第31.5話 【幕間】氷の令嬢(※中身は小動物)は強くなりたくて
王都・魔術学院の廊下を、その少女が歩くだけで、周囲の喧騒は水を打ったように静まり返る。
透き通るような美しい銀髪に、一切の感情を排した絶対零度の瞳。
彼女の名はシルヴィ・フロスト。
当代の聖女の娘であり、『初代聖女』しか持てなかったとされる神話の遺物『聖杖』を聖域から持ち帰った奇跡の少女。近寄り難き「氷の令嬢」である。
すれ違う生徒たちは、誰もが敬意と畏怖の念を込めて道を譲る。
「美しい……まさに歩く芸術だ」
「声すらかけられない。あんな人が新入生だなんて」
そんな周囲の熱烈な視線と感嘆の声を浴びながら、シルヴィは一切の表情を崩すことなく、優雅な足取りで静かに歩みを進めていた。
――だが。
その冷徹な仮面の下、彼女の『内面(脳内)』では、まったく別の嵐が吹き荒れていたのである。
(ひぃぃぃぃぃっ! みんなこっち見ないでぇぇぇっ! 怖い、怖いよぉぉ……ッ!)
そう。誰もが恐れ、崇める『氷の令嬢』の真の姿は、極度の対人恐怖症を患った、ただの内気でオドオドしたポンコツ令嬢であった。
(なんで道開けるの!? 普通に歩いてよ! 注目されると胃が痛くなるんですぅぅ! ああっ、あそこの男子生徒がこっちに向かってきそう! 来ないで、お願いだから話しかけないでぇぇ!)
入学式の日、彼女は勇気を振り絞って告白してきた男子生徒を「……邪魔よ。二度と話しかけないで」と切り捨て、見事なまでに泡を吹かせて気絶させた。
周囲からは「なんという冷徹さ!」「孤高」と持て囃されたが、あれは単に「見知らぬ男の人に急に話しかけられて、パニックを起こした結果、声が極端に低くなって顔が引きつってしまった」というだけの、悲しき事故だったのだ。
誰もいない中庭の隅、木陰のベンチにたどり着いたシルヴィは、周囲に人がいないことを何度も確認してから、ふにゃぁぁ……と情けなく座り込んだ。
「うぅぅ……おうち帰りたい……」
完璧なクールビューティーの面影はどこへやら、彼女は涙目で自分のカバンをギュッと抱きしめた。
カバンの中には、彼女が聖域から持ち帰った『聖杖』が入っている。だが、それこそがシルヴィの最大の胃痛の種であった。
(聖杖を持ち帰ってしばらく経つけど……全然、魔術が上達しないよぉ……)
元々、シルヴィの魔術の才能は、決してずば抜けているとは言えなかった。
当代の聖女である母の血を引いていながら、彼女の魔力量や魔法の精度はあくまで「中の上」程度。故に、幼少期の彼女に対する周囲の評価は冷ややかで、「期待外れだ」と囁かれてきた。
しかし、ある日を境にその評価は一変する。
彼女が、何百年も誰一人として引き抜くことのできなかった伝説の『聖杖』を、聖域から持ち帰ったからだ。
周囲の大人たちは手のひらを返し、「さすがは聖女の再来!」「近いうちに神聖魔法の極致に至るだろう!」と大合唱。勝手にシルヴィへの期待値を大気圏外まで引き上げていった。
だが、シルヴィの心の中には、誰にも言えない致命的な秘密があった。
(――そもそも、あの聖杖を台座から抜いたのは私じゃないのにぃぃぃっ!)
そう。『聖杖』を持ち帰ったあの日。
シルヴィの目の前に、突如として黒装束の怪しい人物(※ハイド扮する『絶影』)が現れたのだ。
歴代の天才たちが束になってもビクともしなかった聖杖を、彼はスポーンと引き抜き、シルヴィに託したのだ。
シルヴィはただ、その杖を「持って帰ってきた」だけだったのだ。
そのプレッシャーに押し潰されそうになりながら、シルヴィは「私が抜いたんじゃありません」と言い出せないまま、虚勢を張ってクールな天才を演じ続けるしかなかった。
(昨日も寮の部屋で、ちょっとした『光の球』を出そうとしたら、ボフッって黒い煙が出たし……聖女なのに煙ってなんだろう……。もし私がポンコツだってバレたら、お母様たちに合わせる顔がないよぉ……)
ズーンと暗く落ち込んでいると、ふと、遠くの芝生広場から歓声が聞こえてきた。
そちらへ視線を向けると、新入生首席である平民の少女・セリアが、満面の笑みで高度な魔術を無意識に披露し、周囲の生徒たちから拍手喝采を浴びていた。
「わぁっ、セリアさんすごい! さすが首席!」
「こんな複雑な魔法を無詠唱で……!」
「えへへ、なんだかよく分かんないけど、できちゃった!」
無自覚に、いとも簡単に奇跡を体現してみせるセリアの姿。
それを木陰から見つめながら、シルヴィはギリッとハンカチを噛み締めるような思いで、その光景を睨みつけた。
(……羨ましい。あんな風に、純粋に魔術の才能に恵まれているなんて。私なんて、毎日胃薬を飲みながら天才のフリをしてるだけなのに……)
セリアへの強烈な嫉妬と、自分自身の不甲斐なさに胸が締め付けられる。
だが、シルヴィの瞳に宿ったのは、決して諦めの色ではなかった。彼女はカバンの中の聖杖を力強く握り締め、顔をバッと上げた。
(ううん、落ち込んでいる暇なんてないわ! 私には、お母様の跡を継いで立派な聖女になる義務があるんだから! どんなことをしてでも、絶対に魔術を上達させてみせる!)
周囲からの心無い風当たりを見返し、母の期待に応えなければならない。
そのためには、手段を選んでいる場合ではないのだ。
しかし、極度のコミュ障である彼女が、誰かに「魔法を教えてください」と素直に頭を下げられるはずもない。
(コソコソと一人で練習するだけじゃ限界があるわ。
……こうなったら……)
誰もいない中庭で、氷の令嬢は密かに危険すぎる決意を固めたのだ?




