第13話(※ただのモブ)が適当に立ち去ったせいで、盗賊が一発逆転の悪巧みを閃いてしまった件。
「……そこで何をしているの、あなた!」
静寂に包まれていたはずの洞窟に、高く澄んだ、それでいて必死に震えを押し殺しているような幼い声が響き渡った。
「ん?」
ハイドが振り返ると、石の扉の影から一人の少女が姿を現していた。年齢は十歳にも満たないだろうか。上質な純白のローブに身を包み、銀色の美しい髪を揺らすその少女は、ハイドが手にしている聖杖を大きな瞳で信じられないといったように見つめていた。
彼女の名はシルヴィ。表向きは「聖女」として祭り上げられている女性の娘である。彼女は王国軍の陣地からこっそりと抜け出し、自分の目で本物の聖杖を確かめるため、一人でこの聖域の最奥までやってきたのだ。
「それは……お母様の、ううん、初代聖女様が遺した大切な聖杖よ! あなたみたいな怪しい泥棒が触っていいものじゃないわ! すぐに返しなさい!」
小さな両手を強く握り締め、恐怖で膝を震わせながらも、シルヴィは必死にハイドを睨みつけていた。
(……なんでこんなところに子どもがいるんだ?)
ハイドは盛大に顔を引きつらせた。
外では数千の王国軍と盗賊連合が血みどろの死闘を繰り広げているというのに、なぜこんな幼女が最前線の、しかも重要アイテムの目の前にいるのか。完全にハイドの計算外である。
(顔は見られていない。俺はフードを被ってるし、このコートも普段着じゃない。だが、俺が杖を引っこ抜いたところはバッチリ見られてしまった……!)
『影の実力者』を自称するハイドにとって、自分の行動や正体が予期せぬ形で露見するのは最大のタブーである。ましてや、これから外の戦場に乱入して「圧倒的な謎の強者」としてデビューする予定だったのだ。ここで「あっ、あの人さっき杖を盗んでた泥棒だ!」などと指を差されれば、威厳もクソもない。ただのコソ泥扱いである。
ハイドの脳裏に、一つの黒い選択肢がよぎった。
(……口封じ、するか?)
彼が本気を出せば、瞬きをする間に少女の意識を刈り取り、記憶を消すか、最悪の場合は永遠の眠りにつかせることなど造作もない。この暗い洞窟の底なら、誰も気づかないだろう。
だが、ハイドの冷静な計算能力が、即座にその選択肢に巨大な「×」印を叩きつけた。
(いや待て待て待て! 落ち着け俺! 相手は明らかにただの村娘じゃない。あの身なり、そして『お母様の』という言葉。こいつ、もしかして王国の聖女の身内か!?)
ハイドの額にタラリと冷や汗が流れる。
(もしここでこの幼女を手にかけたらどうなる? 国中から崇められている聖女の娘が殺されたとなれば、王国はメンツにかけて、国家予算のすべてを注ぎ込んででも犯人を捜し出すはずだ。国境は封鎖され、近隣の村々は片っ端から尋問され、俺の復讐&陰の実力者計画が完全に終わってしまう! めんどくさすぎる!! リスクが高すぎる!!)
『陰の実力者』は、あくまで平穏な日常(モブとしての生活)があってこそ輝くもの。
脳内で僅かコンマ二秒の超高速会議を終えたハイドは、瞬時に方針を180度転換した。
「……ふふ、ふはははは!」
突然、ハイドは洞窟内に響き渡るような、低く悪役っぽい笑い声を上げた。
「な、なにがおかしいのよ!」
ビクッと肩を揺らすシルヴィに対し、ハイドは極めて芝居がかった優雅な動作で大理石の台座から飛び降りた。そして、手の中にあった神々しい聖杖を、あろうことかクルリと反転させ、シルヴィの足元へとスライディングで滑らせたのである。
カラン……と、甲高い音を立てて、絶対に抜けないはずの伝説の聖杖がシルヴィのつま先で止まった。
「え……?」
目を丸くする少女に対し、ハイドは漆黒のマントを翻して背を向け、仮面の奥から、やれやれといった様子でため息をついてみせた。
「勘違いするな、お嬢ちゃん。俺はただ、この伝説のアーティファクトとやらが、一体どれほどの力を持っているのか……ほんの少し『味見』をしただけさ」
(よし! 言い訳としては完璧だ! 強者っぽい余裕も演出できてる!)
心の中でガッツポーズを決めながら、ハイドは言葉を続ける。
「俺のような闇に生きる者にとって、その眩しすぎる光は少しばかり目に毒でね。どうやら、俺の得物には相応しくないようだ。……それは、お嬢ちゃんが持って帰りな」
「あ、あなた……一体、何者なの?」
恐る恐る聖杖を拾い上げ、胸に抱きしめながら尋ねるシルヴィ。
ハイドは背中越しに片手を上げ、最高にカッコいい(と本人は思っている)低い声で言い放った。
「名などないさ。絶影などと、呼ぶやつもいるか……まぁただの、通りすがりの影さ。……じゃあな!」
言葉を残すや否や、ハイドは隠密スキルをフル回転させ、風のようなスピードで洞窟の奥へと消え去っていった。残されたのは、聖杖を抱きしめたまま呆然と立ち尽くすシルヴィだけである。
だが――この静まり返った地下空間には、『もう一人』、今のやり取りの一部始終を息を潜めて見届けていた者がいた。
入り口の防衛線を捨て駒の部下たちに押し付け、どさくさに紛れて聖域の最奥まで単独で侵入していた男……『盗賊連合』の生き残りである頭目だ。
彼は分厚い岩陰に身を隠しながら、恐怖と狂喜がないまぜになったような脂汗をダラダラと流していた。
(……バケモンめ。あれが絶影か……)
ハイドの放っていた異常なプレッシャーに、頭目はガチガチと奥歯を鳴らしていた。
だが、その恐るべき『復讐鬼』は、なぜか最高のお宝を手放し、嵐のように去っていったのだ。
頭目の濁りきった瞳が、ポツンと取り残された無力な少女と、その腕に抱かれた『伝説の聖杖』へとねっとりと絡みつく。
(……ひひっ。あいつがお宝を置いていってくれたおかげで、まるっと俺のモンになるってわけだ。しかもあのガキ、聖女の身内とか言ってたな……?)
劣勢だった外の戦況を完全に覆す、悪魔のような閃き。
頭目の顔に、どす黒く歪んだ笑みが浮かび上がった。
(聖杖と、聖女のガキ。この2つを『人質』にすりゃあ、王国軍の連中も手出しできねぇ! 逆転どころか、国を脅して一生遊んで暮らせるだけの金を巻き上げられるぜ……! これは、使える……ッ!……だが、まずは絶影あの野郎からだ!)
静寂を取り戻したはずの聖域の底に、再びどす黒い暗雲が立ち込めようとしていた――。




