第28話:ペルラの空席
その報せは出入りの小間物屋が、運んできた。
「グランツ商会の妹さん……ペルラお嬢さんが、屋敷から、いなくなったそうで」
試験の日から、三月が経っていた。
聞けば、ペルラは商会の崩壊以来、ずっと部屋に籠もっていた、という。社交界は彼女を「硝子の詐欺師」と呼び、かつて彼女の光に熱狂した者ほど、声高に石を投げた。セドリックとの婚約は、正式に解消。父オズワルトは商会の残骸を抱えて駆け回り、娘を顧みる余裕など、なかった。
そして五日前の朝、部屋は空になっていた。書き置きはひとつ。「探さないでください」。
「……足取りは」
「分からんそうです。ただ、妙な噂がありましてね。失踪の前の晩、商会の裏口に——ガレオンの馬車が、停まってたって」
ノエリアの背筋を冷たいものが走った。
*
壊れた道具を見る、目。
試験の日、ドラートが割れた札に向けた、あの目を思い出す。あの男は壊れた道具を捨てる男だ。けれど——使い道が残っていれば、別だ。
グランツ商会への融資。借金。妹は商会の「提携」の、生きた担保でも、ある。
「ルキウス様。お願いがございますの」
気づけば、執務室の扉を叩いていた。
「ペルラの行方を。……商会の網で追っていただけませんこと。費用はわたくしのお給金から」
ルキウスは書類から顔を上げ、しばらく彼女を見た。
「——妹君は、お前を追い落とした側だぞ。三年、嗤い続けた側だ」
「ええ」
「それでも、か」
「それでも、ですの」
ノエリアは、自分でも整理のつかないものを、整理のつかないまま、言葉にした。
「あの子の光は、借り物でしたわ。けれど……借り物に縋らなければならないほどの場所に、あの子を追い込んだものが、何だったのか。わたくし、この三月、ずっと考えておりましたの。母が死んで父が変わって、商会が傾いて——わたくしは石に逃げ込めましたけれど、あの子には逃げ込む石もありませんでしたわ」
「…………」
「姉としては落第ですわね。妹の手が借り物の光に伸びる前に、気づいてやれませんでしたもの。……ですから、これは罪滅ぼしでは、なくて。落第した鑑定のやり直し、ですの」
ルキウスはペンを置いた。
「……費用は商会持ちだ。お前の給金からは、引かん」
「ですが」
「ガレオンの絡む案件は、すべて商会の本案件だ。——それに」
彼は視線を書類に戻しながら、なんでもないことのように、言った。
「お前の家族の問題は、もうお前ひとりの問題では、ない。……うちの至宝の曇りは、商会の損失なのでな」
*
手がかりは十日後に思わぬ形で届いた。
一通の手紙が、夜天商会の門番に託されたのだ。宛名は「姉さまへ」。消印はなく、託したのは顔を隠した辻馬車の御者だった、という。
ノエリアは自室で封を切った。
ペルラの字だった。巻き毛のように丸い、子どもの頃から変わらない、字。
——姉さまへ。
——ごめんなさいを言える立場じゃないことは、分かっています。だから、これは謝罪じゃなくて、警告です。
——会頭が、わたしに「新しい仕事」をさせようとしています。詳しくは書けない。でも、姉さまに関わることです。あの人は姉さまの「眼」を潰すか、買うか、どちらかしかないと言っていました。
——わたしは逃げました。あの人の道具には、もう戻りません。でも遠くへは、行けない。お金を借りている家の娘は、王国のどこにいても、あの人の帳簿の中だから。
——姉さま。あの夜会の日、わたしが言った言葉、覚えていますか。「姉さまの石は、いつも黙ったまま」って。
——……ほんとうは、ずっとうらやましかった。黙っている石の声が聞こえる姉さまが。わたしにはどんなに翳しても、何も、聞こえなかったから。
——どうか、気をつけて。あの人は、母さまの話をするとき、笑っていませんでした。
——ペルラ
ノエリアは手紙を膝に置いて、長いこと窓の外の宵闇を見ていた。
それから、便箋の最後の一文にもう一度、目を落とした。
——あの人は、母さまの話をするとき、笑っていませんでした。
(……ペルラ。あなた、何かを見たのね)
壊れた道具と呼ばれた妹は、壊れる前に敵の懐のいちばん深いところに、いたのだ。三年間。誰よりも近くに。
その夜、ノエリアは妹の手紙を、母のノートの隣に仕舞った。
空いた妹の席が——いつか、証人の席になる日まで。
妹の席は空きましたが、手紙がひとつ、届きましたわ。
「黙っている石の声が聞こえる姉さまが、うらやましかった」——三年分の本音ですの。次回は王立宝飾品評会の夜。気づいてはいけないことに気づいてしまいますわ。品評会の招待状代わりに、【ブックマーク】と【☆評価】を。




