第37話:三つ目の石は、質屋の隅で埃をかぶって
噂の質屋は、下町の外れ、川沿いの湿った路地にあった。
ノエリアが護衛を連れて駆けつけたとき、店先には、ちょうど一台の荷馬車が停まっていた。装飾のない地味な黒塗り。けれど、車輪の泥の跳ね方にノエリアの眼は覚えがあった。ガレオンの量産工房へ通う荷馬車と、同じ轍だ。
「——お待ちくださいまし」
声をかけたときには、遅かった。
店から出てきた、痩せた使いの男が、小さな革袋を懐に押し込むところだった。男はノエリアの紺の外套を一瞥すると、慇懃にけれど冷たく、頭を下げた。
「これは、御用鑑定人さま。生憎、うちはもう、商いを済ませましたので」
そう言って、荷馬車に乗り込む。扉が閉まる、その一瞬。
男の懐の革袋の口から、青い光がこぼれた。
ノエリアの眼が、それを捉えた。ほんのまばたきの間。けれど、鑑定士の眼には十分すぎた。
(——昼の青玉)
角度で翳る、芯のある、深い青。まばたきをする、本物の光。二十年前まで七耀の大宝冠の第三席を飾っていた、真作。
それが痩せた男の懐で荷馬車の闇へと運び去られていく。
「……行っておしまいになりましたわね」
荷馬車の車輪が、泥を撥ねて遠ざかった。追う術はなかった。あの石は正当に金貨で買われたのだ。会頭の使いが、合法的に。
*
店の主は、しきりに手を揉んで恐縮していた。
「申し訳ございません、御用鑑定人さま。ついさっき、いい値で買っていってくださって。うちみたいな小店に金貨を三十枚も。ありがたくて、つい」
「主さん。あなたを責めてはおりませんわ」
ノエリアは、店の奥に招かれ、控えの帳面を検めた。
「その青い石、どちらから、質に?」
「それが半年ほど前に旅の行商人が。『名は分からんが、古い石だ』と、二束三文で置いていったきり、流れちまったもんで。うちの隅でずっと埃をかぶってました。……まさか、あんなに立派なものだったとは」
「控えに石の写しは?」
「へえ、これを」
主が差し出したのは、質草を受けたときに取る、封蝋の押し型だった。石を蝋に押しつけて、形を写しておく、質屋の習わし。
ノエリアは、その蝋型に白手袋の指を這わせた。
「……カットの四十八面。裾の面取りの角度。台座を嵌めていた爪の跡が、三つ。——間違いございませんわ。これは、二十年前の様式で研磨された、王家ゆかりの石。市井に流れてよい石では、決してございませんの」
蝋型ひとつ。それだけで彼女は逃した石の来歴を書き取ることができた。
*
工房への帰り道、荷馬車の轍をノエリアは黙って眺めていた。
東へ。東の倉庫街へと轍は続いていた。あの青玉は、これから、会頭の金庫に囲われる。妹の言った、鍵のかかった部屋の、金庫に。燃やされず、売られず、ただ「証拠」として、暗闇に飼い殺しにされる。
「悔しいか」
馬車の中、向かいに座ったルキウスが、静かに問うた。
「ええ。悔しゅうございますわ」
ノエリアは、正直に頷いた。
「けれど、無駄足ではございませんでしたの。——三つ目の真作が、確かにこの世に在ること。そして、それが今、会頭さんの金庫へ運ばれていくこと。この二つをこの眼で見届けましたもの」
彼女は母のノートの帙をそっと撫でた。
「散逸した七つの真作。一つ目の在処は、まだ知れず。二つ目はうちの工房に。そして三つ目は——これから、敵の金庫に集まりますのよ、公爵様」
「集まる?」
「ええ。会頭さんは、こぼれた真作を必死に金庫へ回収しておりますわ。つまり、あの金庫は散逸石の集積所ですの。あの方が本物を隠せば隠すほど、真作は、一つ所に集まっていく」
ノエリアの唇に静かな笑みが浮かんだ。
「敵が、証拠を律儀に一箇所へ寄せてくださっている。——これほど、ありがたい話がございまして?」
*
ルキウスがふ、と口角を上げた。呪いに喰われて久しい、その表情が近ごろ、少しずつ素の形を取り戻しつつある。
「……お前は、逃した石を惜しむふりをして、敵の金庫を下見してきたわけか」
「あら。青い石が荷馬車の闇に消えていくのを、ただ見送っていたとお思いでしたの?」
ノエリアは扇をぱちりと開いた。
「鑑定士はまばたきの間に来歴を読みますのよ。——次は金庫ごと視てさしあげますわ」
窓の外、東の空に荷馬車の轍がまっすぐ続いていた。追いかけるべき道の形を、敵が、自分で描いてくれていた。
質屋は質草を受けるとき、石を蝋に押しつけて形を写しておきますの。流れてしまえば、手元には何も残りませんもの。……その几帳面なひと手間のおかげで、逃した石の来歴が書き取れましたわ。丁寧な商いは、巡り巡って誰かを助けますのね。
金貨三十枚、ですって。あの小店には大金でも、大宝冠の一席にはまるで届きませんのよ。買い叩かれたことにすら、誰も気づいておりませんわ。
次回は公開の場で決着を。傍聴席は、広いほうが強うございますの。【ブックマーク】と【☆評価】で、お並びくださいまし。




