第6話 なんだかんだ10年。完璧な村人Aへと成長した陰の実力者は、猫を被った幼馴染に包囲される
なんだかんだ早くも10年の歳月が流れた。
元・陰の実力者は、辺境の村で健やかに、そして誰の目にも留まらない「村人A」として順調に育っている。
この10年間、彼は表向きこそ泥んこになって遊ぶ無邪気な子供を完璧に演じていたが、裏では睡眠時間を極限まで削り、魔力回路の構築と身体強化の修練をひたすらに重ねてきた。
結果として、現在の彼の魔力総量と身体能力は、すでに前世の全盛期を遥かに凌駕するバケモノじみた領域へと到達していた。
(……完璧だ。これならいつでも、あの忌々しい七人の裏切り者どもを絶望の淵に叩き落とせる。だが、まだ動く時ではない。真の陰の実力者たるもの、徹底的に無害で平凡なモブになりきらなければならないのだから)
そんなハイドの完璧な暗躍計画――極上のモブライフを謳歌するうえで、たった一つだけ、厄介なイレギュラーが存在していた。
「――皆様、おはようございます。今日も良いお天気で、精霊たちの祝福を感じますね」
村の中心にある広場で、透き通るような銀糸の髪を風に揺らしながら、村人たちに優雅に微笑みかける一人の少女。
彼女の名前は、セリア・ブランシュ。
この村の村長の娘であり、ハイドと同い年の『幼馴染』である。
人形のように整った可憐な容姿と、誰に対しても礼儀正しくお淑やかな振る舞い。さらに、10歳にして村の大人たちを凌ぐほどの魔力適性を見せており、村中から「セリアちゃんは将来、王都で『聖女』になれる資質を持っている」と持てはやされている、完璧なお嬢様だ。
「ああ、セリアちゃん。今日も天使のように可愛いねぇ」
「本当に、この村の誇りだよ」
大人たちが目を細めて絶賛する中、ハイドもまた「村の少年A」として、少し離れた場所からその光景をぼんやりと眺めていた。
(ふん……未来の聖女か。僕のような底辺モブの対極にいる、光属性の権化だな。せいぜい表舞台で輝いてくれ。)
ハイドがそうやって内心でほくそ笑んでいた、数時間後。
***
「……ねえっ! ちょっとハイド! なんでさっき広場で、私の方を全然見てくれなかったのよ!」
村外れにある、大人たちの寄り付かない森の裏手。
ハイドが秘密の特訓場としているその開けた場所で、未来の聖女様は、美しい銀髪を振り乱しながら彼の胸ぐらをガクガクと揺さぶっていた。
「わ、わわっ! ご、ごめんよセリア……その、綺麗だなぁって、遠くから見てたんだけど……」
「嘘! ハイドは私が構ってあげないと、すぐ他のところ見ちゃうんだから!」
……そう。このセリア・ブランシュという少女、表向きは完璧な聖女の皮を被っているが、ハイドと二人きりになった瞬間にその化けの皮をあっさりと投げ捨てるのだ。
彼女は極度の『かまってちゃん』であり、ハイドに対する執着心が少々……いや、かなりバグっていた。
「いい? ハイドの幼馴染は私なの! 私のことは一秒たりとも見逃しちゃダメなんだからね! ほら、罰として今日も私と魔術の訓練につきあうこと!」
「ええっ!? き、今日もやるの……?」
ハイドがわざとらしく怯えた声を出すと、セリアは小さな杖を構え、その周囲にパチパチと高度な雷属性の魔力を展開し始めた。
ハイドの目に映るのは、凄まじい速度で向かってくるセリアの放つ雷撃だ。
客観的に見れば、大の大人が束になっても敵わないような、恐るべき一撃である。
――だが、彼からすれば、止まって見えるほどに遅い。
指先から不可視の魔力の糸を放ち、彼女の杖を粉砕することも、足元の土を隆起させて拘束することも、なんなら瞬きする間に背後を取って気絶させることも容易い。ハイドの脳内を100通りのパターンが駆け巡る。
だが、彼はその100通りのうち、最も『陰の実力者』にふさわしい選択肢を採用した。
「ふ、ふぇぇぇぇっ!? 待って待って、セリア速いよぉっ!」
情けない悲鳴を上げながら、ハイドはあえて足をもつれさせ、見事なスライディングで地面にすっ転んだ。
ドサッ!という情けない音とともに、雷撃が彼の頭上をヒュンッと通り過ぎていく。
もちろん、ミリ単位の魔力制御のおかげで、ハイドの身体にはかすり傷一つついていない。
「あいたたた……降参、降参だよ! ふぇぇ……やっぱりセリアは強いよぉ……僕なんかじゃ全然敵わないや……」
「もうっ! ハイドは本当にどんくさいんだから!」
尻餅をついて涙目でへたり込むハイドを見て、セリアは呆れたようにため息をついた。
(……完璧だ。)
ハイドは内心で、最優秀主演モブ賞を獲得できるほどの、見事な『無能な幼馴染』の演技だと自画自賛していた。
(ふふふ……ちょろい。これで今日も僕は、才女の引き立て役である『最弱の村人A』としての立場を確固たるものに――)
「でも……ふふっ。そんな弱いハイドだから、私がずっとそばで守ってあげなきゃダメなのよね」
「……えっ?」
ぽふっ、と。
セリアが、地面にへたり込むハイドの首に両腕を回し、思いきり抱き着いてきた。
琥珀色の髪から甘い香りが漂い、同い年とはいえ、柔らかい少女の身体の感触が密着してくる。
「ねえ、ハイド。明日も、明後日も、ずっと私だけを見ててね? 弱いハイドの面倒は、私がぜーんぶ見てあげるから」
「あ、あの……セリアさん? 近い、顔が近いんですけど……」
「ふふっ、顔真っ赤。可愛いなぁ、私のハイドは」
至近距離で、表の顔とは違う、小悪魔のようなドSな笑みを浮かべる未来の聖女様に、ハイドは思わず冷や汗を流す。
(……おかしい。僕は完璧なモブを演じきっているはずなのに、なぜこの女は僕から離れようとしないんだ……!? これでは暗躍のための自由時間が削られてしまうではないか!)




