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第36話 モブ理論で励ましたら、平穏も粉砕された

放課後。

ハイドとシルヴィの『秘密の特訓』、もとい『人体実験(安全配慮義務ゼロ)』が始まってから、早くも数週間が経過していた。


シルヴィが生徒を攫っていた『神隠し事件』は、ハイドという専属モルモットを確保したことで見事に収束した。だが、肝心の問題は全く解決していなかった。


「――『大いなる光よ、癒やしの息吹を』!」


シルヴィが悲痛な声で詠唱し、神話の遺物である『聖杖』を振るう。

バチバチッ! ボムッ!!


本来なら神聖な光が降り注ぐはずの回復魔法は、なぜか禍々しい黒煙を伴う小規模な爆発を引き起こし、標的(モルモット)であるハイドの顔面を直撃した。


「けほっ、ゴホッ……」


「ああっ!? また失敗した……っ!」


煤まみれになったハイドを見て、シルヴィが頭を抱えてしゃがみ込む。


(まあ、上手くいくわけがないよな)

ハイドは顔の煤を拭いながら、内心で冷静に分析していた。


本来なら、主人公がほんの一言「魔力の通り道を三ミリ左にずらせ」とアドバイスするだけで、魔法を劇的に改善させる展開なのだが……


――彼はそれを絶対にしない。

なぜなら、『モブはヒロインに的確な魔法指導などしない(できない)』からである。

モブを極める彼は、ただダメージを無効化しながら「痛え〜」と三流のリアクションをとることしかしないのだ。


「大丈夫ですよ、シルヴィ嬢。ちょっと前髪がチリチリになっただけですから」


「全然大丈夫じゃないわよ! ……どうして、どうして私にはできないのよぉっ!」


シルヴィは聖杖を床に放り出し、ギリッと唇を噛み締めた。

彼女を急き立てているのは、聖女である母からの重圧と、周囲からの「天才」という過剰な期待だ。首席を平民のセリアに奪われたことで、教会の大人たちからの風当たりは日に日に強くなり、彼女のプレッシャーは限界に達していた。


「私だって、お母様みたいになりたいのに……。才能がないなら、せめて努力で追いつかなきゃいけないのに……っ」


ポロリと、氷の令嬢の目から大粒の涙がこぼれ落ちる。


(可哀想に。過剰な期待なんて、人を呪う毒でしかないのにな)


「シルヴィ嬢。……そんなに、自分を追い詰めなくてもいいんじゃないですか?」


「え……?」


「才能なんて、人それぞれです。トップになれなくたっていい。期待に応えられなくたっていいんです。無理して周りの理想に合わせるより、『自分にはできない』って諦めて、普通で平凡な道を生きるのも……立派な正解だと思いますよ」


そうだ。普通が一番だ。俺みたいに、誰の期待も背負わない『モブ』として生きれば、胃を痛めることもない。

ハイドは慈愛に満ちた(と自分では思っている)笑みを浮かべた。


しかし。

「…………は?」


シルヴィの顔から、スッと表情が消え失せた。

悲しげだった瞳に、今度は明確な『怒り』の炎が宿る。


「諦める……? 普通で平凡な道を生きる……?」


「はい。気楽なもんですよ、モブ人生」


「――ふざけないでっ!!」


ピシャァァァッ!!

校舎の窓ガラスが、彼女から漏れ出た極寒の冷気で一斉に凍りつき、粉々に砕け散った。


「私が、どれだけのモノを背負っていると思っているの!? お母様の顔に泥を塗るくらいなら、死んだ方がマシよ! あなたみたいな『ハナから努力を諦めてる人間』に、私の気持ちなんて一生分からないわ!!」


「えっ、ちょ、シルヴィ嬢!?」


「顔も見たくない! 出てってよぉっ!!」


吹雪のような魔力に吹き飛ばされ、ハイドは理科室から廊下へと物理的に叩き出された。

バタンッ! と目の前で扉が固く閉ざされる。


「……あれぇ? なんでキレられたんだ?」


ハイドは首を傾げた。

「そうだよな、諦めていいんだよな」と大号泣して救われたはずの完璧なアドバイスだったのに。

彼は根本的に理解していなかったのだ。「心底モブになりたい人間」と「絶対にトップにならなければならない(と思い込んでいる)人間」の、決して相容れない価値観の壁を。


(まあいいか。機嫌が直るまで、明日から数日は放課後の特訓はお休みだな。やったぜ)

ハイドは呑気にそんなことを考えながら、意気揚々と帰路についた。


* * *


――そして、翌日。


「皆、落ち着いて聞きなさい」


朝のホームルーム。教官が、血の気を引かせた顔で教壇に立ち、重々しい声で告げた。


「シルヴィ・フロスト嬢が、学生寮に戻ってきていません。誘拐か、あるいは……」


教室が、水を打ったように静まり返り、直後に大パニックに陥った。

「氷の令嬢が誘拐された!?」「あの神隠し事件の犯人がまだ捕まっていなかったのか!?」


(……は?)


ハイドは自席で完全に硬直していた。

神隠し事件の犯人(シルヴィ本人)が、神隠しに遭った?

いや、結界を外部から破られた? 自主的に家出(失踪)したのか、それとも……本物の『ヤバい奴ら』に攫われたのか!?


(いやいやいや! 待て待て! なんで急にそんなメインシナリオみたいな急展開に!? 俺、昨日ちょっと励まそうとしただけだぞ!?)


ハイドが内心で大パニックを起こしていると、クラスメイトたちの視線が、一斉に彼へと集中した。


「おい、ハイド! お前、シルヴィ嬢の『恋人』なんだろ!?」

「昨日も一緒にいたはずだ! 何か聞いてないのか! 喧嘩でもしたのか!?」


「えっ、いや、その……」


『偽装彼氏』という設定が、ここに来て最悪の形でハイドの首を絞め始めた。


さらに悪いことに、教室の隅では、幼馴染のセリアが「ハイドと喧嘩して、いなくなった……? ふふっ、ちょうどいいわね。このまま永遠に帰ってこなければいいのに……」と、瞳から一切の光を消してドス黒い笑みを浮かべている。


(終わった……! 俺のせいか!? 俺のデリカシー皆無なモブ・アドバイスが、ヒロインを失踪ルートに突入させたのかァァァッ!?)

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