第22話:贈り物攻防戦と、工房のお茶会
夜天商会の工房には、月にいちどの習いがある。
月末の昼下がり、炉を半分落として、工房中でお茶を飲むのだ。ベンノいわく「道具と職人の息抜きは、同じ日にやるもんだ」。
長卓に焼き菓子が並び、ミルカが大きな薬缶でお茶を注いで回る。ノエリアがこの工房に来て、もう半年。気づけば彼女の席は、ベンノの斜向かい炉のよく見える特等席に、決まっていた。
「——そういや、お嬢。聞いたぜ。また断ったんだって?」
ベンノがにやにやと煙管を揺らす。職人たちの耳が、いっせいにこちらを向いた。
「……何の、お話かしら」
「とぼけなさんな。旦那の贈り物よ。今度は南海の真珠の櫛だったとか」
「お断りいたしました。鑑定士が自分の石に曇らされてはいけませんの」
工房がどっと沸いた。
宵闇の宝石公の贈り物が、専属鑑定士に七連敗中——この攻防は、いまや工房一番の見世物だった。賭けまで立っている。次は何で来るか。受け取らせたら職人組の勝ち、断らせたら見習い組の勝ち。
「しっかし旦那も懲りねえなあ。石榴石の耳飾りだろ、月長石の腕輪だろ、白蝶貝の鏡——ぜんぶ、玉砕」
「あら、鏡は危のうございましたわ。あれは綺麗でしたもの」
「お、おい聞いたか、危なかったってよ!」
見習い組から、悲鳴があがる。ミルカが薬缶を抱えたまま、ずいっと身を乗り出した。
「ノエリアさま! あの、あたし、ずっと聞きたかったんですけど……ほんとのほんとに、嬉しくないんですか? その、公爵さまの贈り物」
工房がしん、となった。皆、聞きたかったのだ。
ノエリアはお茶をひとくち飲んで、それから、観念したように言った。
「……嬉しゅうございますわよ。毎回」
「じゃ、じゃあなんで」
「嬉しいから、ですの」
彼女は湯気の向こうですこし困ったように笑った。
「綺麗な石をいただいて、嬉しくなって、その石を身につけて、毎日眺めて——そうやって曇っていった鑑定士を、わたくし、実家でたくさん、見てまいりましたの。贈り物はいちばん甘い目隠しですわ。……ですから、わたくしの眼が誰かのものになるとしたら、それは石を受け取ったときでは、なくて」
言いかけて、彼女ははたと口を噤んだ。
「……ときではなくて?」
ミルカが目をきらきらさせて、先を促す。職人一同、息を呑んで待つ。
「——お茶のお代わりをいただこうかしら」
「ええーっ!?」
*
その騒ぎの一部始終を、工房の入り口で聞いていた男が、いた。
ルキウスは抱えていた包みを無言で背中に隠した。本日の八点目——東方渡りの翡翠の簪は、日の目を見ることなく、執務室の抽斗へ帰っていった。
翌日。ノエリアの鑑定室の卓上に、包みがひとつ、置かれていた。
(……まあ。今度は何かしら)
開けてみて、ノエリアは目を瞬いた。
ルーペ、だった。
それも、職人が使い込むような無骨な真鍮の胴に、彼女の手に合わせた、細い握り。レンズは——息を呑むほど、澄んでいた。歪みのひとかけらもない特注の磨き。
添えられた札には、彫像のような字で一行。
——道具なら、商品ではないな。
ノエリアはルーペを灯りに翳した。レンズの縁の銀の枠に、ごく小さな星章——夜天商会の紋と、その横に彫りたての小さな『N』。
……七連敗の末にこの人が選んだ「贈り物」は。彼女が断れないと知っている、たったひとつのもの。眼を曇らせるためではなく——よりよく視るための、道具だった。
しばらくして、彼女は鑑定室を出て、執務室の扉を叩いた。
「公爵様。本日の贈り物ですけれど」
「贈り物ではない。業務用の備品支給だ」
即答。用意していた言い訳の、速さである。
ノエリアは、笑いをかみ殺して、一礼した。
「では——備品、確かに拝領いたしましたわ。大切に使い潰させていただきます」
扉を閉める間際、見えた気がした。書類に目を落としたままの雇用主の口角が、ほんのわずか、上がっていたのが。
工房の賭けは、この一件の扱いを巡って、大紛糾の末、「引き分け・持ち越し」と、なった。
*
月が替わる。朔日の朝。
王宮から差し回された馬車に、ノエリアとルキウスは、並んで乗り込んだ。膝の上の鞄には母のノートと、白手袋と——あの新しいルーペ。
馬車は王宮の奥、宝物庫の門へ。
二十年間、誰の眼にも検められていない扉が、その先で待っている。
七連敗の末の「業務用備品」。公爵さま、ついに搦め手を覚えられましたわ。
レンズの縁の『N』の彫りには、お気づきになりまして? ——さあ、息抜きはここまで。次回、王室宝物庫の扉が開きます。扉の向こうへご一緒くださる方は、【ブックマーク】と【☆評価】を。




