第9話:二十年前の修復と、母のノート
『七耀の大宝冠』。
王国の戴冠の儀で、代々の王の頭上に載る宝器。七つの大粒の主石——紅玉、青玉、翠玉、金剛石、紫水晶、黄玉、真珠——が、暁から宵までの「七つの刻の色」を象るという。
「王権の象徴だ。宝物庫の最奥にあり、出てくるのは戴冠と国葬のときだけ。直近で人の手に触れたのは——」
「二十年前の、大修復」
工房の奥の書庫で、ノエリアはルキウスと向き合っていた。卓上には、競売会から写してきた台座刻印の拓本と、当時の年代記。
「修復の総指揮は、宮廷宝物管理官。当時も今も、同じ人物だ。——モルガナ卿」
「モルガナ卿……」
「先代から仕えるお年寄りで、宮廷の宝物のことは彼を通さねば何ひとつ動かん。謹厳実直で知られる御仁だ」
ルキウスの声は平坦だったが、その平坦さが、かえって含みに聞こえた。商人は、評判を額面では受け取らない。
「公爵様。整理いたしますわね」
ノエリアは、指を一本ずつ折った。
「一つ。昨夜の合成石の台座には、二十年前の王室工房の検印がございました。二つ。合成石が騙ろうとした名前は『暁の紅玉』。三つ。母のノートによれば、『暁の紅玉』は『七耀の冠の第一席』——」
三本目の指を折ったまま、彼女は息を吸った。
「もし、二十年前の大修復のときに、宝冠の主石が……すり替えられていたとしたら。あの合成石は、そのとき宝冠に嵌めるために作られた『替え玉』の、いわば姉妹石。そして本物の主石たちは、外へ持ち出されて——どこかで、売られた」
「飛躍だな」
「ええ、飛躍ですわ。証拠は、台座の検印ひとつ。……ですけれど」
ノエリアは、鞄から、あの革表紙のノートを取り出した。
母の鑑定ノート。八年間、肌身離さず持ち歩いた形見。
「母は、グランツ商会の先代の鑑定眼でした。わたくしの眼は、母譲りですの。……母は二十年前——わたくしが生まれる少し前から、何かを調べておりましたわ。ノートの後ろのほうは、調べ物の覚え書きばかり」
頁をめくる。几帳面な細い字が、石の名前を連ねている。
暁の紅玉。昼の青玉。木陰の翠玉。白昼の金剛石——七つの刻の色。
そして、最後の頁。
そこだけ、字が乱れていた。急いで、けれど確かな筆圧で、こう書かれている。
——七つの主石、すべて
文は、そこで途切れていた。
続きの頁は、ない。破られたのではない。書かれなかったのだ。
「……母は、この書きかけの夜から十日ほどのちに、亡くなりました。馬車の事故で。雨の夜に、車軸が折れたと」
ノエリアは、自分の声が思いのほか静かなことに、自分で驚いていた。八年間、ただの悲しい思い出だったものが、いま初めて、別の輪郭を持ち始めている。
ルキウスは、長いことノートの最後の頁を見つめていた。
やがて、顔を上げた。
「ノエリア・グランツ。雇用主として言う」
「はい」
「この先を追えば、相手は王宮だ。宮廷宝物管理官、王室工房、——下手をすれば王家そのもの。商会ごと潰されかねん。降りるなら、今だ」
突き放す言葉。けれどノエリアには、もう分かっていた。この人の突き放す言葉は、いつだって、相手に選ばせるための場所空けだ。
だから彼女も、鑑定士として答えた。
「わたくしの眼は、母の眼ですの」
ノートの表紙を、そっと撫でる。
「この眼が視たものを、なかったことにすれば——母の眼ごと、嘘になりますわ。……母の眼を、嘘にしたくありませんの」
沈黙。
それから、ルキウスは卓上の年代記を閉じ、立ち上がった。
「いいだろう。——夜天商会は、本日より一件の長期案件を受注した。依頼主は、わたし。担当鑑定士は、お前だ」
「依頼内容は?」
「『七耀の大宝冠』の主石、七点の——来歴調査」
来歴調査。盗品捜索でも告発でもなく、あくまで商会の業務として。この建て付けの周到さに、ノエリアは思わず微笑んだ。
「報酬は、出来高で構いませんわ」
「交渉が下手だと言ったはずだ」
「あら。では成功報酬に、おまけをひとつ」
ノエリアは、すこしだけ悪戯な顔をした。
「すべて終わりましたら——あなたの『心臓』の契約も、わたくしが解いてさしあげます。同じ、来歴調査ですもの」
ルキウスの紫水晶の瞳が、わずかに見開かれた。
そのとき、書庫の扉が控えめに叩かれた。ミルカが、息を切らせて顔を出す。
「あ、あのっ、お取り込み中すみません! お、お客様です……というか、その」
「どなた?」
「王室の紋章の馬車が、門の前に……!」
書きかけのまま途切れた、お母様の最後の鑑定。娘の眼が、その続きを書きはじめますわ。
そして玄関先には王室の馬車。……吉報でしょうか、それとも。次回「王室御用鑑定人、選定試験」。第1章のクライマックスですわ。【ブックマーク】と【☆評価】を、何卒!




