第17話:魔具の銘
「持ち込んだのは、鑑定院だ。不正調査の一環として、夜天商会に技術検分の協力要請が来た」
工房の作業台の上に、油紙に包まれたそれが置かれた。
ペルラの——割れた共鳴札。
硝子は罅だらけ、銀の縁は歪み、光の糸はもう一筋も残っていない。けれどベンノは、これを一目見るなり、煙管を置いた。職人が、本気の顔になるときの仕草だった。
「……こいつは、てえした細工だ」
「てえした、ですの?」
「ああ。憎たらしいほどな」
ベンノは、針の先で銀縁の継ぎ目を示した。
「見な。縁の銀の巻き方——これは宝飾の技だ。それも一級の。硝子の面には、髪の毛より細い彫りが渦になってる。こいつが光の仕掛けだろう。彫りの道具は宝飾用の彫刻刀。つまりこの『魔具』とやらはな、お嬢——魔術師の仕事じゃねえ。宝飾職人の仕事だ」
工房が、静まった。
「宝飾の工房で、こんな彫りができる職人は、王都に何人もいねえ。それで、だ」
ベンノは、罅割れた硝子の隅の隅、銀縁の裏側を、ルーペごとノエリアに差し出した。
「銘がある。消した跡ごとな」
覗き込む。銀の面に、やすりで擦り潰された刻印の痕。けれど刻印は、打った時点で金属の奥まで沈む。表面を消しても、歪みは残る。
ノエリアは、蝋を薄く引き、布で起こした。浮かび上がったのは——錨と槌を組み合わせた、小さな紋。
「……ガレオン商会、工房部の銘ですわ」
言い切った声に、自分でも驚くほど、温度がなかった。
妹に札を渡したのは、やはり、あの男。三年かけてグランツ商会を「光る鑑定」に依存させ、借金で縛り、姉を追い出させ——そして用済みになれば、壊れるに任せた。
「鑑定院には、このまま報告いたしますわ。技術所見として、ありのままを」
「いいのか? 相手は審査員サマだぜ。揉み消しにかかるだろうよ」
「ですから、ありのままだけを、ですの。推測はひとことも書きません。——銘の消し跡がある。彫りは宝飾職人の手。それだけで、読む人が読めば、十分ですわ」
*
報告書を鑑定院へ届けた、その帰り道のことだった。
「これはこれは、御用鑑定人さま」
路地の先に、樽のような体が立っていた。
偶然を装う気すら、もうないらしい。ドラートは、にこにこと帽子を取った。
「ご昇進、おめでとうございます。いやあ、わたしも審査員席で鼻が高かった」
「……ごきげんよう、会頭さん。お急ぎでなければ、わたくし急ぎますわ」
「うちと、組みませんか」
単刀直入だった。揉み手のまま、目だけが値踏みをしている。
「あなたの『眼』と、うちの『販路』。王都の宝石の値段は、ぜんぶ、こちらで決められるようになる。グランツの倍——いや、夜天商会の倍、お支払いしましょう。なに、難しいことはありません。たまに、視えなかったことにしていただくだけで」
「お断りいたしますわ」
即答だった。ドラートは、心底愉快そうに、ひひ、と笑った。
「即答だ。いいですねえ。——時に、御用鑑定人さま。割れた手鏡の検分、ご苦労さまでした。それで、何か、視えましたかな?」
「ええ」
ノエリアは、にっこりと笑った。
「とても良い腕の、職人さんの手が」
一拍。
ドラートの揉み手が、止まった。にこにこは、消えなかった。消えないまま、声だけが、井戸の底のように低くなった。
「……惜しいなあ」
「何が、ですの」
「お前の母親も、同じ顔で断った」
ノエリアの心臓が、一度、大きく鳴った。
ドラートは帽子をかぶり直し、もう揉み手はせず、商人の顔のまま背を向けた。
「いい目は、長生きしませんよ。御用鑑定人さま。——お母上に、よろしく」
雑踏に、樽のような背中が消えていく。
ノエリアは、その場に立ち尽くしていた。怒りより先に、頭の中で、母のノートの最後の頁が、ひらりとめくれた。
——七つの主石、すべて。
母は、何かを視た。視て、誰かに「組まないか」と言われ、同じ顔で断り——そして、雨の夜の馬車の事故。
*
その夜。報告を聞いたルキウスは、長いこと黙っていた。
やがて口を開いたとき、その声は、彼女が聞いたことのない種類の静かさだった。
「ノエリア。明日から、お前の馬車には商会の護衛をつける。二名。断るな」
「……過保護ですわ」
「過保護ではない。経験則だ」
彼は、窓の外の夜を見た。
「あの男は、先代の頃から知っている。ガレオン商会が急に伸びはじめたのは、ちょうど二十年前——大修復の、すぐ後だ」
「お前の母親も、同じ顔で断った」——会頭さん、それは言ってはいけない一言でしたわね。
これで母の事故と、二十年前と、偽物の光が、一本の糸になりかけております。次回は章納めのご褒美回。工房の夜に、灯りがふたつ。【ブックマーク】と【☆評価】を!




