第32話 帰宅か、被害者Aか。それが(陰の実力者にとっての)問題だ
王都・魔術学院に入学してから、早くも数週間が経過した。
波乱の入学式——幼馴染のセリア(完璧令嬢モード)に無自覚な爆弾を落とされ、全校男子から凄まじい殺意の波動を浴びたあの日——から一時はどうなることかと思われた。
だが、ここは移り変わりの激しい学園である。「なんだ、あいつただの冴えない平民じゃん」と気づいた周囲の彼への関心は、モブへの興味など長く続くわけもなく、すっかり薄れていた。
さらに喜ばしいことに、ハイドにはついに念願の「友達」ができていた。
一人は、茶髪で中肉中背、テストの点数も魔力もすべてが中の中という、歩く平均値ことジミー。
もう一人は、短く刈り込まれた髪に無個性な顔立ち、趣味は読書という極めて地味なヘイボンである。
彼らと肩を並べて歩いている時の、この圧倒的な『背景感』。ハイドにとって、二人はまさに砂漠で見つけたオアシスだった。
「――なぁハイド。今日の放課後、セリアさんって空いてるかな? いや、別に深い意味はないんだけどさ!」
「実は僕、セリアさんが図書室で読んでた本を偶然借りたんです。ハイド君から彼女に、それとなく伝えておいてくれませんか? あくまで自然な流れで!」
昼休みのカフェテリア。向かいの席に座るジミーとヘイボンが、もじもじと頬を染めながら、信じられないほど下心丸出しの台詞を吐いた。
(素晴らしい……っ!)
彼らの言葉を聞き、ハイドは特売のタマゴサンドをかじりながら、内心で歓喜の涙を滝のように流していた。
そう、このジミーとヘイボン、明らかにハイド自身という人間に興味があるわけではない。『学園のアイドルであるセリアに近づくための、都合のいいパイプ役』として彼にすり寄ってきているのだ。
普通なら「俺を利用していたのか! 友情を返せ!」と激怒して机をバンッと叩くところだろう。だが、モブ道を極めんとするハイドにとっては別である。
『ヒロインに近づくために利用される、冴えない踏み台キャラ』――これこそ、学園モノにおける至高のモブ・ポジションの一つではないか。むしろ「もっと俺を踏み台にしてくれ!」と懇願したいレベルの快挙である。
「ああ、分かった。セリアには俺から上手く伝えておくよ」
気のいい、そして少し鈍感な冴えない友人を完璧に演じながら、ハイドは満面の笑みで二人の頼みを引き受けた。心なしか、背後に「村人A」というテロップが見えそうなほどの完璧な演技だった。
そんな平和で底辺な昼食の最中。ジミーがふと声を潜め、周囲の様子をキョロキョロと窺いながら身を乗り出してきた。
「なぁ、お前ら……最近、学院内で流れてる『神隠し』の噂、知ってるか?」
「神隠し……ですか?」
ヘイボンがゴクリと唾を飲み込み、持っていたスプーンをカチャカチャと震わせた。
「ああ。ここ数日、放課後に残っていた生徒が、忽然と姿を消す事件が起きてるらしいんだ。貴族、平民関係なくな。先生たちも血眼になって探してるらしいが、足取り一つ掴めないんだとさ。魔法の痕跡すら残ってないらしいぜ……」
「ひぃっ……! 怖いなぁ、僕たちも放課後は早く帰りましょうよ。暗くなる前に!」
ガタガタと震えるヘイボンに、ジミーも青い顔をして深く頷く。
そんな二人の三流ホラー映画のようなリアクションをBGMに聞き流しながら、ハイドは脳内で極めて冷静な分析を行っていた。
(ふむ。『連続失踪事件』か。学園モノの序盤で必ず起こる、中ボス登場の王道イベントだな)
ハイドはサンドイッチの最後の一口を飲み込み、深く頷いた。こういう不穏な事件は、正義感に溢れる主人公ポジションや、首を突っ込みたがるヒロインが解決するのがお決まりのパターンである。
間違っても、自分のようなモブがしゃしゃり出てはいけない。もし中途半端に関わろうものなら、待っている結末は一つ。『敵の恐ろしさや残虐性を際立たせるための、最初の犠牲者(生贄)』として無惨に散るか、良くて壁に磔にされてヒロインの悲鳴を引き出すための舞台装置にされるのがオチである。
(俺にできる最善の行動は、ジミーたちの言う通り『放課後は寄り道せずにまっすぐ帰る』ことだ。絶対に巻き込まれてなるものか!)
ハイドは固く決意した。今日という今日は、授業が終わった瞬間に誰よりも早く席を立ち、音速で帰宅する。
……はずだった。
だが、彼の胸の奥底で、ねじ曲がった『モブ魂』がチリチリと疼き始めていたのもまた事実である。
(待てよ? この手のホラーイベントで、最初に怪異に遭遇して『うわああああっ!』と三流の悲鳴を上げて気絶する生徒……それって、モブとして一番オイシイ役回り(ポジション)なのでは……?)
安全な自室に引きこもるべきか。それとも『被害者A』という魅惑のモブムーブをキメるため、あえて放課後の旧校舎を一人でうろついてみるべきか。
(くっ……! 究極の二択! 平穏を愛する俺の『理性』と、モブの頂点を目指す俺の『本能』が激しくぶつかり合っている……! 俺は……俺は……一体どうすればいいんだ!?)
誰にも気づかれないレベルでブルブルと小刻みに震え、深刻な顔で頭を抱えていた。




