第40話 「誰もいなくなれば俺は疑われない! という陰の実力者理論」
ハイドが『絶影』として、底知れぬ恐怖の象徴として暗殺者たちの前に姿を現す数日前。
ハイドは頭を抱え、深刻な悩みの淵に沈んでいた。
(……まずい。極めてまずい事態だ)
モブを極める者として、目立つ修羅場は絶対に回避せねばならない。それがハイドの絶対にして不可侵の美学であった。
しかし現在、学園のアイドル的存在であるシルヴィが何者かに攫われ、行方不明となっている。そして不運なことに、ハイドは周囲から容疑者という、モブにあるまじき目立つポジションに誤解されてしまっていた。
このままでは注目と糾弾の的になることは火を見るより明らかである。
どうすれば、自分に向けられるであろう一斉射撃を無効化できるのか。ハイドは必死に思考を巡らせた。
犯人を自らの手で捕まえて、シルヴィを取り戻す?
いや、それこそ王道の主人公ムーブであり、ただの背景がやることではない。
では、いっそ自分が失踪したフリをして逃げる?
それは一番怪しいやつ、あるいは三流の小悪党がやる行動だ。後で必ず騎士団に指名手配され、より面倒なことになる。
「……木を隠すなら、森、か」
ぽつり、と。
薄暗い部屋の中で、ハイドの口から古き良きことわざが漏れた。
その瞬間、彼の脳内に電流のようなインスピレーションが駆け巡った。
(そうだ。俺一人が『失踪したヒロインの恋人』としてポツンと存在しているから、全方位から疑われ、目立ってしまうんだ。ならば、一人の人間が消えたという事件そのものを誤魔化すには、より巨大な『消失』で上書きしてしまえばいい。……つまり!)
ハイドはカッと目を見開き、――閃きを得た。
(『全校生徒・全教師』を、まとめて消し飛ばしてしまえばいいんだ!!)
誰もいなくなれば、誰も俺を疑わない。
誰もいなくなれば、当然ホームルームでの糾弾も発生しない。
全員が等しく原因不明の失踪(神隠し)の被害者になれば、「ヒロインの恋人だから」という理由でハイドだけが特別扱いされることもなくなる。学園中を飲み込む超常的な大事件の前では、個人の事情など完全に有耶無耶になる。
つまり、全員等しく、ただの被害者になれるのだ!
「ふふっ……完璧だ。我ながら恐ろしいほどのモブ力だ……!」
かくして、ハイドは自らの平穏なモブ生活を守るためだけに、学園全体を覆う広域空間隔離魔術(見た目は禍々しい漆黒の霧)を発動。数日かけて、生徒や教職員を次々と安全な亜空間へと放り込み、見事なまでに一切の生命反応がない『無人のゴーストタウン』を創り上げたのである。
***
そして、現在。
彼が創り上げた都合の良い舞台に、事情を知らない哀れなネズミたちが迷い込んでいた。
「――フッ。遅かったな、招かれざる客たちよ」
勝手に最悪の勘違いをして震え上がる暗殺者たちを見下ろし、仮面の下でハイドは(くくっ、最高のシチュエーションじゃないか……!)と、陰の実力者としてのロールプレイに歓喜していた。
「……怯むな! 相手はたった一人だ!!!」
恐怖に呑まれかけた精神を無理やり奮い立たせ、暗殺部隊の隊長が絶叫した。
瞬間、歴戦の暗殺者たちが一糸乱れぬ動きで散開する。四方八方から放たれる必殺の暗器、退路を完全に塞ぐ高度な呪縛魔法。さらに、後衛の三人が自らの命を削るほどの膨大な魔力を練り上げ、必殺の禁呪を詠唱し始めた。
(おおっ、見事な連携! しかもあっちの三人は禁呪の詠唱か。いいぞ、実に闇の組織の精鋭っぽい。ここはちゃんと詠唱が終わるまで待ってやるのが、陰の実力者としてのマナーだよな)
ハイドは回避する素振りすら見せず、ただ静かに眼下の殺意を受け止めていた。
暗殺者たちからすれば、それは「自分たちの攻撃など避ける価値すらない」という絶対的な傲慢さの表れに見え、彼らの絶望と焦燥をさらに煽り立てることになる。
「死ねェッ!! 化け物め!!」
隊長の怒号と共に、暗殺者たちの全魔力を込めた連携攻撃が発動した。
足元の影が刃となってハイドを縛り付け、猛毒を帯びた無数の短剣が急所へと殺到する。そして極めつけに、後衛が放った漆黒の業火が、ハイドの体を完全に呑み込んだ。
轟音と共に、時計塔の一部が吹き飛び、中庭に爆炎が巻き起こる。
熱波が周囲を焼き尽くし、石畳がドロドロに溶け出すほどの圧倒的な破壊力。暗殺者たちは肩で息をしながら、炎の渦を睨みつけた。
「……や、やったか……?」
「どんな化け物だろうと、骨すら残らな――」
「――『やったか?』とは。三流の悪党が吐く台詞としては、あまりにもありきたりだな」
炎の中から響いたその声に、暗殺者たちの心臓が文字通り凍りついた。
燃え盛る漆黒の業火が、まるで「主の道を空ける」かのように、左右に切り裂かれた。
そこからゆっくりと歩み出てきたのは、衣服の裾に焦げ跡ひとつ、いや、塵ひとつ付着していない『絶影』の姿だった。




