第47話:古い共鳴が、心臓を呼ぶ
夜ごと黒曜の心臓の軋みは、大きくなっていった。
ルキウスの冷えは、目に見えて、ぶり返した。取り戻しかけていた微笑が、また彫像の無表情の奥へ退いていく。工房の誰もが、それに気づいていた。近ごろ、少しずつ和らいでいた当主の空気が、また氷の下へ沈んでいくのを。
「……音の、出所を探しますわ」
ノエリアは白手袋を嵌め、工房の周りを歩きはじめた。
石を外から煽る共鳴は、必ず発信源がある。妹の光を演出した、あの手鏡のかたちの魔具と、同じ理屈。近くのどこかに心臓の飢えを呼ぶ、古い調べを放つものが、仕掛けられているはずだった。
*
「あたしも探しますっ」
ミルカが、袖をまくった。ベンノも煙管を置いて、道具袋を担いだ。
「石の軋みが聞こえるってんなら、俺の耳よりお嬢の眼だ。だが、仕掛けを見つけたら、外すのは職人の仕事だぜ。任せな」
三人と護衛たちで工房の周囲をしらみ潰しに検めていく。壁の隙間、庭の植え込み、井戸の底。ノエリアは石の反応を頼りに少しずつ音の中心へと近づいていった。
やがて彼女の足が止まった。
工房の裏手、公爵家の最奥——心臓を納めた祭壇の、ちょうど真裏にあたる、外壁の下。そこの地面に埋めたばかりの新しい土の跡があった。
「ここですわ」
ベンノが掘り起こすと、油紙に包まれた、小さな金属の函が出てきた。開くと中に共鳴の札が幾重にも重ねられている。ガレオン工房のあの技術。飢えた石を外から、呼び続ける調べを刻んだ、仕掛け。
「……こいつは根が深いぜ、お嬢」
ベンノの顔が、険しくなった。
「これ一つじゃねえ。この調子だとあちこちにいくつも埋めてある。全部、いっぺんに外さねえと、意味がねえ。一つ外しても、残りが石を呼び続ける」
*
その日は、日暮れまでかかって、三つの仕掛けを掘り出した。けれど、石の軋みは止まらなかった。まだどこかに残っている。
工房に戻ったノエリアの肩に、ミルカが、そっと温かい湯の入った碗を差し出した。
「ノエリアさま、根を詰めすぎです。少し、休んでください。……あの、ノエリアさまが倒れたら、公爵さまを誰が視るんですか」
その、素直な一言にノエリアははっとした。
「……そうですわね。ありがとう、ミルカ」
碗の温かさが、掌に染みた。工房には、こういう温度があった。母を失って、勘当されて、独りだったあの頃には、なかった温度が。
ノエリアは湯を一口含んで、それから、顔を上げた。
「ベンノ。仕掛けの調べの癖から、逆に辿れませんこと? これを埋めた者が、どこから来て、どこへ帰るのか。——次の新月まであと二日ですわ。それまでに残りの仕掛けを全部、見つけ出さねば」
「新月?」
「ええ。光の、いちばん薄れる夜。飢えた石がいちばん暴走に近づく夜ですわ。会頭さんは——その夜を、狙っておりますの」
*
その夜。
ノエリアが、祭壇の前で心臓の様子を検めていると、背後に足音が近づいた。ルキウスだった。冷えた指先を外套の中に隠すようにして。
「……お前にこれ以上、危ないことをさせたくない」
彼は低く、言った。感情が退いていくなかで、それでも、必死に手繰り寄せた言葉のように。
「石を限界まで飢えさせて解く工程。あれを新月の夜にやるのは、危険すぎる。敵がそれを狙っているなら、なおさらだ。……延期しよう。仕掛けをすべて取り除いてから」
「ルキウス様」
ノエリアは、彼の冷たい指先をそっと外套の中から引き出した。両手で包むように。
「延期はできませんの。会頭さんは待ってくれませんわ。新月の夜、仕掛けを取り切れなければ、石はあなたのお心を放っておいても、暴走させますのよ。——ならば、その夜、わたくしが解きますわ。敵の煽りごと飲み込んで」
彼女の眼は、祭壇の灯りをまっすぐ受け止めていた。
「怖くはございませんの。だって、あなたのお心を取り戻すためですもの。——わたくし、決めましたでしょう? 品評会の夜に。あなたの感情を呪いから、端から端まで全部、取り戻してさしあげる、と」
ルキウスは、しばらく彼女を見つめた。冷えた指先の奥で、それでも、かすかに何かが震えていた。
「……お前は」
言いかけて、彼は口をつぐんだ。その続きをノエリアは聞かなかった。まだ。新月の夜が越えられたら、そのときに。
仕掛けというものは、一つ外しただけでは意味がございませんの。十のうち九つ抜いても、一つ残れば、石はその一つに向かって鳴き続けますもの。……敵の丁寧なお仕事ぶりには、いっそ感心いたしますわ。
湯の入った碗というのは、よく効きますのね。独りだった頃は、誰も差し出してはくださいませんでしたもの。
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