第26話:没落男爵家の、緑の星
最初の釣果は、思いがけない網にかかった。
「東部のハルツ男爵家が、家財の売立てをする。目録に『大粒の翠玉、来歴不詳』とある。——十五年前に先代男爵が『南方の商人』から買ったものだ、そうだ」
ルキウスが差し出した売立て目録の写しに、ノエリアは目を走らせた。大きさ、色味の記述、無処理。
(……木陰の翠玉。あなた、かもしれませんわ)
ハルツ男爵領までは、馬車で二日。買付の名目でふたりは東へ向かった。
*
男爵邸は、屋敷というより屋敷の名残だった。
庭は荒れ、家具の半分にはもう、売約の札。出迎えた当代男爵は、まだ二十歳そこそこの青年で、着古した上着の肘が、薄くなっていた。
「父が亡くなりまして。……恥ずかしながら、残ったのは借金ばかりで。家財を手放して、領地の立て直しに充てます」
「ご立派なご決断ですわ」
応接間の卓にそれは、運ばれてきた。
古い天鵞絨の台座の上、大粒の翠玉。
挨拶をして、白手袋。ルーペを覗いた瞬間——ノエリアは、息を呑んだ。
深い、深い緑。芯に灯りを溜めて、角度で翳り、覗き込む彼女の動きに合わせて、ためらいがちに瞬く。
(……まばたきをなさるのね)
本物だ。それもただの本物ではない。石の奥に儀式の灯りの記憶が、幾重にも、沈んでいる。聖堂の蝋燭。聖歌。——王冠の重み。
「公爵様」
声がわずかに揺れた。
「この子……木陰の翠玉ですわ。七耀の第四席」
二十年、田舎の屋敷で息を潜めていた。王の頭上に載るはずだった石が、借金の形に売られようとしている。
ルキウスは、表情を変えずに頷いた。商談の顔のまま、男爵に向き直る。
「男爵。この石を夜天商会が買い取ろう。——だがその前にひとつ伺いたい。先代がこれをどこから買ったか。記録は残っているか」
青年男爵は、戸惑いながら、父の古い帳面を持ってきた。十五年前の頁。几帳面な字でこうあった。
——南方より来たれる商人ガレオより、翠玉一点。金貨八百。「決して表の市場に出さぬこと」を条件に、相場の半値。
「ガレオ……偽名でしょうな。父は掘り出し物だと喜んでおりましたが、晩年は妙なことを言っておりました。『あの石はわしのような田舎者が持っていてはいけない石だ』と。……手放すよう、誰かに言われていた節も、あります」
「誰か、とは」
「分かりません。ただ、去年あたりから、二度ほど。『翠玉だけは早く売れ、高く買う』という手紙が、来ておりました。差出人のない手紙が」
ノエリアとルキウスは、目を見合わせた。
(敵も、回収を始めておりますのね。——替え玉の在庫が競売で潰れて、慌てて)
「男爵。商談を申し上げる」
ルキウスの声は、静かだった。
「この翠玉、相場の倍で買おう。条件はふたつ。第一に売却の事実を当面、誰にも明かさないこと。第二に——差出人のない手紙が今後も来たら、すべて、うちへ回すこと」
青年は目を白黒させた。
「ば、倍……ですが、なぜそこまで」
「掘り出し物だからだ」
商人の顔は、嘘をついていなかった。本物の値打ちを思えば、倍でも、まだ安い。
*
帰りの馬車の中で翠玉は、ノエリアの膝の上の小箱に、収まっていた。
「七分の一、ですわ」
布越しにそっと撫でる。二十年、田舎の屋敷で身を潜めていた、王冠の第四席。
「お帰りなさいませ、とはまだ申し上げられませんけれど。……いつか必ず、お仲間の六人と元のお席へ」
「礼を言うのはまだ早いがな」
ルキウスが、窓の外を見たまま、言った。
「気になることがひとつ、ある。男爵への手紙——『高く買う』と、きた。敵は真作の回収に金を惜しんでいない。在庫の処分なら、燃やせば済む。なぜ、買い戻す」
「……燃やせない理由が、ある?」
「あるいは、使い道がな」
馬車は夕暮れの街道を西へ。
王都に戻ったふたりを待っていたのは、ミルカの困り顔と鑑定室の前に積み上がった、見慣れない安物の宝飾箱の、山だった。
「ノエリアさまあ……あの、市場のおかみさんたちが、列を……。なんでも、『近ごろ買った指輪が、怪しい』って相談が、どっと……」
真作、一点目。「木陰の翠玉」を保護いたしましたわ。
敵は真作を燃やさず、買い戻そうとしている——なぜ、でしょうね。そして王都では、安物の指輪の相談が列をなしております。次回「安すぎる輝き」。値打ちをつけるのがわたくしの仕事。この物語の値打ちは、【ブックマーク】と【☆評価】でつけてくださいまし。




