農村の調査。


「……偶然とは考えにくいですね」


「ええ」


 フェルディナンド様が頷いた。


「誰かが、東部の食料事情を調べている」


「そして、流通も邪魔している」


 私は言葉を継いだ。


「もし、そうだとしたら――」


 胸の奥に、嫌な予感が走った。


「食料不足そのものが、目的なのかもしれません」


 誰も答えなかった。


 けれど。


 誰も、それを否定もしなかった。


「では、誰が?」


 農務局の男性が、不安そうに尋ねる。


「国内の反乱分子でしょうか?」


「可能性はあります」


 フェルディナンド様は答えた。


「ですが、現時点では、国内の勢力がこの規模の工作を行っているという情報はありません」


 私は地図を見る。


 帝国の東。


 さらに、その向こう。


 この時代、帝国にとって最大級の脅威となり得る国家がある。


「……オットマン帝国」


 その名前を口にした瞬間。


 部屋が静まり返った。


 フェルディナンド様が、ゆっくりと私を見る。


「なぜ、そう思われるのです?」


「まだ証拠はありません」


 私は慌てて付け加えた。


「ただ、帝国の食料事情を悪化させて得をする相手を考えたら、候補には入ると思います」


「確かに」


 フェルディナンド様が腕を組む。


「しかし、オットマン帝国が直接兵を送り込んできたとは考えにくい」


「だからこそ、エージェントなのでは?」


「……」


 フェルディナンド様の表情が険しくなった。


「可能性はあります」


 低い声だった。


「正規軍ではない」


「はい」


「盗賊を装い」


「はい」


「商隊を襲撃する」


「そして、農村を調べる」


 私は頷いた。


「帝国と戦うなら、兵士だけを動かせばいいわけではありません」


 食料が必要になる。


 馬にも食べさせなければならない。


 兵站が必要になる。


 街道も必要になる。


「逆に言えば、帝国の食料を減らせば、軍の動きも鈍らせられます」


 フェルディナンド様は黙り込んだ。


 やがて。


「……もし、それが本当なら」


「はい」


「東部の不作まで、利用されている可能性がありますな」


「私も、そう思います」


 自然に起きた不作。


 そこへ人為的な襲撃を重ねる。


 食料が減る。


 価格が上がる。


 農民が不安になる。


 商人が輸送を嫌がる。


 さらに食料が届かなくなる。


 悪循環だ。


「戦争を始める前に、相手の国を弱らせる……」


 私は呟いた。


「……かなり嫌なやり方ですね」


「戦争とは、そういうものです」


 フェルディナンド様の言葉は重かった。


 そのときだった。


「フェルディナンド様!」


 再び扉が開いた。


 今度は別の騎士が駆け込んでくる。


「どうした?」


「東部街道で捕らえた襲撃者について、報告があります」


「捕らえた?」


 私は思わず立ち上がった。


「一名だけですが、生け捕りにしました」


「尋問は?」


「現在、騎士団が行っています」


「何かわかったのです?」


「はい」


 騎士は一枚の紙を取り出した。


「男は帝国内の言葉を話します。ただ、訛りがかなり強いそうです」


「出身地は?」


「本人は答えません」


 騎士はそこで言葉を切った。


「ですが、所持品の中から奇妙なものが見つかりました」


「何ですか?」


「硬貨です」


 机の上に、一枚の硬貨が置かれた。


 私はそれを覗き込む。


 見慣れない意匠。


 そして――。


「……これ」


 フェルディナンド様が硬貨を手に取った。


 表を見る。


 裏返す。


 その瞬間。


 フェルディナンド様の顔から、血の気が引いた。


「オットマンの硬貨です」


 部屋が凍りついた。


 私は息を呑んだ。


 偶然ではない。


 少なくとも、ただの盗賊ではない。


 東部で起きていることには――。


 帝国外から伸びた手がある。


 しかも。


 その手は、すでに帝国の内部へ入り込んでいる。


     ◇


「……ユーリ様」


「はい」


 フェルディナンド様が、静かに私を見る。


「東部視察の予定を変更しましょう」


「どうするんですか?」


「農業視察だけではありません」


 その目には、皇帝に仕える者としての鋭さが宿っていた。


「調査団として向かいます」


「わかりました」


 私は頷いた。


 トウモロコシの種を増やす。


 新しい料理を広める。


 農民の食卓を豊かにする。


 そんな未来を考えていたはずだった。


 それなのに。


 いつの間にか私は、帝国の食料を狙う敵と向き合うことになっていた。


 そして――。


 このときの私は、まだ知らなかった。


 今回の襲撃が、単なる食料不足を狙った工作ではないことを。


 東部にはすでに。


 帝国の内部へ入り込もうとしている者たちがいることを。


 そして、その者たちの狙いが――食料だけではないことを。


     ◇


「……東部へ行きたい?」


 皇帝陛下の声が、低く響いた。


「はい」


 私は頷いた。


「農務局から報告をいただきましたが、やはり現地を自分の目で確認したいと思っています」


「ならぬ」


「……え?」


 あまりにも即答だった。


 私は思わず目を瞬かせる。


「陛下?」


「ならぬと言った」


 皇帝陛下は椅子に深く腰掛けたまま、私を見つめていた。


 昨日までの穏やかな表情はない。


「東部では、何者かによる襲撃が起きている。しかも、その背後にオットマンの手の者がいる可能性まで出てきた」


「ですが、だからこそ――」


「だからこそだ」


 言葉を遮られた。


「そのような場所へ、なぜお前を送り込まねばならん?」


「私は視察に行くだけです」


「視察?」


 皇帝陛下が眉を寄せる。


「襲撃者が潜んでいるかもしれぬ場所へ?」


「護衛をつけていただければ――」


「護衛をつければ安全だと思っているのか?」


「……」


 返す言葉がなかった。


「正規軍なら、まだ話は簡単だ」


 皇帝陛下は机の上の書状を指で叩く。


「だが、今回の相手は違う。盗賊を装い、商隊を襲い、農村を調べている。正体を隠して動く者たちだ」


「……はい」


「そんな者たちが誰を狙うかわからぬ状況で、お前を東部へ送るわけにはいかん」


 フェルディナンド様も黙って頷いている。


 どうやら、二人とも同じ考えらしい。


「しかし……」


 私は言葉を選んだ。


「東部の農民たちが困っているのなら、直接話を聞いたほうが――」


「ユーリ」


 名前を呼ばれた。


 その声は静かだった。


「お前は、自分が今どういう立場にいるのかわかっているのか?」


「……」


「お前は――迷い鳥フェアローレナー・フォーゲルだ」


 その言葉に、私は黙り込んだ。


「そして、その事実を公表しないことに決めたばかりだ」


「はい」


「なぜだと思う?」


「……騒ぎになるから、でしょうか」


「それだけではない」


 皇帝陛下は立ち上がった。


「お前の知識を利用しようとする者が現れるからだ」


 私は息を呑んだ。


「食料不足に苦しむ帝国へ、突然現れた異邦人がいる」


 皇帝陛下は続ける。


「その者が、新しい作物を知っている。新しい農法を知っている。新しい料理まで知っている」


 私は黙って聞いていた。


「その人物が迷い鳥フェアローレナー・フォーゲルだと知られれば、どうなる?」


「……利用しようとする人が出てくる」


「そうだ」


 皇帝陛下は頷いた。


「そして今、東部には敵の工作員が入り込んでいる可能性がある」


 その意味が、ようやく理解できた。


「つまり……私自身が狙われる可能性がある」


「その通りだ」


 皇帝陛下の表情が、少しだけ和らいだ。


「だから、行かせぬ」


「……陛下」


「お前には宮殿にいてもらう」


 私は思わず苦笑した。


「軟禁、ですか?」


「保護だ」


「……ほとんど同じでは?」


「違う」


 皇帝陛下は真顔で答えた。


「食事は好きなものを食べてよい。宮殿内なら自由に歩いてよい。必要なものがあれば言え」


「それは……」


「厨房も使わせよう」


「厨房も?」


「昨日、トウモロコシ料理を作ったそうだな」


 私はハインリヒさんの顔を思い浮かべた。


「はい」


「ならば、宮廷で試作を続ければよい」


 皇帝陛下は机の上の書類へ視線を落とした。


「東部の調査は軍と農務局に任せる」


「でも……」


「ユーリ」


 再び名前を呼ばれる。


「お前には、お前にしかできないことをしてもらいたい」


「私にしか?」


「そうだ」


 皇帝陛下は静かに言った。


「東部の食料問題を解決する方法を考えろ」


 私は目を見開いた。


「現地へ行かなくても、できることはある」


 そう言って、皇帝陛下は書状を私の前へ置いた。


「農務局から資料を集めさせる。各地の収穫量、気候、土壌、作付け状況。必要なら農民からの報告も集めよう」


「……それなら」


 私は書類を見つめた。


「それを見ながら、対策を考えることができます」


「そうだ」


「そして、実際の調査は専門家にお願いする」


「その通りだ」


 私はしばらく考えた。


 正直に言えば、現地へ行きたかった。


 農民の顔を見たかった。


 畑を歩きたかった。


 土を触りたかった。


 でも――。


 今の状況では、私が行くことで問題を増やしてしまう可能性もある。


「……わかりました」


 私は頷いた。


「今回は、宮殿に残ります」


「よろしい」


 皇帝陛下が頷く。


 けれど、その表情はまだ硬かった。


「ただし、一つだけ約束してほしい」


「何でしょう?」


「危険な場所へ、自分から飛び込まないことだ」


「……はい」


「お前は、自分が思っている以上に重要な存在なのだ」


 その言葉に、私は少し戸惑った。


 重要。


 そんなふうに言われたことは、あまりない。


「だからこそ、守らねばならん」


 皇帝陛下は静かに続けた。


「帝国のためにも」


 そして。


 一瞬だけ、その目が鋭くなる。


「……お前自身のためにもな」


「……ありがとうございます」


 私は頭を下げた。


 東部へ行くことはできなくなった。


 正直、少し残念だった。


 けれど――。


 だからといって、何もしないわけにはいかない。


 私は机の上に置かれた資料を見つめた。


 新しい作物。


 保存方法。


 調理法。


 備蓄。


 そして、食料を安定して運ぶための仕組み。


 宮殿にいながらでも、できることはまだいくらでもある。


「それなら……」


 私は顔を上げた。


「東部へ行けないなら、ここでできることをやります」


 皇帝陛下が、小さく笑った。


「それでいい」


 こうして私は、東部への視察を諦めることになった。


 だが――。


 それは、農業改革を止めるという意味ではない。


 むしろ。


 私が帝都に留まったことで、改革は思いもよらない方向へ進み始める。


 そして東部では。


 私の知らないところで。


 オットマン帝国のエージェントたちが、次の手を打ち始めていた。


 食料を奪うためではない。


 帝国そのものを揺さぶるために。


 その最初の標的は――。


 まだ、誰にも知られていなかった。

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