第16話 陰の実力者に勝ちたくて2
深夜。切り立った断崖絶壁の頂に、まるで世界から忘れ去られたように建つ廃教会。
そんな孤独と死の気配が濃厚に漂う教会の中心で、盗賊連合の『頭』はかつてないほどの異様なプレッシャーと、それを無理やり抑え込もうとする狂気的な高揚感の中で最終準備を進めていた。
男の名はザイード。
彼の持ち味はゴキブリ並みのしぶとさと、底なしの悪知恵だった。
「ヒヒッ……来るなら来い、絶影め! 今日の俺は、今までとは一味も二味も違うぜ……!」
ザイードの歪んだ口から漏れたのは、強がりと狂気が入り混じった甲高い高笑いだった。しかし、その声の端々は微かに震え、彼の額には鉛のように冷たい汗がびっしりと浮かび、あごを伝って滴り落ちている。
裏社会で「無慈悲な略奪者」として恐れられ、血に塗れた数々の修羅場を潜り抜けてきたこの男を、ここまで追い詰めた存在。それが、裏社会の人間を次々と血祭りにあげている正体不明の通り魔――『黒コートの化け物』こと、ハイドであった。
ハイドの噂は、今や盗賊や暗殺者たちの間で逃れられない死の宣告として語り継がれている。
どれほど屈強な傭兵を護衛につけようと、どれほど複雑で厳重な罠を張り巡らせたアジトに隠れようと、奴は必ず現れ、そして全てを一方的に蹂躙していく。
ザイードは、自身の全財産と、裏社会で築き上げたあらゆる人脈、そして己の命すらもチップとして投げ打ち、この「対ハイド専用・絶対殺す陣地」を構築したのである。
彼の背後、かつて神聖な儀式が行われていた祭壇の上には、この空間における最大の要が鎮座していた。かつて王国の宝物庫から、何十人もの腕利きの盗賊たちの命と引き換えに奪い去った国宝級の古代遺物『封魔の結界石』である。
本来であれば王城の最深部で国を魔法の脅威から守護するためのその石は、今はザイードの執念に応えるかのように、青白い、禍々しいほどの光を脈打つように放っている。この結界石の恐るべき力は、周囲数キロにわたる空間の魔力を完全に沈黙させ、霧散させることにある。
いかなる伝説の大魔導士であろうと、この石の影響下では指先ほどの小さな火を灯すことすらできない。ハイドがどれほど強大な魔術を操る化け物であろうと、この廃教会に足を踏み入れた瞬間、魔力を根こそぎ奪われ、ただの無力な人間に成り下がるのだ。
「魔法が使えなけりゃ、ただの人間だ。いくら化物だって、魔力がなきゃ手も足も出まい……!」
ザイードは結界石の青白い光を背に浴びながら、血走った目で教会の入り口の巨大な扉を睨みつけた。だが、彼の備えはこれだけではない。ザイード自身の装備もまた、一介の盗賊が身につけるような代物ではなく、完全に常軌を逸したアーティファクトの塊であった。
ザイードがふと視線を横にやると、そこには柱にロープで縛り付けられた十歳ほどの銀髪の少女――シルヴィの姿があった。
「おい、ガキ。泣き喚いてもいいんだぜ? 『お母様ぁ、助けてぇ』ってよぉ! ひははは! お前が怯えれば怯えるほど、王国軍の連中は焦りまくる! そして、あの呼び出し状を見た『絶影』の野郎がここに来れば……王国軍とあのバケモノで勝手に潰し合ってくれるって寸法だ! 俺様は高みの見物をして、最後に両方弱ったところを丸裸にしてやる!」
自分の完璧な作戦を嬉々として語るザイード。
しかし、どれほど下劣な言葉で煽っても、シルヴィは泣くどころか、信じられないものを見るようなジト目でザイードを睨み返した。
「……あなた、馬鹿なの?」
「あぁん? なんだと?」
「あの泥棒が、あなたの罠にわざわざ掛かるような律儀な人に見える?」
「ハッ! 強がりを言うな! あいつは俺の組織をたった一人で――」
「強がりじゃないわ! あの男はね、神聖な聖杖を……あんな無礼で失礼なヤツ、強者どころかただの常識知らずの変人よ!」
シルヴィはロープで縛られながらも、プンスカと頬を膨らませて怒りを露わにした。
「だからあんな泥棒、ここに来るわけないし、もし来たら私が率先して説教してやるんだから!」
全く噛み合わない二人がギャーギャーと言い争いになりかけた、まさにその瞬間だった。
ズガアァァァンッッ!!!
突如、廃教会の分厚い正面扉が、爆発でも起きたかのように木端微塵に吹き飛ぶ轟音が響き渡った。
「なっ!? まさか、王国軍が強行突入してきたのか!?」
ザイードが慌てて振り返ると、そこには王国軍の姿はなかった。
代わりに――。




