第48話 ヒロインはヒロインを殺したくて
路地裏は、奇妙なほど深い静寂に包まれていた。
空気中には、通り魔が残していった微かな血の匂いと、ハイドの頬を掠めた極太の魔力線が残した焦げ臭いオゾンの匂いが、ねっとりと入り混じって滞留していた。
(……なんだ、この息が詰まるような沈黙は)
腰を半端に落とした、完璧な『恐怖で腰を抜かした哀れなモブ』のポーズを維持したまま、ハイドは内心で滝のような冷や汗を流していた。
目の前には、謎の美少女。
そして、彼女の一切の感情が読めない暗い瞳が、この場をさらに居心地の悪いものにしている。
(このまま黙り込んでいたら逆に怪しまれる! ここは、通り魔から助けられてホッとしている『ちょっとお調子者の一般生徒』を完璧に演じ切るんだ……!)
ハイドはごくりと唾を飲み込む
「『神代』……か。随分と珍しい苗字だね。なんていうか、和文字っぽいというか……」
腰を半端に落とした情けない姿勢のまま、ハイドが小首を傾げて尋ねる。
対するノノは、無表情のままコクりと小さく頷いた。
「ええ。私は東国の生まれですから。この学園には、少し前に編入してきたばかりなのです」
「へえ、東国からの留学生か。どうりで珍しい雰囲気を持ってると思ったよ」
(なるほど、ミステリアスな東国風のクール系転校生キャラね。ラブコメなら確実に人気投票で上位に食い込む王道設定だ。……まあ、モブの俺には一生縁のない話だけど!)
内心で呑気なメタ視点ツッコミを入れながら、ハイドは愛想笑いを浮かべる。
一方のノノは、夜風に揺れる赤髪を押さえながら、静かにハイドを見つめ返していた。
「ところで、あなた……少し、お聞きしたいことが――」
ノノが僅かに目を細め、何か核心に迫るような話を切り出そうとした、まさにその瞬間だった。
「――そこかァァァッ!! 待ちなさい連続通り魔ァァァッ!! 」
ドガァァァァァンッ!!
路地裏の入り口の石壁が、凄まじい冷気と共に派手に吹き飛んだ。
「ひぃっ!?」
ハイドが素っ頓狂な声を上げたのと同時。もうもうと舞い上がる土煙の中から、両手に極大の氷槍を構えた白銀の髪の少女――シルヴィ・フロストが、文字通りの狂戦士の形相で飛び出してきた。
その後ろからは、重い甲冑をガシャガシャと鳴らしながら、聖堂騎士団が雪崩れ込んでくる。
(チッ……教会の騎士団、それに氷の令嬢……。面倒な連中が嗅ぎつけてきましたね)
ノノは舌打ちすら誰にも聞こえないほど闇に溶けるように後ずさった。
「それでは、……夜道には、くれぐれもお気をつけて」
「え? あ、ちょっ……」
止める間も無く、ノノの姿はフッと路地裏の影に吸い込まれ、完全に行方をくらましてしまった。
そして、残されたハイドのもとへ、猛吹雪を纏ったシルヴィが猛スピードで突進してくる。
「ハイド!? どうしてあなたがここに――」
次の瞬間、彼女の動きがピタリと止まった。
クンクン……と。
シルヴィの形の良い鼻が、夜風に乗って漂う『ある匂い』を捉えたのだ。
「……ハイド?」
一瞬にして、シルヴィの顔から一切の感情が抜け落ちた。
路地裏の気温が、先ほどよりもさらに急激に低下していく。ハイドの足元の水たまりがカチンと音を立てて凍りついた。
「なんだか……あなたの周りから、私のものではない『女の残り香』がするのだけれど……?」
(……!?)
ハイドの全身から、通り魔に遭遇した時とは比べ物にならないほどの滝のような冷や汗が噴き出す。
「アハハ、き、きのせいじゃないかなー!?」
「気のせいじゃないわ。……こんな人気のない暗い路地裏で、女と密会していたの? ねえ、ハイド。正直に答えて?」
完全にヤキモチで理性を失ったヒロインの暴走モードだ。下手な言い訳をすれば、この路地裏ごと串刺しにされかねない。
(ええい、モブ特有の『必死に説明してごまかす』スキルを発動だ!)
「ち、違うんだシルヴィ! 俺はさっき、通り魔に襲われて……そしたら突然、正体不明の女の人が現れて魔法で助けてくれたんだよ! 本当にそれだけで、名前も知らないし、すぐにどっかに行っちゃったんだ!!」
ハイドは必死に両手を振り回し、顔を青ざめさせながら弁明した。
「……通り魔に襲われたあなたを、見ず知らずの正体不明の女が、助けた……?」
シルヴィの目が、スゥッと細められる。
だが、その怒りの矛先はハイドではなく、見えない『第三の女』へと向いた。
「許せないわ……。私の獲物(通り魔)を横取りした上に……」
ハイドの心からのツッコミも虚しく、シルヴィの瞳には完全に『恋敵排除』の獰猛な炎が燃え上がっていた。
「 捕まえて、氷像にしてやるわ!!」
バツゥゥゥンッ!! という音とともにシルヴィは凄まじい速度で夜の街へと駆け出していった。
嵐のような一団が去り、再び静寂を取り戻した路地裏。
「…………」
極寒の冷気と破壊の爪痕だけが残された空間で、ポツンと取り残されたハイドは、ただ夜空を見上げて深い、深いため息をついた。
「……お願いだから、ヒロイン同士で殺し合いを始めるのはやめてくれ……」




