第51話:銘は、殺人未遂まで彫っておりますの
ルキウスの回復は、日ごとに目に見えた。
指先の温度が、戻った。褪せていた世界に色が戻った。工房の者たちは当主の変化にまだ戸惑っていた。かつて、氷のようだった宵闇の宝石公が、朝、庭の緑を見て、ふと立ち止まる。ミルカが淹れた茶の温かさに、目を細める。——感情を取り戻していく日々。
「……旦那が笑うと調子が狂うぜ」
ベンノが、煙管をふかしながら、まんざらでもない顔で、ぼやいた。
「五十年、いや、生まれてこのかた冷え切ってた人が、いきなり人間くさくなりやがって。まあ、悪かねえがな」
*
その工房の温もりの只中で、ノエリアは、押収した仕掛けの検分を、進めていた。
叩き壊された増幅装置。掘り出された共鳴の札。それらを白手袋の指で一枚ずつ、検めていく。石の来歴を視る眼は、鋼にも、鋳型にも、それを作った者の手の癖を、読む。
「……ございましたわ」
彼女は共鳴札の裏のごく小さな刻印をルーペで示した。
「ガレオン工房の鋳型の銘ですの。選定試験の広間で割れた、妹の共鳴札から視た、あの銘と同じ癖。同じ職人が同じ鋳型で彫ったものですわ。——この札は間違いなく、ガレオンの会頭さんの手の内から、出ておりますの」
「庶民の偽物は『部下が勝手に』で逃げたが」
ルキウスの声に、抑えた怒りが宿った。感情が戻ったぶん、その怒りにも、熱があった。
「公爵の暗殺は、そうはいかん。この銘は殺人未遂の動かぬ証だ」
「ええ。銘は殺人未遂まで彫っておりますのよ」
ノエリアは共鳴札を証拠の箱へ納めた。
「庶民を騙した罪は、背後の力が、揉み消せましたわ。けれど、公爵その人を手にかけようとした罪は、揉み消せば、揉み消すほど、背後の存在を際立たせますの。会頭さんは追い詰められて、いちばんしてはいけない手を打ちましたわ」
*
その夜。
証拠を整え終えたノエリアのもとへ、ルキウスが小さなものを差し出した。
小さな布包み。開くと中に——一輪の白い花を模した、細工の髪飾りが。銀線に貝の細片を花弁のかたちに散らした、控えめな品。
「……これは」
「贈り物ではない」
ルキウスは、目を逸らしながら、ぶっきらぼうに言った。けれど、その耳がうっすら、赤かった。感情が戻ったから。照れる、という感情まで戻ってしまったから。
「妹御の手紙に白い花が貼ってあったのだろう。……お前がそれを大事に母親のノートに挟んでいるのを、見た。花はいずれ、朽ちる。朽ちない花なら、挟んだままにできる。……ただ、それだけの実用品だ」
ノエリアの胸の内で封蝋が大きく軋んだ。
贈り物を断る側だった彼女に、今、彼が断りようのない品を差し出している。妹の勇気の白い花を朽ちない形で。
「……実用品、ですのね」
「そうだ。実用品だ」
いつもの攻防の口上。けれど、その立場はすっかり、逆になっていた。
「……お借り、いたしますわ」
ノエリアはその白い花の髪飾りを、そっと受け取った。借りる、と言いながら。もう返す気はないことを自分でも、知りながら。
*
「さて」
ノエリアは封蝋の軋みをそっと胸の奥へ仕舞い、顔を上げた。
「会頭さんの首根っこに届く、殺人未遂の銘は、手に入りましたわ。あとは——これを確かな証言で裏づけますの。会頭さんの手口を内側から知る、たった一人の証人が、おりますもの」
「妹御か」
「ええ。ペルラですわ」
彼女は白い花の髪飾りを指先で撫でた。
「あの子は闇の中から、警告を届けてくれましたの。金庫の在処も、心臓を狙う企ても。……あの子を守らねばなりませんわ。会頭さんが、口を塞ぎに動く前に。次は——妹に会いに参りますの」
鋳型というのは、正直なものですのよ。同じ型から抜けば、傷の位置まで揃いますの。名を彫らずとも、彫った手はそこに残りますわ。……隠しごとをなさる方ほど、道具には無頓着でいらっしゃいますのね。
花はいずれ朽ちますけれど、銀と貝なら朽ちませんの。——理屈のうえでは、たしかに実用品ですわ。ええ、実用品。そういうことにしておきましょう。
次回、妹に会いに参ります。あの子の勇気の証人に、【ブックマーク】と【☆評価】を。




