第30話 陰の実力者は引っ越したい
王都・魔術学院の敷地内にそびえ立つ、まるで王城のように豪奢な『第一学生寮』。
そのエントランスの前で、ハイドとセリアは向かい合っていた。いや、正確にはハイドがセリアの猛烈な抗議を受け止めている最中だった。
「ええーっ!? なんでハイドと離れ離れにならなきゃいけないの! 私、こんな特別室いらない! 寮を出てハイドと一緒に下宿する!」
首席合格者として最上階の特別室をあてがわれたセリアが、制服の裾を掴んで涙目でゴネていた。
普通なら美少女からの同棲提案に喜ぶところだが、ハイドの内心には非常事態宣言のサイレンが鳴り響いていた。
(ヤバいヤバいヤバい! ヒロインと同棲なんてしてみろ、深夜に窓を叩かれたり、不審者に襲われているところを助ける羽目になったり、学園モノの『巻き込まれイベント』が多発して俺の平穏なモブ生活が木端微塵になる!)
「落ち着けセリア! お前は首席なんだ、他の生徒の手前、特別室を蹴るなんて学院への反逆行為だぞ! 週末には絶対遊びに行くから、な!?」
「うぅ……約束だからね! 絶対だよ!」
必死の説得(と適当な嘘)でなんとかセリアを寮に押し込んだハイドは、学院の門を抜けた瞬間、狂喜乱舞のステップを踏んでいた。
(よっしゃあああッ! 同棲・隣室フラグ、完全回避!! これで俺は完全に自由な『陰の実力者』として暗躍できるというわけだ!)
***
意気揚々と王都の裏路地に向かったハイドは、薄暗く胡散臭い不動産屋の暖簾をくぐった。
「……は? 日当たりが悪くて、隣人がいなくて、とにかくボロくて目立たない家?」
不動産屋の親父は、ハイドの出した奇妙な条件に胡乱な目を向けた。
「ええ。田舎者なもので、静かな場所じゃないと落ち着かないんです」
親父は首を傾げながらも、奥から一枚の図面を取り出してきた。
「……王都の最下層スラムの入り口、共同墓地の真裏にある築百年の廃屋だ。無駄に広い地下室があるんだが、以前の住人が『夜な夜な床下から怪しい声や、薬品の変な匂いがする』と言って逃げ出した、札付きの事故物件だぞ。学生が住むような場所じゃ……」
「ここにします。今すぐ契約させてください」
親父が言い終わる前に、ハイドは身を乗り出して図面を叩いていた。
(キタコレェェェ!! 墓地の裏! 事故物件! 無駄に広い地下室!! 陰の実力者のアジトとして百点満点のシチュエーションじゃないか!!)
親父はドン引きしながらも、そそくさと契約を済ませた。
ハイドはさっそく新居となる廃屋の地下室へと降りていった。
そこは図面以上の広さがあり、なぜか奥の方には真新しい実験器具や、怪しげな魔術陣が描かれた一角があった。
(なるほど、前の住人の残置物か。ちょっとマッドサイエンティスト風でかっこいいが、俺の趣味じゃないな)
ハイドは軽く指を鳴らした。
瞬間、空間全体に莫大な魔力が駆け巡る。
『構造再構築』『空間拡張』『絶対防音結界』『完全認識阻害』――。
『完全認識阻害』により、このボロ屋は「特定の手順を踏んだ者以外、空間そのものを認識できない」という鉄壁の要塞と化していた。
「フッフッフ……完璧だ。ここが今日から、俺の暗躍の舞台となる!」
――しかし、ハイドは気付いていなかった。
その廃屋の地下室こそが、王国を裏から牛耳る『七極』の幹部・セプタが、自身の魔力と組織の莫大な予算を注ぎ込んで作り上げた【極秘・生体魔術研究室】だったということに。
「……嘘でしょ? 私の……私の研究室が、通信から完全にロストしたわ……!」
王都の地下深くにある七極の隠し部屋で、セプタが真っ青な顔で水晶球を落とした。
クインとセクスが血相を変えて立ち上がる。
「まさか、事故か!? あそこには我々の極秘資料も大量にあったはずだ!」
「違うわ! 魔力反応ごと、世界から綺麗さっぱり消滅したのよ!」
パニックに陥る幹部たちの命を受け、暗殺部隊のまとめ役であるノノが、直ちに現地(墓地裏の廃屋)へと調査に向かった。
だが数時間後、拠点に帰還したノノの顔は、死人のように青ざめていた。
「……ご報告します。該当の住所には、何もありませんでした」
「何もなかったとはどういうこと!? 建物が燃えたの? それとも更地にされたの!?」
詰め寄るクインに対し、ノノは震える声で首を横に振った。
「文字通り、何も無いんです。ただの行き止まりの路地があるだけ。……建物が壊された形跡すらなく、空間そのものが『初めから存在しなかった』かのように、世界の認識から完全に切り離されていました」
その報告に、七極の幹部たちは絶句した。
建物一つを、魔力の痕跡すら残さずに空間ごと隠蔽する。そんな神の如き御業ができる存在など、この世に一人しかいない。
「そんな……『奴』だ。奴が、ついに王都の中枢に牙を剥き始めたんだわ……ッ!」
セクスが恐怖に顔を歪める中、ノノはギュッと拳を握り締め、一つの確信に至っていた。
(間違いない。これほどの異常事態が、学院の入学式の直前に起きた。……アテルの転生体は、絶対に新入生の中に紛れ込んでいる! セリア……いや、それ以外の生徒も、すべて私が洗い出してみせる!)




