第40話:金庫の中の、三つ目の光
工房の奥の一室に集めた物証が、卓の上に並んだ。
葬儀組合の帳面。妹の、震える字の手紙。川沿いの質屋の封蝋の押し型。そして、会頭の茶会でノエリアが書き留めた、白磁の碗の来歴。四つの別々の場所から拾ってきた欠片が、一つの絵を描きはじめていた。
「順に繫ぎますわ」
ノエリアは、白手袋の指で帳面の一行を差した。
「葬儀組合の卸元は、東の倉庫街。妹の手紙が言う、鍵のかかった部屋も、東の倉庫街。三つ目の真作を買い戻した使いの荷馬車の轍も、東へ。——三つの矢印が、すべて、同じ一点を指しておりますの」
彼女は、地図の上に指を落とした。東の倉庫街のいちばん奥。量産工房のその裏手。
「ここに金庫がございますわ。染め硝子を吐き出す工房の、いちばん暗い部屋に。偽物を造る場所の奥に、本物が、飼い殺しにされておりますの。——三つ目の刻の色、『昼の青玉』も今ごろ、そこに」
ベンノが、地図を睨んで唸った。
「押収するには王命がいるぜ、お嬢。倉庫街は、ガレオンの私有地だ。御用鑑定人の権限でも、勝手には踏み込めねえ」
「ええ。ですから、王命を取りに参りますわ」
ノエリアは、顔を上げた。
「散逸した大宝冠の真作が、私人の金庫に囲われている。これは王家の宝の不正な流出。——立派な王宮の一大事ですわ。証拠は、揃っておりますもの。次はこの四つの欠片を王命という一本の矢に、束ねますの」
*
その夜。
ノエリアが鑑定室で証拠を整えていると、ルキウスが、灯りを持って入ってきた。根治調査の資料の束を抱えて。
黒曜の心臓の来歴。五十年前、先代が家を守る代償に結んだ、契約の原点。年単位の調査は、遅々としながらも、確かに進んでいた。ひと月にひとつ、契約の鎖の環が、外れていく。
「今月の分だ」
彼は、資料を卓に置いた。そして——ためらいがちに、彼女の手元の証拠に、指を伸ばした。散らばった紙を揃えるために。
その指先が、ノエリアの手に触れた。
(……あら)
冷たく、なかった。
いつもの氷のような冷たさが、ない。ほんのわずかに。けれど確かにその指先には温度が戻っていた。根治調査が進んだぶんだけ。契約の鎖が、緩んだぶんだけ。
「ルキウス様。……お手が」
「ああ」
彼も、気づいていた。自分の指先を少しの間、見つめて、それから、言った。
「——お前が来てからだ」
あの炉端の夜と同じ言葉。けれど、あのときは、氷のように冷たい指先で言われた。今夜は、ほんのりと温かい指先で。
ノエリアは、胸の内の封蝋が、大きく軋むのを感じた。けれど、それを開けはしなかった。まだ。彼の心が、完全に彼のものに戻るまでは。
「……治療は、進んでおりますのね」
「お前の眼が環をひとつずつ、外している」
彼は、それだけ言うと手を引いた。名残を惜しむようにほんの一瞬、遅れて。
*
二人が証拠を束ね終えたとき、ノエリアが、帳面の最後の頁に目を留めた。
葬儀組合の仕入れの記録。その、いちばん下。卸元への支払いとは別に、月に一度、決まった額が、どこかへ「上納」されている記録があった。宛名は、伏せられている。ただ、頭文字めいた、崩れた印だけが。
「……公爵様。これを」
ルキウスが、覗き込んだ。彼の顔がわずかに硬くなった。
「宮廷の格式の印だ。……宝物を扱う筋の」
「会頭さんは、『預かっているだけ』とおっしゃいましたわ。『預け主は、高いところ』とも。——この上納の先に金庫の本当の主がおりますのね」
ノエリアは、その崩れた印をじっと見つめた。まだ名は視えない。顔も、視えない。けれど、輪郭は確かに濃くなっていた。会頭のさらに背後。宮廷の宝物を管理する、高い席。
母のノートの途切れた走り書きが、その席のすぐ隣で続きを待っている気がした。
「……ここから先は今宵、追う糸ではございませんわ」
彼女は静かに帳面を閉じた。
「まずは目の前の一手。三つ目の石を取り返しますの。金庫を開けば、真作が出る。真作が出れば、すり替えの証拠になる。証拠が積めば、その先の高い席にもいつか、手が届きますわ」
*
窓の外、東の空に倉庫街の灯りが遠く、にじんでいた。
あそこに三つ目の真作がある。妹が、命がけで教えてくれた、金庫がある。偽物を造る場所のいちばん暗い奥で本物が、暗闇に囲われて、光っている。
「お母様」
ノエリアは、母のノートの帙をそっと胸に抱いた。
(あなたが、二十年前に渡りかけた橋を、今度は娘が渡りますわ。独りでは、ございませんの。工房があり、職人がいて、計測の友がいて、妹の手紙があり——そして、温かくなりはじめた指先で、隣に立つ、この方が)
彼女は、白手袋をぱちりと嵌め直した。
「守勢はこれにて仕舞いですわ、公爵様」
顔を上げた眼に、灯りより硬い決意の光。
「三つ目の石を取り返しに参りますわ。——会頭さんの金庫をこじ開けて」
【第4章・偽石の街 完】
第4章「偽石の街」、これにて締めでございますわ。ここまでお付き合いくださいまして、ありがとう存じます。
帳面、手紙、蝋型、白磁の碗。——どれも一つきりなら、いくらでも言い逃れのできる程度のものですわ。けれど四つが同じ一点を指してしまえば、もう逃げ道はございませんの。鑑定人の仕事の半分は、拾うことではなく、束ねることですわ。
それから、指先のこと。同じ一言でも、温度が違えばもう別の言葉ですのね。……封蝋は、まだ開けませんけれど。
次回より第5章。金庫をこじ開けに参りますわ。とくとご覧あそばせ。【ブックマーク】と【☆☆☆☆☆評価】を。




