第5話:宵闇色のドレスと、社交界の値踏み
「競売の前夜会に、商会としてお前を連れて行く」
朝の工房で、ルキウスは事務連絡のようにそう告げた。
「装いは商会で用意する。断るな。これは贈り物ではなく制服だ」
「……言い方を、考えていらっしゃいましたわね?」
「三日ほどな」
真顔で言うものだから、ノエリアは噴き出しそうになった。贈り物攻防、二戦目は公爵の勝ち。制服と言われては、鑑定士に断る理由がない。
*
当日の夕刻、衣装室で待っていたのは、宵闇色のドレスだった。
深い藍とも黒ともつかぬ絹地に、銀糸の刺繍が星のように散る。装身具は、あえてのひと粒——小さな、けれど水底のように澄んだ月長石。
「うわぁ……」
着付けを手伝いに来たミルカが、ぽかんと口を開けた。
「ノエリアさま、別人みたいです……! あ、いえ、いつもも素敵なんですけど、その、磨いた後みたいって言うか……!」
「ふふ。素直でよろしい」
鏡の中には、見慣れない女がいた。
石ころ令嬢と呼ばれた日々、彼女のドレスはいつも、妹より三段引いた色と決められていた。商会の看板はペルラ。姉は背景。それが父の「飾りつけ」だった。
(……背景にも、背景の意地がありますのよ)
玄関広間で待っていたルキウスは、降りてきたノエリアを見て、二秒だけ黙った。
「……行くぞ」
「あら。鑑定のご感想は?」
「相応の石は、相応の台座で化ける。それだけの話だ」
それだけの話を、二秒かけて言う人なのだった。
*
前夜会の会場は、王都の迎賓館。
宵闇の宝石公が、女性を伴って現れた——それだけで、広間のざわめきは目に見えて変わった。そして、その連れの顔に気づいた者から順に、ざわめきは嘲りの色を帯びる。
「あれ、グランツの……勘当された方の」
「石ころ令嬢じゃないの。まあ、どういう風の吹き回し」
「公爵様も、お人が悪い。捨てられた娘を拾って、グランツへの当てつけかしら」
扇の陰の囁きは、聞こえるように放たれる。社交界の値踏みだ。
けれどノエリアは、まったく別のことに忙しかった。
(……まあ。まあまあまあ)
視えてしまうのだ。広間を埋める装身具の、真贋が。
伯爵夫人の首の「家宝の真珠」は、三粒目と七粒目が後年の継ぎ足し。子爵令嬢の翠玉は、裏から色を貼った合わせ石。あちらの老侯爵の襟の留め石だけは——ほう、見事な本物。
(皆さま、わたくしを値踏みなさっている間に、ずいぶんと値踏みされておいでですわ)
くす、と笑いがこぼれた。その横顔に、隣のルキウスがちらりと目をやる。
「楽しそうだな」
「ええ。夜会がこんなに楽しい場所だったとは、存じませんでしたわ」
と——正面から、波を分けるように人が来た。
恰幅のよい子爵が、値踏みを隠しもせずに笑う。
「これはこれは公爵閣下。本日はまた、変わった……ああ、いや、可愛らしいお連れで。たしかグランツの、ええと、石の声がお聞こえになるという」
失笑がさざめいた。
ルキウスは、表情ひとつ変えなかった。ただ、半歩、ノエリアの前に出た。
「紹介しよう。夜天商会専属鑑定士、ノエリア・グランツ」
低い、よく通る声だった。
「彼女はわたしの工房の至宝だ。——以後、値踏みの際は、そのつもりで」
広間が、すっと静まった。
宵闇の宝石公が「至宝」と言った。彼が値をつけた石は、二度と値を下がらない。その噂を、この場の全員が知っていた。
子爵が引き攣った笑みのまま後退していくのを見送って、ノエリアは小さく囁いた。
「……過分なお値段ですわ、公爵様」
「鑑定に文句があるなら、書面で受け付ける」
(ほんとうに、言い方をいちいち考えていらっしゃるのだから)
*
会場の奥、明日の競売の出品目録が閲覧に供されていた。
ノエリアは職業柄、吸い寄せられるように頁をめくり——ふと、指が止まった。
その時だった。
「——あらあ。姉さまったら」
甘い声が、背中に刺さった。
振り向かなくても分かる。蜂蜜色の巻き毛、薔薇の香水。広間の光をぜんぶ味方につけたような笑顔で、ペルラが立っていた。その半歩後ろに、居心地悪そうなセドリック。
「まあ、まあ。素敵なドレス。よくお似合い——」
ペルラの目が、姉の隣の人物を認めて、一瞬だけ止まった。それから、いっそう花のように笑う。
「公爵閣下、ごきげんよう。妹のペルラですわ。姉がご迷惑をおかけしておりませんこと? なにしろ、石を撫でて暮らしてきた人ですから」
「迷惑か」
ルキウスは、目録から顔も上げずに言った。
「うちの商会は開業以来の増益だ。原因はひとつしかない」
ペルラの笑顔に、初めて、ひびのような間が空いた。
「制服ですわ」の一言で勝負を決めにくる公爵さま、お強いですわ……。
そして妹との再会。次回、ペルラの「光る鑑定」が衆目の前で披露されます。姉の眼だけが、その光の中に何かを視てしまいますの。【ブックマーク】と【☆評価】をお願いいたしますわ。




