第4話:形見の指輪は、偽物でした
夜天商会に来て初めて、ノエリアが鑑定皿の前に座らせた客は、貴婦人でも、大商人でもなかった。
灰色の外套を着た、小柄な老婦人。市場の八百屋のおかみだという。応接の使用人が「予約のない方は」と断りかけたのを、たまたま通りかかったノエリアが、自分の席へ通したのだ。
窓際の小さな机に天鵞絨の鑑定皿。ルーペと封蝋の道具一式。ミルカが勝手に飾っていった花が、一輪。
老婦人が、皺だらけの手で布包みをほどいた。
出てきたのは、古い金の指輪だった。小さな赤い石がひとつ。
「亡くなった主人の形見なんです。四十年前、所帯を持ったときにくれたもので。……このごろ目が悪くなって、嵌めたまま流しに落としたりするものだから。息子が、ちゃんとした店で値打ちを見てもらって、しまっておけと」
ノエリアは指輪に挨拶をして、白手袋をぱちりと嵌めた。
ひと目で分かってしまった。
(……硝子、ですわ)
赤い石は、宝石ではない。よくできた、けれど、ただの色硝子。台座の金も、薄い鍍金だ。市場で買えば、銀貨数枚の品。
四十年、形見と信じて磨かれてきた指輪に、「偽物です」の四文字は、あまりに冷たい。
けれど、嘘の鑑定書を書けば、それは——彼女の眼が、死ぬときだ。
(石は、嘘をつきません。なら、わたくしも)
ノエリアは、指輪を両手で包み、目を閉じた。
——視える。
硝子の奥に染みた、記憶の気配。夜更けの工房の灯り。何度も数え直される、すり切れた革の財布。若い男の思い詰めた横顔。そして、火にかざして色を確かめる、職人の手——。
その横顔が、何を思っていたのか。視えた瞬間、ノエリアは確信した。
「……おかみさん。この指輪のこと少しだけお話ししてもよろしくて?」
彼女は、老婦人の目をまっすぐ見て、切り出した。
「石は硝子ですわ。台座も金鍍金。お品としての値段は、銀貨数枚にもなりません」
老婦人の肩が、小さく揺れた。
「ですが——この硝子は、誂え物です。既製の硝子玉では、ありません」
「……誂え……?」
「ええ。職人にわざわざ『この赤で』と注文して、本物の紅玉とまったく同じ研磨で削らせた、特注の硝子ですの。四十年前の王都の左岸の工房の仕事ぶりですわ」
ノエリアは、指輪を鑑定皿の上にそっと戻した。
「本物の紅玉でこの大きさなら——当時の職人の、給金の二年分。ご主人には二年分は、払えなかったのですわ。けれど、ひと月分の精一杯で本物とまったく同じ形を、誂えた。安物の既製品で済ませることも、できましたのに」
あの思い詰めた横顔は、恥じていたのではない。あれは——いつか必ず本物を、と決めていた、男の目だ。
「四十年。この指輪が一度も外されず、磨かれ続けてきたことは、艶が教えてくれますわ」
ノエリアは、ひと呼吸、置いた。
「……おかみさん。石は偽物です。ですが、込められた想いは——本物ですわ」
老婦人は、長いこと指輪を見つめていた。
それから、皺だらけの手で口元を覆って、笑った。泣きながら、笑った。
「……あの人ったら。『これは特別な石だ』って、最後まで言い張って。——あたしね、ほんとうは、途中から気づいてたんですよ。だって硝子なら、四十年磨いても、傷ひとつ増えやしないんだもの」
「まあ」
「でも、言えやしないじゃありませんか。あの人が、あんまり得意そうだから」
老婦人は、指輪をそっと胸に当てた。
「お嬢さん。ありがとう。これでやっと息子に言ってやれます。——『この指輪は、お父さんの精一杯だった』って」
ノエリアは、鑑定書をしたためた。
品目、硝子製指輪。評価額、銀貨五枚。そして、備考の欄に一行。
——誂え硝子。意匠は紅玉指輪の正式様式に同じ。保存状態、極めて良好。四十年間の手入れの跡あり。
とろり、ぽたり。封蝋を落として、初仕事の鑑定書が、仕上がった。
「鑑定料は、銅貨三枚ですわ。——大切なお仕事をさせていただきましたもの」
*
夕刻。鑑定室の入り口にいつからいたのか、ルキウスが立っていた。
「鑑定料、銅貨三枚と聞いたが」
「あら。盗み聞きは、感心いたしませんわ」
「商会の規定では、最低でも銀貨一枚だ」
「では差額は、わたくしのお給金から、お引きくださいまし」
公爵はしばらく黙っていたが、やがて懐から、小箱を取り出した。開けると見事な石榴石の耳飾りが、一対。
「初仕事の祝いだ。受け取れ」
「お気持ちだけ、頂戴いたしますわ」
即答だった。公爵の眉が、ほんのわずかに動く。
「……理由を聞こう」
「鑑定士が、自分の石に曇らされてはいけませんの。きれいな石を身につけますと、眼が、それを贔屓いたしますから。——お給金で十分ですわ」
「変わった女だ」
「ええ、よく言われますの」
公爵は小箱を仕舞い、踵を返しかけて——足を止めた。
「……今日の鑑定書。あの備考の一行は、規定にない書式だ」
「あら。減俸ですか?」
「いや」
彼はこちらを見ずに言った。
「——うちの商会の鑑定書は、今日から、ああいうものだ。ベンノに書式を改めさせる」
その背中を見送ってから、ノエリアは机の上の花に、こっそり囁いた。
「ね。冷たい方では、ありませんでしょう?」
——翌日、商会に届いた一通の招待状が、静かだった工房をすこしだけ騒がせることになる。
王都競売会、特別招待。宛名は、夜天商会当主、ならびに「専属鑑定士殿」。
偽物の石に本物の四十年が宿っておりましたの。
そして早くも、公爵さまの「贈り物」が一敗。この攻防、長くなりますわよ。次回は競売前夜、令嬢が宵闇色のドレスを纏います。【ブックマーク】と【☆評価】、何卒お願いいたしますわ。




