第16話:御用鑑定人と、頭を下げに来た父
王室御用鑑定人の任命状は、三日後に届いた。
羊皮紙に金の封蝋。職務は王室の求めに応じた鑑定、宝物の定期検分、ならびに王都の鑑定基準への助言。帯剣も領地も伴わない、けれど王都の宝飾業界では、王冠の次に重い肩書き。
「御用鑑定人さまの初仕事は、なんですか!? 王冠ですか!? 王さまの指輪ですか!?」
「ミルカ。御用鑑定人のお仕事はね——」
ノエリアは任命状をするりと畳んだ。
「——今までどおり、目の前の石を一つずつ視ることですわ」
工房は祝賀の酒盛りを三日続け、ベンノは「うちのお嬢が国いちばんだ」と職人中に言って回り、ルキウスは「商会の看板の書き換えに金がかかる」と言いながら、その実、注文した看板の文字が、常より二割、大きかった。
*
そして、一週間後。
グランツ商会は坂を転げ落ちていた。
「光る鑑定」が、興行ごと崩壊した。あの講堂の一部始終は、尾鰭をつけて王都中を駆け巡り、商会が保証した品は軒並み再鑑定に出された。出るわ、出るわ——合成石、合わせ石、加熱未申告。返品と賠償請求が、商会の門前に列をなした。
セドリック・レーヴェには、レーヴェ侯爵家から、婚約見直しの沙汰が下りた。「グランツ商会の信用」こそが、婚約の持参金だったのだから、当然の帰結ではある。彼が大慌てでペルラとの距離を取り始めたという噂は、ノエリアの耳にも、届いた。
(……あの方らしいこと)
沈む船から、いちばん先に跳ぶ、鼠。八年間、婚約者として隣にいた男の正体が、それだった。——惜しくも何ともない。
そんな折——グランツ伯爵オズワルトが、夜天商会に現れた。
*
応接間に通された父は、ひと回り、小さく見えた。
「……息災そうだなノエリア」
「ごきげんよう、グランツ伯爵」
家名で呼ばれた父の眉が、ぴくりと動いた。けれど彼は怒鳴らなかった。怒鳴れる立場では、もうなかった。
「単刀直入に言おう。商会が苦しい。お前も聞き及んでいよう。……ペルラはあの日から、部屋に籠もりきりだ。鑑定部門は、機能していない。取引先は離れ、銀行は——」
父はそこで言葉を切り、絞り出すように言った。
「——戻ってきてくれ。商会に。お前の籍は戻す。鑑定部門をお前に任せる」
頭が下がった。
八年間、一度も娘に下げられたことのない、頭だった。
ノエリアはその白髪まじりの旋毛を、静かに見つめた。胸の中を探ってみる。歓喜も、復讐の快感も、見つからなかった。あったのは、ただ、鑑定士としての所見だけ。
(……謝罪ではありませんのね。これは)
「戻ってきてくれ」は、あった。「すまなかった」は、なかった。あの夜会のことも、勘当のことも、「石ころ」の歳月のことも——この人の中では、まだ経営判断の修正でしか、ないのだ。
「お顔をお上げになって」
ノエリアは穏やかに言った。
「わたくし、夜天商会と専属契約を結んでおります。王室御用鑑定人の職も、夜天商会の籍で拝命いたしました。お受けできませんわ」
「ノエリア……! 家族では、ないか」
「家族」
ノエリアはその言葉を鑑定皿に載せるように、繰り返した。
「お父様。わたくしの籍を抜いたのは、お父様ですわ。『商会の看板に値のつかぬ石を飾ってはおけん』と。……あの鑑定をわたくしは恨んでおりませんの。ただ——あの鑑定書は、まだ取り下げられておりませんわ」
父が何かを言いかけて、黙った。
「商会の再建を本気でお考えでしたら」
ノエリアは卓の上に一枚の紙を滑らせた。夜天商会の正規の依頼受付の書式だった。
「鑑定のご依頼でしたら、商会の窓口へ。グランツ商会の在庫の総ざらいなら、お受けいたしますわ。御用鑑定人として、正規の料金で一点ずつ、丁寧に。——それが今のわたくしにできる、いちばん誠実な『家族孝行』ですの」
父は長いことその書式を見下ろしていた。やがて無言でそれを取り、無言で立ち上がり、扉の前で一度だけ、振り返った。
「……お前の母も」
掠れた、声だった。
「……いや。なんでもない」
扉が閉まった。
その「なんでもない」の中に、何が仕舞われていたのか。——それを鑑定する日も、いつか来る。今はまだ。
*
「聞いていたぞ」
夕暮れの鑑定室にルキウスが入ってきた。
「盗み聞きは感心いたしませんわ、と申し上げましたのに」
「雇用主の責務だ。……戻りたければ、止める権利は、わたしにない。それも聞こうと思っていた」
「あら」
ノエリアは窓の外の暮れていく王都を見た。
「わたくしの居場所は、わたくしが、鑑定いたしますの。——ここですわ。当分、値下がりの予定は、ございません」
ルキウスは何も言わなかった。ただ、その日の夜、彼女の鑑定室の椅子が、いつの間にか、ひと回り上等なものに、替わっていた。
その椅子に、彼女がゆっくり座る暇はなかった。翌朝、鑑定院の使いが油紙の包みを抱えて、工房の戸を叩いたからだ。
包みは、掌ほどの大きさだった。抱え直すたび中で硝子の欠片が、かすかに鳴った。
頭は下がりましたが、謝罪は本物ではございませんでした。——再鑑定はいつでも承りますわ。
そして無言で椅子だけ替える公爵さま。それは贈り物の枠ではないと、お思いですのね? 次回、割れた魔具から消された銘が出てまいります。彫ったのが誰かを、道連れの【ブックマーク】と【☆評価】とご一緒に。




