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「石ころ令嬢」と捨てられた私、宵闇公爵の工房で王国唯一の鑑定眼として溺愛されています 〜妹の"光る鑑定"は偽物ですわよ〜  作者: 西園寺ミオ


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第2話:宵闇公爵は、眼を買う

 馬車の中は、雨の音が遠かった。


「ルキウス・ヴァルトシュタイン」


 男は名乗った。それだけで十分だった。


 大陸最大の宝飾商会「夜天商会」の当主にして、公爵。社交界が「宵闇の宝石公」と呼ぶ男。氷のように笑わず、彼が値をつけた石は二度と値を下げない——噂だけなら、ノエリアも知っている。


「先ほどの夜会には、商談で居合わせた。退屈な断罪劇の中で、価値のあるものはひとつだけだった」


「……壇上の、本物の『海色の涙』ですか」


「お前の眼だ」


 即答だった。世辞の温度は、どこにもなかった。


 公爵は懐から一枚の書面を取り出し、ノエリアの膝の上に置いた。


 雇用契約書、と書いてあった。


「夜天商会の専属鑑定士として、お前を雇う。住み込み。俸給は王宮の筆頭鑑定士の倍。試用期間は三月」


「……わたくしを、ご存じないのですか。社交界では『石ころ令嬢』と」


「知っている。だからこそだ」


 公爵は、長い指で契約書の一行を示した。条項の最後に、几帳面な文字でこう書き足されている。


 ——雇用主は、被雇用者を「石ころ」と呼ぶ者から、その名誉を守る義務を負う。


「誰にもお前を石ころとは呼ばせない。契約条項に加えておけ、という意味だ」


 ノエリアは、しばらく黙っていた。


 愛の言葉なら、断れた。同情なら、なお簡単に断れた。けれどこれは——値札だった。彼女の眼に、初めて正当な値をつけた、一枚の値札。


「……お買い上げ、ありがとう存じます」


 ペンを取る指が、少しだけ震えたのは、雨に濡れたせいということにしておく。


 署名を確かめると、公爵は契約書を仕舞い、それきり王都の夜へ目をやった。雨の街灯が、車窓を流れていく。


 差し出された手を、握る。手袋越しなのに、指先が氷のように冷たかった。


(……まあ。こんなに冷たい手が、ありますのね)


 顔を上げても、公爵の表情は彫像のままだ。冷徹と噂の御方。きっと、心まで宝石でできているのだろう——このときのノエリアは、まだそう思っていた。


   *


 夜天商会の本邸は、王都の北の丘にあった。


 邸というより、城だ。ただし武骨な城ではなく、半分が工房でできている城。夜半だというのに、敷地の奥からは砥石の音と、金槌の小さな旋律が聞こえていた。


「工房は眠らん。職人が交代で炉を守っている」


「まあ……炉の火を、絶やさないのですね」


「火を落とすと、金の機嫌が変わるそうだ。わたしには分からん感覚だが、職人がそう言うなら、そうなのだろう」


 翌朝。ノエリアは工房に案内された。


 梁の高い石造りの大広間に、作業台が二十。原石の棚、地金の棚、研磨盤。そして、入り口でこちらを睨む、煙管を咥えた白髪の老人。


「ベンノ。工房の親方だ」


「……貴族のお嬢が、鑑定だと?」


 ベンノは、挨拶より先に、作業台の上へ無造作に石をひとつ転がした。試すような目。周りの職人たちの手が、こっそり止まる。


 ノエリアは、その石の前に膝を折った。


 そして、白手袋を嵌める前に——石に向かって、小さく頭を下げた。


「ごきげんよう。お邪魔いたしますわね」


 工房が、しんとなった。


「……お嬢、今、石に挨拶したか?」


「ええ。母の教えですの。石はわたくしたちより、ずっと長く生きておいでですから。礼を欠いては、何も視せていただけませんわ」


 ぱちり、と白手袋を嵌める。


「南方鉱山の柘榴石ガーネット。研磨は二十年ほど前、王都の——おそらくこの工房の、左利きの職人さんの手ですわね。刃の入りが、皆さまと逆ですもの」


 ベンノの煙管から、ぽとりと灰が落ちた。


「そいつは、二十年前に死んだうちの兄弟子の石だ。……左利きの」


 工房のざわめきが、今度は別の色を帯びた。その輪の外から、栗色のお下げの少女が、目をまんまるにしてこちらを見ている。見習いだろうか。十二、三の。


「あ、あのっ。その子……じゃなくて、その石にもご挨拶するんですか!? 石、聞こえてるんですか!?」


「ふふ。聞こえているかは、分かりませんけれど。——礼をして悪いことは、ひとつもありませんのよ」


 少女——ミルカは、翌日から、棚の原石ぜんぶに挨拶して回るようになる。けれどそれは、もう少し先の話。


   *


 その夜。与えられた部屋で、ノエリアは母のノートを膝に広げていた。


 革表紙は手擦れで柔らかく、頁の隅には母の指の跡。読むというより、撫でるための形見。


(お母様。わたくし、眼を、お仕事にできるかもしれませんわ)


 扉が、二度叩かれた。


「ヴァルトシュタインだ」


 慌てて扉を開けると、公爵は廊下の暗がりに立っていた。手燭も持たず、宵闇に溶けるように。


「契約の初仕事を言い渡す。——明日、お前の眼を試す」


「はい。どのような石でも」


「どのような石でも、か」


 公爵の声に、ほんのかすかな、自嘲のようなものが混じった。気のせいかもしれない。それほど、かすかに。


「歴代の鑑定士が誰一人、正体を視抜けなかった石だ。心して来い。場所は本邸の最奥——」


 紫水晶の瞳が、闇の中で静かに光る。


「——わたしの『心臓』の前でな」


愛の告白より先に、雇用契約。それが宵闇公爵さまの流儀ですの。

そして次回、いよいよ勝負の第3話。誰にも視えなかった公爵家の家宝「黒曜の心臓」を、彼女の眼が視てしまいます。——【ブックマーク】と【☆評価】で、鑑定の立ち会いをお願いいたしますわ。

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