第35話 陰の実力者は修羅場へ突入する
(どうしてこんなことに……!)
ハイド・ノーマンは、凍りつくような冷気と、肌を焼くような殺気が交差するカフェテリアの中心で、内心で血の涙を流していた。
事の発端は、数日前の放課後にまで遡る。
秘密の特訓(という名の人体実験)が始まって数日。旧校舎の理科室で、シルヴィは深刻な顔をして腕を組んでいた。
「……問題があるわ」
「えっ? 今日の回復魔法、ちゃんと俺の擦り傷治ってましたよ? ちょっと毛先がチリチリに燃えただけで」
シルヴィは氷のような冷徹な声で言い放ったが、その実、震える手でハイドの袖をぎゅっと掴んでいた。
「そうじゃない……あなた、ちょっと目を離したら、スッといなくなりそうじゃない。このままじゃ、いつか私の秘密の助手になったことをうやむやにして、バックレる気でしょ!?」
「いや、逃げませんって。俺は約束は守る義理堅いモブですから」
「信じられないわ! 」
要するに「ようやく秘密を共有できた相手に逃げられるのが怖い」という小動物的な依存である。
「逃げられないように確実な『縛り』が必要だわ! だから私、思いついたの。……明日から、私たちは『恋人同士』として振る舞うわよ!」
「はい!?」
ハイドは素っ頓狂な声を上げた。
「放課後に毎日旧校舎で二人きりで会っていても怪しまれない、最も自然で強固な関係。それが『恋人』よ! もちろん偽装だけど、これなら私があなたを独占……じゃなくて、一緒に練習していても誰も文句は言わないわ!」
(いやいやいや! 学園の超メインヒロインと恋人になるとか、モブにとって最大の死にフラグだろ!? 目立ちまくって俺の平穏が粉砕される!)
「待ってくださいシルヴィ嬢、俺みたいな冴えない平民が恋人なんて不自然すぎ——」
「……何か不満でも?」
必死の抵抗も虚しく、シルヴィの『絶対零度の威圧(※本人は必死に頼み込んでいるつもりの極度の緊張顔)』にハイドは泣く泣く偽装彼氏の契約を結ばされる羽目になったのだった。
* * *
――そして現在。翌日の昼休み、カフェテリア。
ハイドはいつものように、モブ友であるジミーとヘイボンと共にテーブルを囲んでいた。
「なぁハイド、昨日セリアさんに俺の伝言——」
ジミーがもじもじと話しかけてきた、その時である。
ピシッ……!
突如として、カフェテリア全体の気温が急激に下がり、床やテーブルにうっすらと霜が降り始めた。
周囲の生徒たちが「ひぃっ!?」と悲鳴を上げて道をあける中、美しい銀髪を揺らしながら、氷の令嬢シルヴィ・フロストが真っ直ぐにハイドたちのテーブルへと歩いてきたのだ。
(うわぁぁぁ、本当に来やがった……! しかも全校生徒の注目を集める最悪のタイミングで!)
ハイドが内心で頭を抱える中、シルヴィはハイドの隣にピタリと立ち、周囲の生徒たちへ向けて絶対零度の視線を放った。
「……隣、いいかしら。私の……『愛しい人』?」
「「「はあぁぁぁぁぁぁッ!?」」」
カフェテリア中から、鼓膜が破れそうなほどの絶叫とどよめきが上がった。
シルヴィは「(恋人なんだから腕くらい組まなきゃ! 恋人ってどうやるの!?)」と脳内でガチガチに緊張しながら、ハイドの腕にギュッと自分の腕を絡ませた。
目の前で腕を組まれたジミーとヘイボンは完全に思考が停止し、カチコチに凍りついて石像と化していた。
「セリアへの踏み台」だと思っていた冴えない友人が、まさかの学園最高峰の令嬢を(なぜか強烈な殺気を放ちながら)侍らせているのだ。彼らの凡庸なモブ脳では絶対に処理しきれないバグであった。
だが、真の地獄はここからだった。
「——あら。随分と賑やかですこと」
鈴を転がすような、しかしどこか背筋が凍るような、絶対零度の冷気すら打ち消す甘い声。
人混みを掻き分けて現れたのは、首席にしてハイドの幼馴染——セリアだった。
彼女は一糸乱れぬ『完璧な令嬢の微笑み』を顔に貼り付けていた。口元は優雅な弧を描き、態度はこの上なく淑やかである。
……ただ一つ。彼女が手に持っている木製のトレイが、メキメキと悲鳴を上げてひび割れていることを除けば。
(えっ、なにこれ。シルヴィさんとハイドが……腕、組んでる? 恋人? 愛しい人? は? は? 意味わかんない。
ハイドの隣は私の特等席なのに。なんであの銀髪の泥棒猫がそこにいるの?
許さない。あの女、絶対に魔法で消し炭にしてやる。いやダメよ、ハイドの前では可愛い幼馴染でいなきゃ。笑って、セリア、完璧な笑顔を保つのよ……!)
セリアの内心は、嫉妬と混乱とドス黒い破壊衝動で超新星爆発を起こしていた。
だが、外面だけは神々しいほどの笑顔を保ったまま、彼女はゆっくりとハイドたちのテーブルへ近づいてくる。
「シルヴィ様。ハイドは私の、た・い・せ・つ・な、幼馴染なのですが……あなたのような高貴な方が、彼に何の御用でしょうか?」
セリアがにっこりと笑いかける。
瞬間、バチィィィッ!! と、二人の間に目に見えない特大の火花(と高密度の魔力)が散った。
シルヴィは持ち前のコミュ障を大発揮して「(ひっ、なんでセリアさんがいるの!? この前私から首席奪った人だ! 怖い! でも恋人として舐められないように言い返さなきゃ!)」と大パニックに陥り、さらに冷酷な声色で応戦してしまう。
「幼馴染……? 過去の肩書きなんて無意味よ。今の彼は、私と『特別な関係』なのだから……邪魔しないで頂けるかしら?」
「……ふふっ。特別な関係、ですか。なるほど、それは……とても、とても素晴らしいことですわね」
ミシミシミシッ!! バァーン!!
ついにセリアの常軌を逸した握力(と無意識に漏れ出た規格外の魔力)によって、持っていたトレイが粉々に砕け散った。
周囲の生徒たちは、氷の令嬢の『絶対零度の覇気』と、完璧令嬢の『笑顔の裏に隠された超重力の殺気』の板挟みに遭い、次々と白目を剥いて気絶していく。ジミーとヘイボンに至っては、恐怖のあまり固く抱き合ったまま魂を口から吐き出していた。
「…………」
そして、二人の間に挟まれ、腕を完全にホールドされているハイドは。
(本当に、どうして、こうなった……ッ!!)




