第42話:倉庫街の、染め硝子の海
東の倉庫街は夜でも、赤く灯っていた。
窯の火だ。いくつもの煙突から、硫黄くさい煙が上がっている。ノエリアが王命の羊皮紙を掲げ、王宮の検分官と商会の護衛を従えて門を潜ると、そこには——嘘の海があった。
棚という棚に染め硝子の粒が、山と積まれていた。婚礼の指輪の石。祝いの根付。弔いの喪石。どれも型で抜かれ、均一に光り、まばたきをしない。何百、何千という偽物が、王都じゅうの人生の節目へ、流れ出るのを待っている。
「……これが偽石の街の源ですのね」
ノエリアは、一粒を摘まみ上げた。挨拶はしなかった。これは石ではない。石の、亡骸ですらない。石の、ふりをした、ただの型の産物だ。
*
工房の奥では、大勢の職人が、火の前で働いていた。
みな、痩せて、目が虚ろだった。ノエリアたちの姿を認めても、逃げようとも、隠れようともしない。ただ、機械のように型に硝子を流し続けている。
「あんた方は、逃げないんですのね」
ノエリアが問うといちばん年かさの職人が、力なく答えた。
「逃げられねえんですよ、御用鑑定人さま。みんな会頭さんに借金で縛られてる。証文を握られてる限り、家族もろとも、どこにも行けねえ。……本当はみんなまともな石を彫りたかった。指輪も、根付も、心を込めて。それがいつの間にか、こんな」
職人の手が、震えていた。硝子を流す、その手が。ノエリアはしばらくその手を見ていた。
「……あなた方の証文は、押収した帳簿の中にございますわね」
「へえ。全部、会頭さんの手元に」
「でしたら、今宵、それも取り返しますわ」
彼女の声が、窯の音を越えて工房の隅まで通った。
「借金で縛られて彫らされた偽物と、心を込めて彫る本物。——どちらがあなた方の本当の仕事か。証文さえ消えれば、あなた方はまた、まともな細工師に戻れますのよ」
虚ろだった職人たちの目に、ほんの少し光が戻った。
*
「お嬢! こっちだ!」
工房の最奥から、ベンノの声が飛んだ。
駆けつけると鉄の扉の前にベンノが立っていた。妹の手紙にあった、鍵のかかった部屋。その扉が——半分、開いていた。
「たった今まで誰かがいた。灯りがまだ温けえ。中の物を運び出そうとしてやがったんだ」
部屋の中は、荒らされていた。空の木箱がいくつも転がり、藁が散らばっている。何かを慌てて詰めて、持ち去ろうとした跡。
「ドラート……!」
ルキウスが、低く唸った。臨検を嗅ぎつけて、会頭は、金庫の中身を逃がしにかかっている。
「間に合いませんでしたの?」
ミルカが青ざめた。
「いいえ」
ノエリアは、部屋の奥に据えられた、巨大な鉄の金庫を見つめた。あまりに重く、あまりに大きく——慌てて運び出すには、大きすぎる金庫。
「本命はあそこですわ。木箱で運べる程度のものは、囮。いちばん重くて、いちばん動かせないものの中にこそ、いちばん動かしたくないものが入っておりますの。——会頭さんは囮を運ぶのに手間取って、本命を置いていくしかなかったのですわ」
金庫は黙って、そこにあった。二十年分の嘘を腹の中に抱えて。
*
「錠は三つ。鍵は、会頭さんが持って逃げましたわね」
ノエリアは金庫の前に膝をつき、白手袋の指で錠前に触れた。鍵はない。けれど、彼女には鍵は要らなかった。
「ベンノ。この錠は、二十年ものの古い細工ですわ。作った職人の癖が、視えますの。——爪の、掛かる位置を申し上げます。あなたの腕なら、開けられましてよ」
「……お嬢。あんた、錠前の来歴まで視るのかよ」
ベンノが、呆れたように笑って、道具袋を広げた。
石の来歴を視る眼は、金庫の錠前の細工師の癖も視る。作られたものには、必ず作った者の手が残る。嘘をつけないのは、石だけではない。
カチリ、と。
最初の錠が落ちた。
「二つ目、三つ目も参りますわ」
ノエリアの声は、静かだった。けれど、その眼の奥では二十年分の暗闇が、いままさに光の下へ引きずり出されようとしていた。
錠前にも、彫った職人の癖がございますのよ。爪の掛かる位置、噛み合わせの深さ。二十年前の細工なら、当時の道具の跡まで残りますわ。……鍵より癖のほうが確かなことも、ございますの。
慌てて逃げるとき、人は軽いものから抱えますのね。いちばん重くて動かせないもの——本当に隠したかったものが、いつも置き去りになりますわ。
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