第23話:宝物庫の鍵
王室宝物庫は王宮の地下にあった。
三重の扉。三人の鍵役。最後の扉の前で待っていたのは、枯れ木のように痩せた、老人だった。
「宮廷宝物管理官、モルガナと申します」
慇懃な乾いた声だった。豪奢な官服に肉の薄い顔。目だけが油断なく、光っている。
「御用鑑定人どのの検分とあらば、是非もなし。……ですが、申し上げておきますぞ。この宝物庫の品は、すべて、わたくしが四十年、帳簿と照らして守ってきたもの。一点の狂いもございません」
「まあ、心強いこと。では検分もさぞ早く、終わりますわね」
にっこり返すと老人の目がすっと細くなった。
扉が開く。
冷えた、乾いた、石と金の匂い。燭台の灯が届く限り、棚、棚、棚。王国三百年の宝物が、天鵞絨の闇の中に並んでいた。
「……これは壮観だな」
記録係の装いをしたルキウスが、低く、言った。商人の声にわずかな職業的興奮が、滲んでいる。
「検分の手順を申し上げますわ。入り口の棚から、帳簿の順に一点ずつ。——焦りは検分の敵ですの」
最奥の格納庫——大宝冠の眠る場所——へ一直線に向かいたい気持ちを、ノエリアは丁寧に折り畳んで、胸の奥に仕舞った。
モルガナ卿の目が、ずっとこちらの背中に張りついている。最奥へ急げば、何を疑っているかを教えるようなものだ。
*
検分は十日に及んだ。
王笏。儀礼剣。歴代王妃の宝飾。ノエリアは一点ずつ挨拶をし、白手袋で検め、所見を記した。九割九分は帳簿の通りの本物だった。さすがに王室の宝物庫である。
ただ——三点。
小ぶりな宝飾品が三点、ごく精巧な複製にすり替わっていた。年代から見て、すり替えは、二十年から十五年前。
ノエリアはその三点の所見をあえて、書かなかった。代わりに、頭の中の帳面に、刻む。
(小物で腕試しをなさいましたのね。……大物の前に)
手口が、視えてくる。複製を作り、本物と入れ替え、帳簿は無傷。できるのは、帳簿と現物の両方に触れられる者だけ。
四十年、一点の狂いもなく守ってきた、と言った老人の声が、耳の奥で乾いた音を立てた。
*
検分の合間の休憩室で、モルガナ卿はよく、喋った。
「御用鑑定人どのは、お母上も鑑定がご本職だったとか」
「……ええ。よく、ご存じで」
「いやなに、二十年前の大修復の折に、な。グランツ商会の女鑑定士どのが、それはそれは熱心に修復の検品をしたいと、申し出てこられた。お断りしましたがな。王室の宝物に商会の手は触れさせられん」
ぱさり、と、帳簿をめくる音。
「事故で亡くなられたと聞いたときは、お気の毒に思いましたよ。……熱心すぎる方は得てして、足元が留守になる」
ノエリアは、手元の検分を止めなかった。止めたら、何かがこぼれそうだった。
「——まあ。母が検品を」
「ええ、ええ。しつこいほどに」
「管理官さまは、よく覚えていらっしゃいますのね。二十年前の一介の商会鑑定士のことを」
帳簿をめくる音が、一瞬、止まった。
「……職務柄、記憶力はよいほうでして、な」
「ご立派ですわ」
それきり、老人は母の話をしなくなった。
——けれど、ノエリアは、鑑定し終えていた。この老人が母の名を二十年覚えているという、その一点を。脛に傷を持たぬ者は、断った相手の名など、覚えていない。
*
その夜。商会に戻った馬車の中で、ノエリアは詰めていた息を、ようやく吐いた。
「……母は大修復に近づこうとして、断られていましたのね。ノートに書かれていなかったことが、ひとつ、埋まりましたわ」
「ああ。そして管理官は二十年経った今も、その名を覚えている。——脛に傷持つ者の記憶力だ」
ルキウスは、検分記録の写しを膝に置いた。
「明日で検分は最奥に届く。……大宝冠だ。ノエリア、ひとつ、約束しろ」
「何でしょう」
「何を視ても、あの場では顔に出すな。お前の眼はお前が思うより正直だ」
「あら。鑑定士に向かって」
「鑑定士にではない」
彼は窓の外を見たまま、言った。
「……雨の夜に拾った相手に、だ。あの夜と同じ顔をあの地下でさせる気はない」
ノエリアは、二の句が、継げなくなった。
馬車の車輪の音だけが、しばらくふたりの間を転がっていった。
(……まったく、この方は。甘やかすなら、予告をなさってくださいまし)
明日。最奥の扉が開く。
母が触れることを許されなかった『七耀の大宝冠』に、娘の眼が、二十年越しに届く。
宝物管理官のモルガナ卿、初登場ですわ。記憶力のよろしいこと。
小物三点のすり替えは、胸の帳面に。そして明日、いよいよ大宝冠と対面ですの。「何を視ても、顔に出すな」——次回、視てしまいますわ。わたくしは顔に出しませんけれど、【ブックマーク】と【☆評価】は遠慮なく出してくださいまし。




