↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
48/56

第45話 氷の令嬢は人斬りを狩りたくて

魔術学院がある王都の市街地は、かつてない異様な緊張感と恐怖に包み込まれていた。


分厚い雲が月明かりを遮る不気味な夜。街路沿いの窓は固く閉ざされ、息を潜める人々の不安が街全体に重くのしかかっている。


「……聞いたか? 昨夜もまた、第三区画で被害者が出たらしいぞ」

「ああ。これで今週に入って五人目だ。しかも今回は、腕利きの冒険者だったっていうじゃないか」

「ヒィッ……! 一体どこのどいつが、こんな恐ろしいことを……」


王都を騒がせているのは、夜の闇に紛れて人々を無差別に襲う『連続通り魔事件』である。


被害者は一般市民から貴族、さらには自衛の心得があるはずの魔術師や、歴戦の傭兵にまで及んでいた。生存者は皆無。いずれも背後から一撃で急所を貫かれ、抵抗の痕跡すら残さずに命を奪われている。金品が奪われた形跡もなく、ただ純粋に命だけを刈り取る異常性。

あまりにも手際が良すぎるプロの犯行。神出鬼没の凶行を前に、王都の治安を預かる衛兵隊だけでは到底対処しきれず、ついに国の中枢である『教会』が重い腰を上げる事態となっていた。


ガシャン、ガシャン、ガシャン――。


夕暮れ時の石畳に、重々しい金属音が響き渡る。


純白の外套に十字の紋章を刻んだ重装甲の騎士たち。かつてハイドを教室から連行した、あの泣く子も黙る『聖堂騎士団』の精鋭部隊である。

彼らが物々しい警戒態勢で市街地の巡回を始めると、戸締まりをして震えていた市民たちはそっと窓を開け、安堵の息を漏らしながら深く頭を下げた。


だが、市民たちの熱を帯びた視線を集めていたのは、厳つい騎士たちだけではない。

屈強な男たちが並ぶ隊列の先頭に、周囲の無骨な空気とは明らかに異質な、一人の可憐な少女が立っていたのである。


「おお……見ろ。あのお方が、当代の聖女様の御息女だ……」

「なんてお美しい……。まるで女神の化身のようだ」

「あの方ご自身が、我々市民のために危険な巡回に出てくださるとは……!」


白銀の髪を夕日に輝かせ、魔術学院の制服に身を包んだ少女。

先日の『神隠し事件』の被害者の一人でもあった、シルヴィ・フロストその人である。


市民たちは、彼女の凛とした横顔を見て感動の涙を流していた。

連続殺人鬼が徘徊する危険な街路に、次期聖女とも目される少女が自ら立ってくれている。その慈愛に満ちた姿は、恐怖に震える人々の心に確かな希望の光を灯していた。


しかし。

そんな市民たちの感動と熱い眼差しを浴びながら、シルヴィの内心は、彼らの想像を絶するほど『物騒な思考』で埋め尽くされていたのである。


(……間違いないわ。この通り魔事件の犯人、ただの快楽殺人鬼なんかじゃない)


シルヴィは、制服の袖口に隠し持った魔杖の柄をギュッと握りしめ、冷たく鋭い視線で路地裏の深い影を睨み据えた。


(一撃で確実に命を刈り取る手口。一切の魔力痕跡を残さない隠密性。そして何より、この街に漂う微かな『嫌な匂い』……。先日私を攫った、あの忌まわしい連中と同じ気配がするわ)


そう。シルヴィがわざわざ安全な教会の奥の院を飛び出し、騎士団の巡回に志願したのは、市民の平和を祈る慈愛の心からなどではない。

先日の事件で自分を拉致した暗殺組織の残党が、この連続通り魔事件に関与していると推測し、自らの手で捕まえる――いや、徹底的に叩き潰すために最前線へ出てきたのだ。


彼女の脳裏に蘇るのは、薄暗い地下室で自分を救い出してくれた、あの漆黒の超越者(絶影)の言葉である。


『己の無力を嘆く暇があるなら、力を渇望しろ。奪われるのが恐ろしいのであれば、全てをねじ伏せる「理不尽たる嵐」となれ。……お前が本当に守りたい日常があるのならな』


(ええ、わかっているわ。私の守りたい日常……あんな奴らに、これ以上邪魔させやしない……!)


「シルヴィ様。日が落ちてまいりました。この先は貧民窟へと続く危険区域です。どうか我々の後ろへ……」


張り詰めた声で、護衛のトップが気遣わしげに声をかける。

声の主は、聖堂騎士団で小隊を率いる女騎士、カルステッド団長である。


短く刈り揃えた金髪に、歴戦を思わせる鋭い三白眼。右頬には微かな剣傷が刻まれており、女性でありながら並の屈強な男たちを腕相撲でなぎ倒すほどの武を誇る、教会の誇る『盾』の一人だ。生真面目で堅物な彼女は、聖女の娘であるシルヴィを誰よりも敬い、そして案じていた。


しかし、シルヴィは振り返ることなく、聖女らしからぬ獰猛で美しい笑みを浮かべた。


「いいえ、カルステッド団長。私は前を歩きます。隠れて震えているだけでは、大切なものは守れませんから」


「しかし……! あなたは先日の誘拐事件で心身ともに疲弊されているはず。あなたに万が一のことがあれば、我々は聖女様に顔向けができません!」


カルステッドが必死に食い下がる。護衛としては当然の進言だ。

だが、シルヴィの心にはもはや『か弱い被害者』の欠片も残っていなかった。


「もし怪しい奴を見つけたら、すぐに私に知らせてください」


――

――――

――――――――


……少しの静寂の後に「承知、いたしました……」と、周囲の騎士たちはただただ青ざめて押し黙るしかなかった。


まさに、その時である。


ヒュッ……と。

冷たい夜風に混じり、極めて微小な、しかし明確な『殺意の残滓』が、路地裏の暗がりからシルヴィの鼻腔を掠めた。血と鉄の匂い。暗殺者特有の隠密歩法の僅かな魔力の揺らぎ。


(……!)


シルヴィの目が、獲物を見つけた肉食獣のように細められる。

「シルヴィ様? いかがなされ――」


カルステッドが怪訝な顔で尋ねかけた、次の瞬間だった。


バンッ!! と石畳が爆ぜるような轟音を立て、シルヴィの小柄な身体が矢のように路地裏の闇へと弾け飛んだ。


「なっ……!? シ、シルヴィ様ッ!?」


「見つけましたわ! 追います!!」


「お、お待ちください! 単独行動は危険――」


シルヴィの決意とは裏腹にささやかな日常は、まもなく音を立てて崩壊する。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。