第43話:金庫の扉は、黙って開いた
三つ目の錠が落ちると、金庫の扉は、拍子抜けするほど、静かに開いた。
嘘の海のいちばん奥。偽物を吐き出す工房の、いちばん暗い部屋。その金庫の腹の中に——本物が、あった。
天鵞絨を敷いた棚に古い宝石が、幾つも。どれもまばたきをする、角度で翳る、芯のある光。染め硝子の海の只中で、それだけが、生きていた。
ノエリアはそっと膝をついた。そして、いつものように石に挨拶をした。二十年、暗闇に囲われていた石たちへ、ひとつずつ。
「ごきげんよう。……長いこと暗いところでお待たせいたしましたわね」
石が、答えるはずもない。けれど、白手袋の指先に触れた古石たちの気配は、確かに安堵に似て、緩んだ気がした。
*
「これが、三つ目ですわね」
棚のいちばん手前。深い、青い石。ノエリアは、それを両手で包み、来歴を視た。
昼の青玉。七耀の大宝冠、第三席。二十年前まで王国の象徴を飾っていた真作。すり替えられ、大陸を流れ、川沿いの質屋の隅で埃をかぶり、そして、この暗い金庫へ。
「四十八面のカット、二十年前の様式。裾の面取り、爪跡は三つ。——間違いございませんわ。第三席の本物ですの」
彼女は、検分官に向き直った。
「王家ゆかりの真作の、私人による不正な保有。王命に基づき、押収いたしますわ。——そして、この金庫には、ほかにも」
棚の石を一つずつ、検める。散逸した大宝冠の真作ではないものも、混じっていた。けれど、そのどれもが、来歴を辿れば、宮廷の宝物庫や、名家の蔵から、二十年の間に「消えた」ことになっている品ばかり。
「盗品ではございませんわ。もっとたちが悪うございますの。——どれも、公には『まだあるべき場所にある』ことになっている石ですわ。すり替えられ、本物だけがここへ」
嘘の証拠が、金庫の中に行儀よく並んでいた。偽物を売る男が、後生大事に隠していた、本物という名の動かぬ物証が。
*
棚のいちばん下に革表紙の帳簿が、数冊。
ベンノが引き出して開くと、そこには、すり替えの記録が、几帳面な字で連なっていた。どの石をいつ、どの合成石とすり替え、いくらでどこへ流したか。二十年分の嘘の目録。
「……こいつは」
ベンノの声が、掠れた。
「二十年前の大修復の、下請けの割り振りだ。俺が、断った仕事の。あのとき、なんで断ったのか——虫が知らせたんだ。修復の名目で本物と偽物をまるごと入れ替える算段だって。俺はそこまでは、視抜けなかった。だが、あんたの母上は」
「母は、視抜きましたのね」
ノエリアは帳簿の一頁に指を置いた。
几帳面な字の並びの、いちばん奥。月ごとの決まった額の「上納」の記録。宛名は、伏せられ、崩れた印だけが押されている。宮廷の宝物を扱う筋の格式の印。
(……ここに金庫の本当の主が)
彼女はその印をじっと見つめた。まだ名は読めない。けれど、輪郭はいよいよ濃く。会頭のさらに背後。宮廷の高い席。母を雨の夜に呑んだその手の主が。
「この帳簿は、しばらく預からせていただきますわ」
彼女は静かに帳簿を閉じた。急いてはいけない。この上納の印を読み解くのは、母の真相そのものへ手を掛けること。焦れば、また誰かが突き落とされる。
*
押収した真作と帳簿を検分官に託し、目録に封蝋を落とす。とろり、ぽたり。二十年ぶりに本物が、正式な光の下へ戻る音だった。
「会頭さんは?」
ミルカが、あたりを見回した。あれほど大きな商会の主が、どこにも、いない。
「逃げましたわ」
ルキウスが、低く言った。護衛が調べた報告を手にしている。
「臨検の少し前に館を出た。行き先は——王宮筋だ。自分を守れる、高いところへ庇護を求めに走った。金庫は失っても、身は、まだ背後に守られるつもりでいる」
「……ええ、でしょうね」
ノエリアは、押収された昼の青玉を、そっと見つめた。
「金庫の中身は、取り返しましたわ。流通網の心臓も、押さえました。けれど、会頭さん本人はまだ泳いでおりますの。背後の力に守られて。——ざまぁはまだ半分ですわ」
彼女は、顔を上げた。眼の奥に、消えない火。
「けれど、半分は半分ですのよ。庶民の偽石は、これで止まりますわ。まずはそれを喜びましょう」
盗まれた石なら、無くなったと誰かが気づきますの。すり替えられた石は、誰も気づきませんわ。公には「まだそこにある」ことになっておりますもの。……いちばん恐ろしい嘘は、穴を開けずに、中身だけを入れ替えてゆく嘘ですのよ。
それにしても、ごきげんようと申し上げるのに二十年もかかってしまいましたわ。暗いところでお待たせした石たちに、申し訳ないこと。
次回、灯りの戻った街でお会いしましょう。【ブックマーク】と【☆評価】を。




