第44話:畳まれた市、灯りの戻った下町
ガレオンの市は、畳まれた。
量産工房は封じられ、染め硝子の海は、王命によって差し押さえられた。偽石の街の露店は、次々と店を閉じ、かわりに正直な細工師たちが、少しずつ戻ってきた。
借金で縛られていた職人たちは、押収された帳簿の中から、自分たちの証文が見つかり、無効を宣された。首の縄が外れたのだ。
「御用鑑定人さま!」
下町の広場でノエリアは幾人もの職人に囲まれた。火の前で虚ろな目をしていた男たちが、今は目に光を取り戻していた。
「うちの倅の婚礼の指輪。今度こそ、本物を俺の手で彫らせてもらいます」
「ばあさんの喪石も、ちゃんとした黒瑪瑙で。艶を殺して、心を込めて」
「ええ。ええ。——楽しみにしておりますわ」
ノエリアはひとりひとりに頷いた。
*
「ノエリアさま、見てくださいっ」
ミルカが袖を引いた。指さす先、下町の四つ辻に銅貨五枚の鑑定の机が、今日も出ている。けれど、列に並ぶ人の顔つきが、以前とは違った。
偽物を摑まされて青ざめてやってくる人ではなく、「本物を買ったから、お墨付きが欲しい」と、誇らしげに石を持ってくる人が、増えていた。
「みんな笑ってます。偽物がなくなったから」
「ええ、ミルカ」
ノエリアは見習いの頭にそっと手を置いた。
「あなたの配った鑑定書が、この街の灯りを本物に戻しましたのよ。銅貨五枚が王都の嘘を一枚ずつ、剝がしましたの」
「あたし、なんにもしてません。ただ、机を並べて、番号札を配って……ご挨拶しただけで」
「それがいちばん大切なお仕事でしたわ」
ミルカの目がうるんだ。ノエリアは笑って、その頭を撫でた。番号札を配る手が、王都の下町をひとつ明るくしたのだ。
*
けれど、その明るい広場の只中で、ノエリアの胸には、ひとつ、消えぬ翳りがあった。
「……会頭さんはお咎めなし、ですのね」
その夜、工房でルキウスが報せを持ち帰った。
ガレオン商会は、業務停止。信用は失墜した。けれど、会頭ドラート本人は——罪に問われなかった。
「『金庫は預かっていただけ』で、押し通した。すり替えの帳簿も、『自分は運び屋にすぎず、指示はもっと上から来た』と。背後の力があの男を庇っている。庶民への偽物商売も、『部下が勝手に』で逃げた。……本人の収監は、ならなかった」
「悪の頭は泳ぐ、と」
ノエリアは静かに拳を握った。
「庶民は救えましたわ。流通網も止めました。真作も三つ目を取り返した。……けれど、いちばん罪に問われるべき男が、背後に守られて、のうのうと。——これが宮廷の壁ですのね」
「悔しいか」
「ええ。とても」
彼女は正直に頷いた。けれど、その眼は折れてはいなかった。
「でしたら、背後の力ごと崩すしかございませんわ。会頭さんを守っている、その手の主を暴くしか。——押収した帳簿の上納の宛名。あそこに答えがございますもの」
*
その帰り道。
人通りの絶えた下町の路地で、ノエリアはふと足を止めた。
物陰に外套の影。フードを目深にかぶった、小柄な人影が、こちらを見ていた。護衛が身構えるより早く、その影は震える声で囁いた。
「……姉さま」
ノエリアの息が止まった。
「ペルラ」
妹だった。痩せて、頬がこけて、けれど、確かにペルラだった。手紙をくれた、あの妹。近づこうとするとペルラは怯えたように一歩下がった。
「近づかないで。……見られたら、あたしも、姉さまも、危ないから。ひとつだけ言いに来たの」
彼女はフードの陰から、必死の目で姉を見つめた。
「まだ終わってない。会頭は逃げただけ。……あの人は追い詰められたら、なりふり構わない。次は姉さまじゃなくて——姉さまの、いちばん大事な人を狙うつもりよ。あの、公爵さまの『心臓』を」
言うだけ言うとペルラは身を翻した。
「ペルラ、待って——!」
ノエリアの手が届く前に妹の影は路地の闇に溶けて消えた。あとには白い花の香りだけが、かすかに残っていた。手紙の封に貼られていた、乾いた白い花と同じ香りが。
ミルカが銅貨五枚の鑑定書を何百枚配ったか、ご存じ? わたくしも数えておりませんの。ただ、一枚配るごとに嘘が一枚ずつ剝がれていったことだけは、確かですわ。積もるものを、侮ってはなりませんわ。
罪に問われる者と、問われない者。その線を引いているのは法ではなく、背後にいらっしゃる方の高さですのね。……ええ、承知しておりますとも。ですから、高さのほうを崩しますわ。
次回、穏やかな灯りの夜は長く続きませんの。今夜のうちに【ブックマーク】と【☆評価】を。




