第2話 【プロローグ②】絶望からの反撃劇。陰の実力者は死に際の魔法で『モブ』へと至る
滴る鮮血の跡をあえて無視し、背中で死線を乗り越えてきた者の誇り高きオーラを纏うように、アテルはあえてゆっくりと、ふらふらと足を踏み出した。
五臓六腑が切り裂かれた致命傷の痛みを、強靭な意志の力……いや、見栄と『設定』への異常な執念だけでねじ伏せる。
背後で見下ろす七人の冷たい視線から逃れるように、一歩、また一歩と、玉座の裏へと続く深い闇の中へ足を進める。
表向きは死の恐怖から逃げ惑う哀れな敗者のように。しかしその実、彼らの視線から手元を隠すための完璧な立ち回りだった。
その掠れた呟きと、今にも倒れそうな足音に気を取られている側近たちの背後で、アテルは冷や汗を流しながらも、誰にも気づかれないよう細心の注意を払って唇を微かに動かし続けた。
(……頼む、間に合ってくれ。次こそは、もっと完璧な『影の隠し実力者』を演じきってみせるから……!)
絶命の淵にありながら、その血塗られた掌の裏でひそやかに、しかし確実に、魔術の詠唱を紡ぎ上げていく。
「――往生際が悪いわね。いつまでその痛々しい道化を続けるつもり?」
呆れを含んだ冷徹な声とともに、背後から放たれた追撃の魔法刃が、再びアテルの肉体を容赦なく貫いた。
「がはっ……!」
ぐらりと視界が大きく傾き、冷たい石の床に崩れ落ちる。強かに打ち付けた衝撃で、鮮血の味が喉から激しく逆流した。這いつくばる彼の周囲に、七つの足音がゆっくりと近づいてくる。
トドメとばかりに、かつて手塩にかけて育てた側近たちが、見下ろすように冷ややかな言葉を浴びせかけた。
「もうおしまいよ、アテル。あんたが裏から築き上げた全ての物は今日からは私たちのもの。私たちが表舞台で『正義』として使ってあげるわ」
「我々は表舞台に名を刻む。お前のような日陰者の居場所は、初めからこの世界にはなかったのだよ」
「お疲れ様、ごっこ遊びの王様。その無様な血でせいぜいこの床を汚しなさい。――永遠に眠れ」
突き刺さる嘲笑と、逃れられない死の気配。
意識が深い闇へと沈んでいく中、すべてが終わりを迎えるその絶望の淵で。
アテルの口元にだけは、誰にも気づかれない、狂気すら孕んだ不敵な笑みが張り付いていた。
(……上出来だ。上出来すぎるぞお前らッ! これほどまでに完璧な『絶望からの反撃劇』の布石が揃うとはな……!)
激痛の中で、彼の心は歓喜のダンスを踊っていた。
信じていた有能な者たちからの野心に満ちた裏切り、奪われた完璧な権力基盤、そして絶望の中での孤独な死。陰の実力者として、第一部の完結編としてはこれ以上ないほど美しいバッドエンドだ。
(好きにしろ! 俺の作った組織も、金も、権力も、今は全部くれてやる! お前らが栄華の絶頂に登り詰めたその瞬間に、俺が底辺のモブからすべてを奪い返す……その圧倒的なカタルシスこそが、俺の求める次なるステージだッ!)
薄れゆく意識の中で、アテルは最後の魔力を指先に込めた。
(次は絶対、誰の記憶にも残らないモブからスタートして……お前らを遥かに凌駕する、真の陰の実力者になってやる……!)
絶命の淵にありながら、その掌の裏でひそやかに、しかし確実に――彼自身の魂を未来へと飛ばす、禁忌の転生魔法の詠唱が完成の時を迎える。
【――条件達成。対象の肉体死を確認。魂の定着プロセス、および対象の再構築を開始します】
誰も聞こえないはずの無機質な音声が脳内に響き渡る。
七人の英雄(自称)たちが勝利の美酒に酔いしれ、踵を返して玉座の間から去っていく足音を遠くに聞きながら、アテルという「陰の実力者」の肉体は完全に機能を停止した。




