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農業大学生、異世界で皇帝に呼ばれる――「迷い鳥」は国を変える  作者: 水源


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トウモロコシを広めたいだけなのに、東部で異変が起きています

 宮廷厨房での試作は、思っていた以上にうまくいった。


 コーンブレッドは香ばしく焼き上がり、トウモロコシ特有の甘みも残っている。


 料理としては、十分に成功と言っていい。


 だが――。


 私は焼き上がったパンを手に取りながら、別のことを考えていた。


「ハインリヒさん」


「はい?」


「これなんですが」


 私はコーンブレッドを持ち上げた。


「農民の家でも、本当に作れるでしょうか?」


「……なるほど」


 ハインリヒさんの表情が変わった。


 さっきまでの料理人の顔ではない。


 職人としての顔だった。


「確かに、ここでは簡単に焼けます」


 彼は厨房の奥にある大きな炉を指差す。


「ですが、農民の家に、このような炉があるとは限りません」


「そうなんです」


 そこが問題だった。


 宮廷で美味しく作れる。


 それだけでは意味がない。


 私は宮廷料理を作りたいわけではない。


 農民の家で作れる料理にしたいのだ。


「ならば、料理より先に――」


 ハインリヒさんが腕を組んだ。


「焼くための道具を考えたほうがよいでしょうな」


「私もそう思います」


 私は紙を一枚取り出した。


「できれば、薪を大量に使わなくても済むものを」


 薪は無料ではない。


 農民にとっては、暖房にも煮炊きにも必要な大切な燃料だ。


 料理のためだけに大量の薪を使う道具など、普及するはずがない。


「それなら、小さな窯を作ってみては?」


「小型の窯ですか?」


「はい」


 私は紙に簡単な絵を描いた。


 円筒形の窯。


 下には火を入れる穴。


 上には焼き場。


 そして蓋。


「火を直接パンに当てるのではなく、窯そのものを熱くするんです」


「なるほど」


 ハインリヒさんが紙を覗き込む。


「窯に熱を蓄えさせるわけですな」


「そうです」


 少ない薪で、できるだけ長く熱を保つ。


 理屈としては間違っていない。


 もちろん、実際に作ってみなければ分からない。


 粘土の厚さ。


 形。


 空気穴。


 燃焼効率。


 調整すべきところはいくらでもある。


「これなら、農民でも作れる可能性があります」


「しかし、粘土では割れるのでは?」


「そこも実験ですね」


 耐熱性のある粘土。


 乾燥方法。


 焼成温度。


 素材の配合。


 簡単ではない。


 だが、土鍋を作る技術があるのなら、工夫次第で小型の窯も作れるはずだ。


「……面白くなってきましたな」


 ハインリヒさんが笑った。


「料理人としては料理を作るのが本業ですが」


「はい」


「こういう道具を考えるのも、悪くありません」


「助かります」


 私は頭を下げた。


 すると――。


「ですが、ユーリ様」


「はい?」


「一つ、問題があります」


「問題?」


「ピザを作るのであれば、トマトが必要なのですよね?」


「…………」


 私は固まった。


「……はい」


「でしたら」


 ハインリヒさんは腕を組んだ。


「窯より先に、トマトを何とかしたほうがよいのでは?」


「……その通りですね」


 完全に正論だった。


 トマトがなければ、トマトソースが作れない。


 ソースがなければ、ピザも作れない。


 つまり。


 窯の話をしている場合ではない。


「それに、ピーマンやパプリカも欲しいです」


「それも、まだ食用として普及していない?」


「おそらく」


「では、まず食べられると証明する必要がありますな」


「そうなります」


 そこで私は、ふと思った。


 トウモロコシだけではない。


 ジャガイモ。


 トマト。


 パプリカ。


 まだ、この土地では十分に利用されていない作物がある。


 そして、それらを組み合わせれば――。


「……食卓そのものを変えられるかもしれません」


「食卓を?」


「はい」


 私は厨房を見渡した。


 肉がある。


 魚がある。


 野菜がある。


 小麦がある。


 チーズもある。


 そして、これからトウモロコシも加わる。


「新しい作物を増やすだけじゃないんです」


 私は言った。


「今ある食材の組み合わせ方を変えるんです」


 同じ食材でも、料理を変えれば別の食べ物になる。


 余った食材も、別の料理に回せる。


 保存食にもできる。


 そうすれば――。


「食料の量そのものを、すぐに増やせなくても」


 私はコーンブレッドを見る。


「食卓を豊かにすることはできます」


「……なるほど」


「そして、それが新しい作物を広める理由にもなる」


 私は笑った。


「『これを作ってください』だけではなく、『これを作れば、こんな料理が食べられます』と伝えるんです」


「それなら農民も興味を持つでしょうな」


「はい」


 ハインリヒさんが頷いた。


「料理人から見ても、それは立派な農業改革でしょう」


 その言葉に、私は少しだけ嬉しくなった。


 ――そのときだった。


「ユーリ様!」


 厨房の入口から、慌ただしい声が響いた。


 振り返る。


 一人の若い使用人が立っていた。


「どうしました?」


「フェルディナンド様がお呼びです」


「私を?」


「はい」


 使用人は息を整えながら続ける。


「農務局から、至急確認したいことがあるとのことです」


「農務局?」


 嫌な予感がした。


「何かあったんですか?」


「それが……」


 使用人は困ったような顔をする。


「昨日、ユーリ様が提案されたトウモロコシの件で、少々揉めているようで」


「……ああ」


 やっぱりか。


 新しい作物を導入する。


 言葉にすれば簡単だ。


 だが、実際には種を配って終わりではない。


 誰が育てるのか。


 どの土地で育てるのか。


 収穫したものを誰が買うのか。


 そして――。


「反対する人も出てきたんですね」


「はい」


 私は小さく息を吐いた。


「わかりました」


 私は立ち上がる。


「フェルディナンド様のところへ行きましょう」


 そして、焼きたてのコーンブレッドを一つ手に取った。


「これ、持っていってもいいですか?」


「もちろんです」


 ハインリヒさんが笑う。


「それを食べてもらえば、少しは話が早くなるかもしれませんな」


「そうですね」


 私はコーンブレッドを抱え、厨房を後にした。


 農業改革。


 畑だけを見ていればいいわけではない。


 料理も。


 道具も。


 流通も。


 そして、人の考え方も変えていかなければならない。


 そのことを、私は少しずつ理解し始めていた。


     ◇


 農務局へ向かう廊下を歩く。


 手にしたコーンブレッドは、まだ温かい。


 香ばしい匂いが漂ってくる。


「……これを食べてもらえば、少しは話が早くなるかな」


 私が呟くと、隣を歩く侍女が小さく笑った。


「ユーリ様は、食べ物で人を説得されるおつもりですか?」


「そんな大げさなものじゃありませんよ」


 私は苦笑した。


「ただ、美味しいものを食べれば、新しい作物にも興味を持ってもらえるかなって」


「なるほど」


 侍女が頷く。


 やがて、一つの扉の前に到着した。


「こちらです」


「ありがとうございます」


 扉が開く。


「失礼します」


 中へ入ると、フェルディナンド様がいた。


 その向かいには、見知らぬ男性が三人。


 一人は五十代ほど。


 もう一人は四十代。


 そして最後の一人は、三十代くらいに見える。


 全員、いかにも役人といった雰囲気だった。


「お待たせしました」


「いえ、急にお呼びして申し訳ありません」


 フェルディナンド様が席を勧めてくれる。


 私は椅子に座った。


「こちらは農務局の者たちです」


「初めまして」


 私が頭を下げると、三人も礼を返した。


「昨日のご提案について、いくつか確認したいことがあるそうです」


「わかりました」


 私は机の上にコーンブレッドを置いた。


 すると――。


 三人の視線が、一斉にそちらへ向いた。


「……それは?」


 一番年長の男性が尋ねる。


「トウモロコシのパンです」


「トウモロコシの?」


「はい。今朝、宮廷厨房で試作しました」


 私は一つを割った。


 ふわりと湯気が立つ。


 香ばしい匂いが部屋に広がった。


「よろしければ、召し上がってみますか?」


「……いただきましょう」


 最初に手を伸ばしたのは、三十代ほどの男性だった。


 一口。


「……」


 咀嚼する。


 そして、もう一口。


「これは……」


「どうですか?」


「思っていたより、ずっと食べやすい」


 私は内心でほっとした。


「小麦だけのパンほど柔らかくはありませんが、トウモロコシの甘みがあります」


「確かに」


 年長の男性も一口食べる。


 しばらく黙っていたが、やがて頷いた。


「悪くない」


「ありがとうございます」


 だが、彼はすぐに表情を引き締めた。


「しかし」


 来た。


「美味しいかどうかと、農民に栽培させるべきかどうかは別問題です」


「はい」


 私は頷いた。


「その通りです」


「トウモロコシは、この地方では新しい作物です。種を渡しても、必ず収穫できるとは限らない」


「はい」


「それに、農民が食べ方を知らなければ、収穫しても売れません」


「だからこそです」


 私はコーンブレッドを見る。


「食べ方を先に作るんです」


「先に?」


「はい」


 私は答えた。


「トウモロコシを作れと言うだけではなく、こういう料理が作れると伝えるんです」


 コーンブレッド。


 ポレンタ。


 焼きポレンタ。


 そして、薄く焼いた生地。


「食べ方が分かれば、トウモロコシはただの新しい作物ではなくなります」


「しかし、料理には道具が必要でしょう」


「そこも考えています」


「道具まで?」


「はい」


 私は紙を借り、簡単な絵を描いた。


「農民の家には、大きな窯がないことが多い。ですから、粘土で作れる小型の窯や、焼き板を普及させたいと思っています」


 三人が顔を見合わせた。


「焼き板……ですか?」


「はい」


「鉄は?」


「使いません」


 私は首を振る。


「粘土を焼いて作れるものを考えています」


「それなら、農村でも作れる可能性がありますな」


「もちろん、実際に試してみる必要がありますけどね」


 フェルディナンド様が口を挟んだ。


「つまり、ユーリ様の考えでは、トウモロコシそのものを普及させるだけでは不十分ということですな」


「はい」


 私は少し考えてから答えた。


「作物を普及させるなら、その作物を受け入れる生活も一緒に作らないといけないと思います」


 部屋が静かになった。


「農民に『これを作れ』と言うだけでは駄目です」


 私は続けた。


「『これを作れば、こんな料理が食べられる』と伝える」


 コーンブレッドを指差す。


「そうすれば、作る理由ができます」


「……作る理由、ですか」


「はい」


 私は頷いた。


「理由がなければ、人は新しいものを受け入れませんから」


 年長の男性は、しばらくコーンブレッドを見つめていた。


 やがて、静かに息を吐く。


「……なるほど」


 先ほどまでとは、声の響きが違っていた。


「我々は、種と収穫量のことばかり考えていました」


「それも大切ですよ」


 私は慌てて付け加える。


「収穫できなければ、そもそも料理もできませんから」


 すると、三十代の男性が笑った。


「ですが、料理まで考える農業政策担当者は、そう多くないでしょうな」


「私は農業の専門家ではありませんから」


「だからこそ、でしょう」


 彼はコーンブレッドをもう一口食べた。


「……これは、農民にも食べさせてみたい」


「ぜひお願いします」


「ただし」


「はい?」


「一つ問題があります」


 彼の表情が少し曇った。


「種です」


「種?」


「はい」


 私は首を傾げる。


「現在、帝国内でまとまった量のトウモロコシの種を確保できる場所がありません」


「…………」


 私は言葉を失った。


 そうだった。


 試験栽培が成功しても。


 普及させるには種が必要だ。


 しかも、毎年農民へ配るとなれば大量に必要になる。


「それに、農民へ無償で配るのか、貸し付けるのか、収穫後に返してもらうのか」


 次々と問題が出てくる。


「なるほど……」


 私は腕を組んだ。


 農業改革は、本当に簡単ではない。


 だが。


 ここまで来たら、もう後には引けない。


「ならば、種を増やす仕組みを作りましょう」


「仕組み?」


「はい」


 私は地図を広げた。


「まず、試験畑で種を増やします」


 次に。


「その種を使って、各地に小規模な採種用の畑を作る」


「採種用……」


「収穫したトウモロコシを全部食料にするのではなく、一部を翌年の種として残すんです」


 品質の良いものを選ぶ。


 病気のものを除く。


 育ちの悪いものも除く。


 それを繰り返していけば、少しずつ土地に合ったものを選べるようになる。


「最初は少量でも、毎年少しずつ栽培面積を増やせます」


 フェルディナンド様が頷いた。


「……実に地道ですな」


「農業って、そういうものだと思います」


 私は笑った。


「一晩で畑が増えるわけじゃありませんから」


「確かに」


 年長の男性も頷いた。


 そして――。


「ユーリ様」


「はい?」


「その計画、農務局に任せていただけませんか?」


「え?」


「種の確保と試験栽培地の選定。こちらで具体的な計画を作ります」


「もちろんです」


 私は即答した。


「私より、専門家の皆さんのほうが詳しいですから」


「では、決まりですな」


 話がまとまった。


 ……そう思った。


 そのときだった。


「では、もう一つ」


 フェルディナンド様が、一枚の書類を取り出した。


「まだあるんですか?」


「ええ」


 嫌な予感がした。


「トウモロコシの普及に関連して、東部の穀倉地帯から要請が届いています」


「東部?」


 私は書類を受け取った。


 そこには、見慣れない村の名前がいくつも並んでいた。


 そして、その下には短く。


『今年の収穫量が、予想を大幅に下回る見込み』


 と記されている。


「……収穫不振?」


「はい」


 フェルディナンド様が答えた。


「しかも、一つの村だけではありません」


 私は顔を上げた。


「複数の村から、同じような報告が届いています」


「原因は?」


「まだ分かっていません」


「天候では?」


「東部全域で、極端な悪天候があったという報告はありません」


「病害虫は?」


「現在、調査中です」


 私は書類に目を落とした。


 妙だった。


 あまりにも妙だ。


 天候ではない。


 少なくとも、今の報告だけを見る限りでは。


「……他には?」


「何か気になることがありますか?」


「いえ」


 私は首を振った。


「ただ、数字だけでは分からないこともありますから」


 私は書類を閉じた。


「東部の詳しい状況を教えてください」


「もちろんです」


「どの地域で、どの作物が、どれくらい減っているのか」


 そして――。


「誰が、いつ、どこで確認したのかも」


 フェルディナンド様が、わずかに目を細めた。


「……現地を見るおつもりですか?」


「はい」


 私は即答した。


「実際に見ないと、原因が分からないと思います」


 さっきまで、私は未来の食卓を考えていた。


 トウモロコシをどう広めるか。


 どんな料理を作るか。


 農民の生活をどう変えるか。


 けれど――。


 未来を作る前に。


 まずは、今年を乗り越えなければならない。


 私は机の上に置かれたコーンブレッドを見る。


 焼きたてだったはずのパンは、少しずつ冷め始めていた。


「フェルディナンド様」


「はい」


 私は書類を握り直した。


「東部で何が起きているのか――」


 一度、息を吸う。


「私自身の目で確かめさせてください」


 その瞬間。


 農業改革の舞台は、宮廷厨房から――東部へと移ることになった。

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