第33話 神隠しの真相:被害者A(陰の実力者)と、犯人(ヒロイン)の最悪な邂逅
放課後。
燃えるような夕陽が古びた窓ガラスを赤黒く染め上げ、長く伸びた影が旧校舎の廊下を不気味に侵食していた。
どこか遠くで風が吹き抜けるたびに鳴る『ギィィ……』という扉の軋み。それはまるで、不用意に足を踏み入れた哀れな獲物を待つ亡者の呻き声のようだ。
魔術学院の生徒たちの間でまことしやかに囁かれる『神隠し』の舞台として、これ以上ないほどに完璧に仕上がった情景である。一般的な生徒であれば、この禍々しい空気に当てられただけで、恐怖のあまり悲鳴を上げて逃げ出しているだろう。
だが、こいつは違った。
(素晴らしい……空気がひんやりと冷たい。霊的プレッシャーも絶好調だ。
さて、どんな怪異が俺を『被害者A』にしてくれるのかな。できれば王道の吸血鬼の眷属とか、理科室でカタカタ動く人体模型あたりがいいんだが。最悪、通り魔的なサイコパスでも構わないぞ)
モブとしての至高の見せ場に胸を躍らせ、ワクワクと遠足気分で薄暗い廊下を歩いていた、まさにその瞬間だった。
背後の死角。濃密な影の中から、何者かが極限まで足音を殺して忍び寄ってくるのを、ハイドの並外れた魔力感知能力が正確に捉えた。
しかし、そこにあるべき明確な殺気はない。代わりに伝わってくるのは、異様なまでの『切羽詰まった焦り』と、素人丸出しの乱れた呼吸だけだ。
そして次の瞬間――ハイドの後頭部めがけて、硬い木の棒(おそらくは杖の柄か何か)が、空気を裂き、容赦のない力で振り下ろされたのだ。
(むっ、背後からの物理攻撃……!? なるほど、呪いでも毒ガスでもなく、直接殴って気絶させる古典的かつストロングなスタイルか! 魔法に頼らないその泥臭い手法、嫌いじゃないぞ! 上等だ、モブとして華麗に不意打ちを食らってやろうじゃないか!)
常人なら脳震盪で悶絶必至の一撃。当然、ハイドの異常な反射神経と身体能力なら、相手を視認する前に指一本で防ぐことすら容易い。あくびをしながらでも回避できる程度の、あまりにも遅すぎる一撃。
しかし、ハイドはあえて一歩も動かなかった。己の魔力を脳天と頸椎に集中させ、物理的ダメージを完全に無効化する不可視の防御膜を頭皮の直下に展開。その上で、最も鈍く、かつ悲惨な『いい音』が周囲に響き渡る完璧な角度へと、自ら頭をミリ単位で微調整し、その一撃をモロに受けたのである。
ゴォォォンッ!!
という、頭蓋骨が粉々に砕け散ったかと錯覚するほど痛々しい音が、夕暮れの廊下に反響する。
「ああっ、意識が……! ぐふっ……」
ハイドは三文芝居のセリフに、わざとらしい血を吐くような効果音を口頭で付け加えながら、白目を剥いてドサリと床に倒れ込んだ。これ以上ないほど完璧な気絶である。薄れゆく(フリをしている)意識の中で、ハイドは自らの完璧なモブ・ムーブに甘美な陶酔すら覚えていた。
* * *
「……ん、ううっ……」
どれくらい時間が経っただろうか。ハイドは埃っぽい匂いと、微かに甘い薬品の匂いが混ざり合う、ひんやりとしたベッドの上で目を覚ました。
窓には分厚い暗幕が隙間なく張られ、外界の光を完全に遮断している。部屋の隅に置かれた怪しげな魔導ランプだけが、チロチロと青白い不気味な光を放ち、長い影を壁に落としていた。
状況を確認しようと体を動かすと、自分の体がベッドに魔法の縄でぐるぐる巻きに縛り付けられていることに気がついた。
(ほう、ロープによる物理的な拘束か。……いや、これなら俺がくしゃみをしただけで千切れてしまいそうだ)
プロの目線で拘束具のクオリティに辛口のダメ出しをしつつも、ハイドは律儀に拘束されている哀れな生徒のフリを継続する。
(おおっ、素晴らしい閉塞感と絶望感! 拉致監禁! これぞ学園ミステリーにおける完璧なシチュエーション! ここはモブらしく、無様で哀れな命乞いからスタートだな!)
彼は小さく深呼吸をして喉を開き、極限の恐怖に怯え、生に執着する哀れな一般生徒の心理を己に完全に憑依させた。
「ひ、ヒィィィッ!? た、助けてくれぇっ! 俺はただの貧乏な平民なんだ、金ならびた一文ないぞ! それに、田舎には年老いた母親と、父親が俺の帰りを待ってるんだ! 命だけは、どうか命だけはお助けをぉぉっ!」
ハイドの意図的に震わせた涙声が響き渡る。ガタガタと体を震わせる演技も、シーツを握りしめる指先の震えも完璧。この日のために脳内で百回はリハーサルし、さらに独自のアレンジを加えた渾身の演技だ。
すると、暗がりの中からコツ、コツと、硬い靴音が響いた。ランプの青白い光が、ゆっくりと近づいてくる人影を浮かび上がらせる。
(さあ、来い! 猟奇的な殺人鬼か、それとも禁忌の魔法に手を染めた狂気の教師か!)
ハイドが内心で歓喜の雄叫びを上げていると、人影が足を止めた。
「……うるさいわね。少し静かにして頂けるかしら」
「えっ」
ハイドの口から、素の間の抜けた声が漏れた。渾身の演技を途中でぶち壊されたからではない。
青白い光の中に立っていたのは、恐ろしい悪霊でも、連続誘拐犯の猟奇的な狂人でもなかった。
そこにいたのは、彼が想像していたような恐ろしい化け物などではなく――。
透き通るような美しい銀髪。
一切の感情を排したかのような、絶対零度の瞳。
学園中から畏怖と憧憬を集める、魔術学院が誇る天才にして『氷の令嬢』――シルヴィ・フロスト、その人だったのである。




